第二章 二、環境と立場(六)
「なんだ、遅かったではないか。待ちくたび……何があったのだ」
声のトーンだけは落ち着いているが、お義父様が明らかに動揺しているのが見て取れた。
「エヘヘ……ちょっと、泣いちゃいました」
そう言って屈託なく笑うオレの姿に、胸をなで下ろしている。
「いつもの事です。公爵様。今回は私も、もらい泣きしてしまっただけですので。ご心配頂く事はありません」
報告は淡々としているが、フィナは照れ臭そうだ。
お風呂上がりなので横に束ねただけの黒髪を、無意識に触っている。
それを察したお義父様は、ならばよい、と素っ気なく答えて不問にした。
オレの前だからなのか、二人のやり取りはどこかちぐはぐな感じがした。
「まぁ、ゆっくり食べなさい。ワシも頂くとしよう」
その言葉を合図に、すぐに美味しそうな料理が運ばれてきた。
――明るい照明の食堂には、十人が掛けられそうな長テーブルが一台に、椅子が六脚セットされている。
席の隣同士が十分に空いていて、座ると余計に、とてもゆったりとした気持ちになる。給仕もしやすそうだ。
広めの空間は、侍女達が側に居ても気にならなくするためだろうか。
人の心理を把握して造られたような、最適な広さのように思う。
(この屋敷の食堂は、妙に落ち着く……)
そんなくつろげる状態だと、つい背もたれに体を預けたくなってしまう。
だが、体を後ろに動かそうとすると、すぐにフィナが「エラ様」と声を掛けて制止するのだ。
リラックスするのと、心の底からだらけるのとは、別なのだと指導される。
適度な緊張感を維持するというのは、なかなかに難しいものだ。
「そんな事では、今日のデザートは私が食べてしまいますよ?」
フィナは、もしかすると献立を知っているのかもしれない。そんな事を言って脅すのだから。
「だ、ダメです」
背筋をスッと伸ばし直して、最後のデザートが来るのを待つ。
「フフ。何が出るのか、楽しみですね」
フィナはやはり、知っていたのだろう。
オレがこの星に来てから、最も感動した『プリン』が目の前に置かれたのだ。
もちろん、地球でも食べた事はあるし、当時も別に好きでも嫌いでも無かった。
だが、ここに来て初めてそれを食べた時、あまりの美味しさに脳が痺れたと感じたくらい、正に最高の味だった。
「プリンだ……!」
静かに感動している様を見て、フィナはクスクスと、お義父様も普段は厳めしい顔なのに、目を細めて満足そうな笑みを浮かべている。
「良かったですね、エラ様」
「良かったなぁ」
二人は息ぴったりに言った。
「もう、恥ずかしいじゃないですか。でも……ありがとうございます」
この星に甘味が無いわけではない。
というか、デザートのお店があるくらいなのだ。別に困っているわけではないらしい。
そういう希少性の話ではなくて、なぜかこの体には、プリンは全身に感動させてしまうくらい美味しく感じるのだ。
ひと口食べるごとに、脳が喜んでいると感じる。
あまり意地汚くならないように、しかしひと口ひと口、ゆっくりと味わいながら頂いた。
二人は、そんなオレをじっと見るものだから、少しばかり緊張した。
よく見ると、侍女達もうっとり眺めているではないか。
(オレはどんな顔をして食べているんだ?)
可愛いのは知っている。自分で惚れそうになるくらいに可愛い。
だが、周りの人達はオレに対する態度が、何かおかしいように感じる。
最近になって、その違和感はより強く感じているが確証がない。
皆の優しさは本物だと思うし、そういう部分に違和感はないのだから、余計に分からなくなる。
(分からない事だらけだ。まったく)
「そうだ、エラ。お前にこれを渡しておこう」
食事を終えて、その余韻と、今回の旅路の話も落ち着いた頃だった。
お義父様が侍女を見て頷くと、しばらくしてオレの前に大きくて細長い箱がゴトリと置かれた。
「何ですか?」
また宝飾だろうか。もう着けきれないくらい頂いているのに。
(この大きさ……いくつ入っているんだ?)
