第二章 二、環境と立場(十一)
――遡る事、一週間前。
銀髪の少女が牢獄と呼んだ尋問室で、騎士に抱えられそこを去った後の事。
「ワシも焼きが回ったか」
誰に言ったという訳ではない公爵の独り言は、近くの騎士に答えるべしという圧を感じさせていた。
「わ、わたしはそうは思いません。こやつはいかようにも使えますし、ともすればお優しいエラ様のためになると考えます!」
敬礼の姿勢を取り、そのまま直立不動で具申した騎士は、それが公爵にとってこれ以上ご機嫌を損ねないだろうかと恐れていた。
「すまん。独り言だ。はぁ……だがそうだな。こやつの元雇い主とやらを吐かせろ。先程の話、嘘でなければ見張り役も近くにいるはずだ。屋敷の側に居る者は片っ端から捕らえろ」
首を差し出したままの暗殺者を見据えながら、公爵は指示を出した。
すぐさま「はっ」という返事と共に数名が仲間の元に伝令を伝えに走った。
「さて、貴様。名は何という」
暗殺者は首を垂れながら、「アメリア」と名乗った。
「そうか、今からこの尋問官が、貴様に色々と質問をする。素直に間違いなく答えろ。後で嘘だと分かれば、その瞬間に首を刎ねる。よいな」
「……厳冬将軍に嘘などつかない。今こうして首が繋がっているだけで奇跡なのも理解している。そのご恩情に、感謝する」
およそ少女とは思えないほど、軍人じみた物言いをした。
それは、幼い頃からよほど厳しい環境に置かれていた事を想像させた。
幼少期に暗殺者に拾われた話も、本当の事だろうと尋問室に居る誰もが思った。
「そうか。ならば我が娘に感謝するんだな。あれが最後に泣き叫んだ言葉で、ワシが迷ったのだからな」
「ご令嬢へのご恩、今しがた拾ったこの命に代えて尽くさせてもらう。何でも命令してくれ」
「……まずは言葉遣いから直せ。そんな態度で娘に接したら舌を抜いてやる」
「ならば申し訳ないが、誰か教えてくれる人をお願いしたい。これしか出来ないんだ……」
公爵は、チッと舌打ちをしてその場を去った。
護衛騎士達がそれに続いて行く。
残ったのはこの暗殺者と、尋問官の二人になった。
「……手荒な真似はしたくない。隠さずにすぐに話せよ? いいな」
「わかっている。全て話すから、酷い事はしないでくれ。頼む」
暗殺者は、先程の姿勢から寸分違わずに答えている。
「お前が一丁前に命令するんじゃねぇ!」
尋問官は、暗殺者がその姿勢の割に堂々と、しかも一人前の軍人じみた話し方をする事に、気持ち悪さと腹立たしさを感じて大きな声を出した。
「ちがう。ご令嬢の前に立った時、見える傷があってはご心配をお掛けしてしまう。厳冬将軍の仕業と思われては、お二人の関係にもヒビが入ってしまうからだ。もはや俺は、全てご令嬢のために考え、ご令嬢のために行動すると決めた。それだけだ」
尋問官は感情的な男ではあったが、同時に頭は回る方であった。
目の前の首を差し出したままの暗殺者の、その地頭の良い発言を聞いて、昂った感情を一気に冷ました。
「その考えに至る人物は意外に少ない。隠し事をしなければ酷い事はしないと約束してやろう」
冷静に、しかし嘘や隠し事を見逃すまいとする尋問官は、暗殺者に顔を上げさせた。
そして、それしかない尋問椅子に座らせ、表情や仕草がしっかり見えるようにした。
「どうだ。何が分かった」
尋問官が書斎に報告に行くや否や、公爵は苛立ちを隠さずに聞いた。
「雇い主と、その下におよそ五名の配下が居るようです。それぞれの知る限りの容姿や言葉遣い、クセや今後の行動予測など、こちらが聞く事は全て答えました。すでに情報を共有して追っています」
「そうか。それぞれ跡を残すな。以上だ」
「はっ」
短い報告と指示が終わると、公爵は書斎で一人になった。
「……エラはもう、今までのように口をきいてくれんかもしれんな」
その数日後。
全ての事に確認が取れた後に、元暗殺者のアメリアは公爵の書斎に連れられていた。
