第二章 二、環境と立場(五)
ありがたい事に、食事の前にお風呂に入らせてもらえた。
ファルミノの屋敷のように入り組んだ場所ではなくて、普通に一階の奥にお風呂場があった。
さすがに半分くらいの規模だが、数人が利用しても問題ない広さだ。
フィナに洗ってもらう事も、普通のように思えるまで時間が掛かった。
でも、自分も入れて嬉しいのだと言われて、気が楽になったのを覚えている。
未だ慣れないのは警備だ。
やはり必要だという事で、お風呂場の前を二人が見張りに付いてくれた。
(これも、申し訳ないと思い過ぎてはいけないのか)
気持ちの整理が、なんとも難しい。
そんな事を考えながらのお風呂上り。
自室として充ててもらった三階の部屋で髪を梳いてもらいながら、モヤモヤとしていた。
この警備が常のものなのか、オレのために増やすなりしているのか、それがどうしても気になったオレは、結局フィナに聞いてしまった。
「公爵様はご自身がお強いですからね。お屋敷の中でここまでの警備はしておりませんでした。
でも、来賓がある時や、王妃様がまだここに住まわれていた時は、このくらい普通だったようですよ」
「そうなんだ……教えてくれてありがとう」
そういうものなのか。と思えるくらいには、少し落ち着いた気がする。
あっちに居た時は、本当に忙しくて目まぐるしかったから、警備が居ようが居まいがそれどころではなかった。
でも、いざ落ち着いて周りが見えるようになると、オレの為にしてくれている事の、何と多い事か。これでは逆に息が詰まる。
(――いや、感謝こそすれ不満なんて無い。ただ単純に、申し訳ないんだよ……)
オレが、元の強さを持っていたら……。
ヒラヒラの、コルセットなしのゆったりした室内用のドレスに着替えた自分の姿を、少しだけ憎らしく見つめた。
鏡に映るその姿は、可憐という言葉では収まらない、可愛くも美しい容姿をしている。
(ダメだ。男だった事は、もう忘れようって決めたんだ。今を受け入れないと。いい加減に)
守られるというのが、こんなにもどかしいものだとは。
お義父様は強いから、警備は不要だったと聞いて取り乱している……。
(メンタルよわ)
――食事の前だ。忘れよう。
「エラ様? 何か気になる事でも?」
フィナが心配そうに、紫がかった青い目で見つめるようにオレの顔を覗き込んだ。
「いえ、少し疲れが出たのかもしれません。体力無いですね」
咄嗟に答えたせいで、少しばかりの自虐を言ってしまった。
「エラ様は、十分素晴らしいですよ? 貴族教育と称して、あそこまでの量を詰め込まれても根を上げなかったんですから。
私なら泣いているか、逃げ出しているかしています」
オレの銀髪を愛おしそうに梳きながら、フィナは慰めてくれた。
その黒髪を、彼女はまだ梳いていないのに。
そうさせている事を辛く思いそうになったが、フィナは本当に優しく微笑んでいて、慰めではなく本心なのだと思えた。
「私はこれから、どうなっていくんだろう……」
つい、本音が漏れてしまった。二年近くを、本当に頑張り続けて……その疲れが出てしまったのだろうか。
「あらあら、本当にお疲れのようですね。公爵様の跡を継がれるのでしょう?
常人では不可能な、険しい道のりですよエラ様。お疲れになって当然です。
夕食を済ませたら、今日はゆっくりお休みくださいね」
夕食。と聞いて、ふと馬車での会話を思い出した。
「デザート! ……あるかな?」
抜きにされてしまうのだろうか。
「あら! そうでしたね。でも、きっとありますよ、デザート。エラ様の好物が出るのではないでしょうか」
そう言って、フィナはニコニコとしている。
「そうだといいなぁ……」
こういう会話は、自分の中でも違和感なく、自然なものになっている。
(まるで女の子だ)
ゴーストは体の影響を受けると、あの科学者は伝えていた。
(これはこれで、どうなってしまうんだろうな……)
不安というよりも、もはやどうにでもなれと思っている自分が居る。
――二年近くが過ぎた。
(もう、体にしっかり定着してるはずだよな)
意識を失う事は、結局最初の時以来、起きていない。
体の不安よりも、今この世界を生きていく方が不安な気持ちだ。
(まさか! これってホームシックなのか?)
リリアナの、「ホームシックになって泣かないようにね」という言葉が、本当になってしまった。
(情けない話だ……)
でも、あんなに温かい場所から離れると、こういう気持ちにもなるのだろうと納得した。
地球での生活ではありえなかった事だ。オレはこちらの方が、恵まれていて幸せなのだ。
「エラ様、眠ってしまうならソファで梳きましょう。私と反対側に倒れられたら、私では咄嗟に抱えられませんから」
声を掛けられて、初めて自分が半分寝ている事に気が付いた。
化粧台の椅子から、横にずり落ちそうになっている。
「ご、ごめんなさい」
そしてソファを見ると、ようやく腑に落ちたと同時に、お義父様の思いやりが身に染みて泣きそうになってしまった。
「これ……私が寝落ちしても、倒れて大丈夫なように沢山置いてあるんですね」
クッションの数だけが、部屋の装いに似合わないほどに、わっさりと置いてあるのだ。
「フフ。やっとお気付きになられましたか? 私は見てすぐに分かりました」
クスクスと笑いながら、オレの手を引いてソファに連れてくれた。
オレはやっぱり、この素晴らしい人達を――
(――守りたい)
「あっ。もぅ、エラ様。泣かないでください。
エラ様が何かに感動して泣かれる度に、お前のしつけが厳し過ぎるんじゃないかって、公爵様に怒られるんですからね」
「えっ、フフフ。そんな事になっていたんですか? アハハハ」
オレはそれを聞いて、吹き出してしまった。
フィナもお人好しだし、お義父様は本当に親バカだ。
「アハハ……ひぅ、ひっく。なんで、そんなに、優しいの」
たまらず泣いてしまった。嗚咽して泣くなんて、自分でも驚いている。
「ちょっと、エラ様ってば泣き過ぎじゃないですか?
エラ様も十分、可愛らしさで皆の心を虜にしているんですから、丁度いいんですよ? あぁ……泣かないでください」
フィナはもらい泣きだろうか。
一緒に涙を流していては、オレを責めることは出来ないだろう。
今度はケンカでもしたのかと、フィナだけお義父様に怒られるのだろうか。
(それは弁明しないと、かわいそうだ)
でも、二人の会話が思い浮かぶようだ。
真面目に心配するお義父様と、親バカに呆れながら説明しているフィナの姿が。
お読みいただき嬉しい限りです。初めての方も、どうぞ他の話も読んでみてください。
少しずつ何かを見聞きし、少しずつ糧にしていくエラの行く末を、これからも見守って頂ければ幸いです。
あと何話か目に少し事件が起こりますが、それもぜひ最後までお読みください。




