第二章 二、環境と立場(九)
この話の続き、少なくとも「環境と立場(十)」までは、是非とも合わせてお読みいただきたいと思います。
――お屋敷の地下にある尋問用の部屋に、オレは騎士達と一緒に付いてきた。
重い扉に、殺風景な石の部屋。ここは牢獄のようなものだ。
あまり残酷な締め方をしないように、せめて緩くしてもらえるように。
もう一度お願いしようと思って来たのだが……入るなり、騎士は彼女を部屋の奥にある尋問椅子に座らせた。
「お嬢様、さすがにこれ以上はお控えください。この事はもうお忘れになって、お部屋にお戻りください」
『作業』に取り掛かろうとした騎士が、こちらに向き直って言った。
「……いやです。どうか、緩くしてあげてください」
騎士は困った顔をして、首を横に振った。
「ご命令は、公爵様からのものです。エラお嬢様のご指示を聞く事は出来ません」
この人を困らせたいわけではない。でも、いくらなんでも、残酷じゃないだろうか。
「それは……そうですけど。だからお願いしているんです」
「そのお願いを聞いては、私が公爵様に処罰されます。ご勘弁ください」
それも、分かっている。
「でも、襲われたのは私です。その私が許したいって言ってるんですから――」
「――やはり揉めておったか」
お義父様が様子を見に来た。
地下で薄暗いからか、その大きな体が獰猛な虎のように見える。
その殺気の塊りは部屋に入るなり、あの子の側に寄って行った。
「おとう様! お願いですから、酷いことは」
すがりつくように、お義父様の袖を、腕を掴んだ。
しかし、いとも簡単に外されてしまった。
「ならんと言っただろう。逆に、後何人許せばお前は気が済むのだ? お前が命を奪われる時か? それをワシに許せというのは無駄な事だと、分からんお前ではあるまい」
お義父様は、怒りが静まったのではなく、怒りを晴らしにきたのではないかと思った。
言っている事は最もだし、逆の立場なら……きっと同じ事を言うだろう。
(だから、自分が滅茶苦茶な事を言っていると分かってはいる)
オレは俯いて、黙ってしまった。
すると、お義父様は突然、「分かった」と言った。
「えっ」
だがオレは、期待して声を上げた事を後悔した。
「こやつの忠誠の証に、手足のどれか二本を斬り落とす。その後は下働きでもさせれば良い。罪を償わせる事で、暗殺について不問にしてやる」
お義父様は、そら恐ろしい事を言った。
そんな事をしたら、生かす意味なんてあるのだろうか。
あまりに惨い仕打ちだ。希望が見えなくなる。
「そこまでしなくても!」
だが何を言っても、覆らないという冷徹な顔をしていた。
眉間に刻まれた険しい皺が、吊り上がった眉が、全てを物語っていた。
「そんな……」
オレはそれ以上何も言えず、また下を向いた。
こんなに厳しいお義父様を見るのは辛い。
これが、国の盾であり剣である人の決断なのだ。
重要人物を消そうとするという事が、ギリギリで安定を保っているこの国にとって、どれほど重い罪なのか知らないわけじゃない。
だが、まざまざとその容赦の無さを見ると、心がすくんでしまった。
(オレでは、この子をどうしてあげる事も出来ないんだ……)
ただ立ち尽くしていると、奥に居た彼女が悲痛な涙声で語った。
「それならもう、いっそ殺してくれ。どうせ俺は、生まれた意味なんて無かった。小さい時から孤児だったし、親の顔も知らない。誰からも愛されずになんとか生きてきた。行き倒れた道端で、雨に打たれて最後を待っている時に今のご主人に拾われた。それが殺し屋だった。だから暗殺業を手伝っているだけだ。誰の依頼かなんて知らない。ご主人が受けた依頼を、俺が命令された。だから依頼主をあなた達に教える事も出来ない。それが嘘だと言われても、証拠も何もない。だけど……手足を斬り落とされてまで、生きていたいとも思わない。だからもう、死なせてくれ」
途中からは、涙さえも枯れてしまったかのように淡々と。そしてただ、死を望むのだと言った。