「アメリア。お前をエラの付き人にするが、エラに何かあったらお前は、生き地獄を味わい尽くす事になる。わかっておるな?」
公爵は冷たい顔で、その大きな体躯から刺す様な視線で見下しながら問うた。
「エラ様は、私が命に代えてもお守り致します。何かあった場合は、拷問だろうと何だろうと、私の罪として甘んじてお受けします」
アメリアは束ねた金髪と同じように、その決意を語った後に唇をきゅっと結んだ。
陰のある碧の瞳にも、固い決意が見て取れるようだった。
「ふん……お前には一つ命じておく。エラがまた、お前のような者に襲われて躊躇している時は、お前が賊の首を刎ねるのだ。あやつはきっと、また迷ってしまうだろう。その時に命がまだあるとは限らん。だからお前が代わりにやれ。出来るか?」
「それこそが私の役目と存じております。エラ様の代わりに手を汚し、エラ様の代わりに死ぬ事こそ、この命の使い道にございます」
アメリアは心の底から喜んで語った。
その陰のある瞳が、キラキラと輝いている事がそれを裏付けていた。
「なぜそうまで変わった。お前に得な事など無かろう」
公爵は、この少女の身の変わりように違和感を覚えていた。
いや、誰が見てもそう思うだろうと公爵は心で毒づいた。
何を企んでいるのだと。
「損得など、どうでも良いのです。見ず知らずの、それも命を狙った私を、エラ様は御自らの腕や命を捨ててまで救おうと泣き叫んでおられました。そんな事……嘘でもなかなか言えるものではありません。あの時、私は心から救われたと感じたのです。あのお優しさ、そのお陰で、もう私は報われてしまったのです。いつ死んでも構いません。でもどうせ死ぬならば、エラ様のために死にたい。そう思ったのです」
「ほぅ……」
意外な答えに、公爵は複雑な思いで感心した。
エラのような覚悟では、命がいくつあっても足りないと気が気ではなかった。
しかし、今回だけは違った。
その生半な覚悟のお陰で、忠臣を一人得たのだ。
「ならばまず、侍女の振舞いを身に付けろ。まだまだ軍人のようだ。お前は」
そう言って、公爵は手を一度だけ払うようにした。退室しろという命令だった。
「必ずや、すぐに身に付けてみせます」
アメリアは決意を胸に、そして嬉しそうに目を潤ませながら書斎を去った。
そうしてアメリアは、侍女の振舞いを懸命に練習した。
言葉遣いは幼くなったりタメ口になったりと酷いものだが、所作は体で覚えるからか習得は早かった。
それでもしばらくはかかりそうだったが、振舞いは後回しでもエラに付かせよとの命令が下りた。
エラの状態が、もはや誰も見ていられないという段になってしまったからだった。
それが、事件の日から一週間目の今日である。
「将軍様! 将軍様! すみませんが、エラ様とお会いになって、どうかお静めください!」
書斎に駆けこんだアメリアは、公爵を将軍と呼びながらわめいた。
「なんだ騒々しい! お前は今日、エラとお目見えの日だろうが!」
初日から何なのだと、公爵は頭を抱えた。
「だからこそです。私達じゃ話になりません。きっとすごくお怒りになっています。将軍様でなければ、誰にもお静めできません」
「……そうか」
向き合う必要があるとは思っていたが、まさか今日、こんなにすぐだとは思っていなかった。
感情をあまり表に出さないエラの事だから、きっと食事の後や夜など、時間を選んで文句を言いにくるだろうと予想していたのだった。
公爵は意を決したように立ち上がり、そして書斎を出た。
「案内しろ」
アメリアはもう一度走って戻りたい気持ちを抑えて、公爵の歩幅に合わせて遅めの早足で連れ戻った。
冷たくも美しい、恐ろしい表情のエラには、あまり目を向けないようにしながら。
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