第九章 三十四、大馬鹿者
第九章 三十四、大馬鹿者
「おねえ様は……必ず、必ず目を覚まします。私たちが信じなくて、どうするんですか……」
エラは、精一杯に強がってみせた。
「だが……いつもは軽い体が、こんなに重くなっているのは……ゴーストが抜けてしまったのではないのか」
ルナバルトは、聞かされていたルネの事について冷静に考え、今の結果がなぜ起きているのか判断しようとしていた。
「ルナバルトよ。今は……まだ、決めなくても良いだろう。こやつは……これでも色んな修羅場をくぐり抜けてきた猛者よ。簡単に死んだりするものか」
アドレーもエラと同じように、目を覚ますのだと信じている。
ただ、エラほどではなかった。
奇跡にすがりたい気持ちが強く、意見としては、ほぼルナバルトと同じだった。
「……大丈夫です。ルナバルト様もパパも、少しお休みください。私がおねえ様を見ていますので」
その気迫にも似た堅固な佇まいに、二人はたじろぐように、そしてうなだれるように部屋を出ていった。
「おねえ様……生きていますよね。だって、記憶の網にもいないんですから。そうですよね?」
エラはベッドの側で、姉にそう問いかけながらハッとした。
記憶の網の中で、何らかの姿を持っているのは、生きてそこに居るからだったのだと。
死して記憶の網に送られたならば、それは記憶の断片となり、ただ光る事で何かを主張するように見えるだけになる。
つまり……記憶の網に居ないという事は、生きているという証たりえないのだ。
「あ…………あぁぁ……。私は、なんという……思い込みを…………」
エラは、それだけにすがっていたわけではないのだが、それでも大きな支柱を失ってしまった。
重く冷たい姉の体に、よろめくようにして、しがみついた。
「おねえ様。いい加減に目を覚ましてください。こんなに皆を悲しませて、私のことも悲しませて……だめじゃないですか……」
――お願いですから。
と、祈るように声を絞り出し、エラは姉に添い寝をした。
「嫌ですからね? いつになっても構いませんから……きっと、その目を開けてくださいね?」
すぐ側の暖炉が、新しくくべられた薪を頬張り、転がるような炎を燃やしているというのに――姉の部屋は冷え切っている。
エラはこのまま、無理にでも眠ってやろうと思ったからこそ、この寒さに気が付いたのだった。
「……こんなに薪がくべられているのに……窓でも開けているの?」
だが、ルネの部屋は暗殺者対策のために、はめ殺しになっている。
一ミリの隙間も無いように。
エラはそれを、明らかにおかしな事だと感じた。
「この寒さって……もしかして、おねえ様の体が、そうさせているんじゃ……」
そう考えたのは、横になったそのベッドさえもが、本当に冷たかったからだった。
とてもではないが、眠る事など出来ないほどに。
「それなら、体は何かをしている? そういうことよね? それってつまり、おねえ様は……やっぱり、生きているのよね?」
物言わぬ姉に、もしくは体そのものに、エラは問うた。
「お……起きてよ! 何してるのか知らないですけど、起きてよぉ! ほんとにみんな! 心が引きちぎられるくらいに! 痛くて苦しくて……こっちが死んじゃいそうなんだからぁ!」
エラは泣きじゃくりながら、その横たわる姉を強く揺さぶった。
さっきよりも、まだ冷たくなっているのではないかと感じるその体を。
「起きて! 起きてってば! おねえさまぁ!」
その揺さぶりが、まさかルネ本人に届く事は無かったはずだが――。
『ケイコク。ショウゲキヲハイジョサレタシ。リブートニヨルフォースドスリープチュウ。ショウゲキヲハイジョサレタシ。リブートシュウリョウマデ、ノコリサンジュウジカン』
――チープな機械音声が、ルネの体からそのコトバを発した。
「えっ……? 今、何か言ったわ。衝撃を排除と、途中の意味は分からなかったけど……最後は、のこり……三十時間と言ったわよね?」
エラにはそれが、目覚めるまでの時間であると直感的に察知した。
言うなれば、ただの女のカンであったが。
それが死ぬまでの時間ではなく、間違いなく目覚める時間だと感じたのは、ルネと共にした時間の長さ――そのお陰だろう。