「こやつのような者は他にもいるだろう。これが今の世だ。どうしてやる事も出来ん。かと言って、全ての暗殺者を許していれば国が傾く。時間と人員を闇雲に割く事も出来ん。こうするしかないのだ。エラ」
お義父様もこの子も、自分の立場を理解して話している。
何も分かっていないのは、オレだけだった。
「さぁ、前に出て捨てる所を差し出せ。それで終わりだ」
お義父様は、淡々と処理しようとしている。
この苦渋に満ちた時間を、何度も何度も繰り返してきたのだろう。
哀れみも怒りも何もない、凪いだ冷たい海のような、理解を超えた静けさを纏っている。
「……公爵様、慈悲があるなら、殺してください。俺はもういいから。生きていたくない。もう、終わりにしたい。怖いけど、この令嬢のような、優しい人が居ると知れて良かった。それだけで、もういいから。頼む……もう楽にしてくれ。お願い、します」
そう言うと、彼女は両手を地について首を差し出した。
手が震えているし、涙も床に落ちている。
それなのに、強い意志でその首を晒している事が伝わる。
「分かった。終わりにしよう。貴様に次の生があれば、幸せに生きられるようにせめて祈りを込めよう」
一息で剣を抜き上げる姿は、確かに祈りの姿勢にも見えた。
そしてその目には、微塵の揺らぎも無い。
「ま、待って! 二本必要ならば、私の腕とこの子の腕を、一本ずつで収めてください! 私も彼女の罪を背負います!」
お義父様の、振り下ろす寸前の剣に立ちはだかるのは恐ろしかった。
だが、もうそのくらいしか出来る事も言える事も思いつかなかった。
「往生際が悪いぞエラ。この者の覚悟を不意にする気か!」
近くの護衛騎士が、慌ててオレを抱え上げて引き離した。
「離してください! この子だけでも! 何なら、私を殺してこの子を助けてください!」
最後は絶叫していた。
涙でぐしゃぐしゃになりながら、無我夢中で叫んだ。
何も出来ない。
何も救えない。
ただ無力なオレは、せめて身代わりになる事を提案するしか出来ない。
せめて、一度失ったオレの命でいいなら、代わりに殺してくれと祈った。
(こんな無情なのは嫌だ。たのむから――)
だが無慈悲にも、差し出した首を斬りやすい位置へと、お義父様はゆらりと移動した。
その首に、真っすぐ剣が落ちる場所へ。
――言葉はなく、呼吸の間もなく、スッと下ろされた剣だけがピゥと鳴いた。
「ひっ!」
声にならない叫びを、オレは情けなく出してしまった。
今にもあの首が落ちて、力なく体が崩れるのだろう。
卒倒しそうなほど肩で息をしながら、それでも、最後を見届けなければと目だけは逸らさずにいた。
だが、オレを抱えた騎士はそれを見せまいと、身を翻して後ろを向いた。
だが、あの子がどうなったのかは、もう見なくても分かる。
オレはうなだれるように全身の力を抜いた。
オレのせいで、死ぬまでの時間を長引かせてしまった。
あの子はオレに捕らえられた時点で、死ぬ覚悟を決めていたのに。
無駄に苦しい時間を過ごさせてしまった。
死を待つだけの時間ほど、苦しい事は無かっただろうに。
(全部、オレのせいだ)
「自分を責めるでないぞ、エラ。現実を知れ。悪いのは誰でもないとは言わんが、最初に命を狙われたのは、お前なのだ。お前が責任を感じる事ではない」
キン。と鞘に剣を収め、お義父様は言った。
「ひぅ、ひっく、ひっ……」
オレは嗚咽で、声を出せなくなっていた。
だが、喋れたとしても何を言っていいのか分からない。
「そのまま部屋まで連れてやれ。それからフィナを起こして、今夜は側に居させてやってくれ」
騎士はオレを抱えたまま、「はっ」と返事をしてこの牢獄を出た。
「ワシも焼きが回ったか」
後ろから辛うじて聞こえたお義父様の声は、どこか苦しそうだった。
これまでの流れとは違って厳しい局面となりました。こんな風に辛くなるのならもう……とは思わずに、ならばこそ、むしろ続きを読んで頂きたいです。
この後どうなるのか、一時間後くらいに次話投稿しますのでぜひよろしくお願いします。