「まあ、空けてみてくれ」
言われて恐る恐る、ゆっくりと開いていく。
「あっ」
剣だった。鞘と剣が収められている。
短剣だ。見た所、鋼で作られたものだろう。
「王都は人が多いからな。ファルミノのように治安が良いとは言えん。
護衛が離れる事などないはずだが、それでも護身用のものは必要だと思ってな」
という事は、お義父様と離れて行動する場面もあるという事だ。
「そういえば、私の棒……白煌硬金の棒は……」
久しぶりに自分の物としての武器を与えられて、一年前に預けた物の事を思い出してしまった。
アレがあれば、この体でも、一端の騎士とでも戦えるのだ。
「あぁ~、あれはな、もう少し待ってくれ。その繋ぎのために、目の前の短剣を渡そうと思ったのだ。もう少し我慢してくれ」
お義父様は、少しだけ気まずそうに言った。
せっかくオレのためにしてくれているのに、気分を悪くさせてしまっただろうか。
でも、急に湧き上がった「少し残念」という感情を隠しきる事が出来なかった。
「そうですか……」
だが、その残念な気持ちはすぐに消し飛んだ。
「あれ、この剣……握りやすいです」
一般的な男性用の物は、柄が太くて握りきれないのだ。
でもこの剣の柄は細く、この手に馴染むように作られている。
刃も細身で、そして普通のものよりも薄い。
その分強度が心配かと思ったが、諸刃ではなく片刃で作ってあった。
薄い二等辺三角形の形になっていて、みね打ちや、武器同士の打ち合いも出来るように考えられている。
簡単に言うと、鉈を細長く、見た目も美麗な剣にしたような代物だ。
刃渡りが三十五センチ、持ち手を含めて五十五センチといった長さだろうか。
鍔も細いが、手を守るカバータイプだ。
武器に目がない少女というのは、いかがなものかと自分で思ったが、目の前に置かれた剣を手に取らずにはいられなかった。
「そうだろう。お前のために鍛えさせたのだ。可能な限り軽量にもしてある」
実際に、この身でも片手で扱えそうなくらいに軽い。普通なら、この筋力では自在に振る事なんて出来ない。
「柄も、長くて両手でも使えるようにしてくれているんですね。嬉しいです」
持ち手の長さが、刃の長さとバランスが取れるようになっていて、とても機能的だ。
少しだけ刃の方に重心があり、片手でも振りやすく、そして両手で重い攻撃も出来る。
「お気に召したか?」
ニヤリと、いつもの自慢げな笑みを浮かべている。
「はい! すごく! 私のための剣だと、手に取ってすぐに実感しました。ありがとうございます」
うっかり鍔に指をかけても、刃の根本の部分は持ち手の延長のように作られている。
何もかもが考え尽くされている剣だ。
「構造の説明は、いらんようだな」
オレが左右の手を使ってバトンでも回すかのように、くるくると順手と逆手、左右の持ち替えをして剣を回していると、お義父様は満足そうにしていた。
「本当に扱いやすくて……素晴らしい剣です。ありがとうございます」
何は無くとも、武器があると心強い。
「エラ様ったら、プリンと同じくらいの喜びようですね。剣を貰って喜ばれるとは、思いもしませんでした」
フィナには分からないようだが、オレは何か、自分の足りない部分を補ってもらえたようで本当に嬉しい。安心するのだ。
「だが過信するなよ? それではお前の本領は出ないのだ。
気を緩めるんじゃないぞ。守られる位置に、だ。忘れてくれるな」
本気で心配されてしまった。少し、はしゃぎ過ぎたのかもしれない。
「はい、すみませんおとう様。剣を頂いた事が嬉し過ぎて、飛び跳ねそうな気持ちを抑えきれませんでした」
「まったく、困ったやつだ」
一体誰に似たのだ。と言って、お義父様は肩をすくめる仕草をした。
するとフィナは、「公爵様そのものでは」と、小声でつっこんでいた。
オレはそれを聞いて、何だかもっと嬉しくなってニヤついてしまった。
少し恥ずかしくもあり、俯いて表情を隠してしまった。
「……ほら、今日はそろそろ休みなさい」
そうしたのが疲れていると見えたのか、お義父様は寝るように催促した。
オレは言うとおりにしようと思い、上目でちらりとお義父様を見て、コクリと頷いた。
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