「もう……おねえ様ったら……。どれだけ心配して、どんなに苦しかったことか……」
そこで緊張の糸が切れたのか、エラはそのまま冷え切ったベッドの上で――その大切な姉の隣で――気を失うようにして、眠ってしまった。
**
「困った娘どもだ」
エラが眠りについて少し。
アドレーが様子を見に来ると、エラが寒そうに、しかし微笑んで眠っているの見つけて、抱え上げていた。
「……えらく、安心しきったような寝顔だな……。まさか、ルネの声でも聞いたのか? それとも、僅かにでも動いたか?」
すぐに、叩き起こしてでも聞きたい。
それが素直な気持ちであっただろうに、アドレーは暖炉の前に膝立ち、冷えたエラの体を温めるだけに止めた。
「随分と体を冷やしおって。……だが、暖炉は薪をくべた所だというのに」
アドレーも不思議には思ったが、エラを温める事が、今は優先すべき事だった。
「お前が起きたら、尋問してやるからな?」
そこにルナバルトも現れ、ちょうど耳にしたアドレーの言葉に反応してしまったらしい。
「随分と、物騒な事を楽し気に仰る……」
何かの冗談だろうとも、今ではないのではと、少し怪訝な顔をして。
「フッ。なに、この娘がえらくご機嫌な顔で寝ておるからな……。ルネが一瞬起きたからではないかと、それを聞くためにこやつが目覚めるのを、待っているのだ」
「なるほど……そういうことでしたか」
そう答えるルナバルトは、半信半疑に苦悶の表情を歪めるだけだった。
「エラをベッドに運んでこよう。ワシもそのまま仮眠を取るから、お前はルネの側に居てやってくれ」
アドレーは少し気を利かせたのと、自身も少し安堵したのか、やっと仮眠を取る気になれたのだった。
「はい。おやすみなさいませ」
「ああ。……ほどほどにな」
**
エラが目覚めたのは、お昼前だった。
夜中にようやく深い眠りについて、そのままぐっすりと……全く起きなかった。
その早朝には目覚めていたアドレーは、もどかしい気持ちのままグラスに火酒を足しながら、食堂で足を揺すりながらずっと待っていた。
さすがに起こしてしまおうかと、大きな体を椅子から離した所で、エラが走り込んで来たのだった。
「ぱっ! パパ! 聞いてください。あと三十時間ほどで、おねえ様はきっと目覚めます!」
一気にまくしたててから、エラはアッと言って、それから時間を訂正した。
「えっと。とにかく、明日の今頃か、もう少し前の時間には目覚めるはずです!」
「あの馬鹿娘がそう言ったのか!」
アドレーは、エラの確信を持ったその口ぶりに、期待を抑えられずに少し怒鳴り声を出してしまった。
「すっ、すまん! それで、ルネが一度起きたのか?」
エラは顛末をアドレーに話し、そして急いでルナバルトにも話しに行った。
彼はまだ、ルネの部屋で寝ずの番をしているままだから。
**
――そして翌日。
ルネの寝室には、主要な人間が集まっていた。
エラとアドレー、ルナバルトの三人と、侍女のアメリアとフィナ。
誰もがルネの死を覚悟した。
それが、もうすぐ目覚めるだろうというのだから。
ただし、期待と言うよりは不安に包まれ、不確実な現状のせいで雰囲気は良くなかった。
一人、エラを除いては。
「大丈夫です。おねえ様はぜったいに、目を覚まします」
その確信を持って、ルネの一番傍に陣取っている。
「お目覚めになったら、一番に私を見てもらうんですから」
皆が暗い表情のままなのを、気に入らないと言わんばかりにエラはそう言った。
そして、何の気はなく姉の手を取った時だった。
「あれっ……。冷たくありません」
その言葉の意味が、皆にはすぐに響かなかった。
それに、その手を大した重みなく、手に取れている事も。
「…………エ……ラ?」
ルネの声に皆は――特にエラは、息を呑んで声が出なかった。
そのまま感極まり、次には嗚咽と涙しか出て来なかった。
「エラ……どうし……て……泣い……てるの」
まだ上手く喋れないのか、ルネの声は途切れ途切れで、状況もよく分かっていないらしい。
自分が倒れた事も、ずっと意識不明だった事も。
「ルネ! この……大馬鹿者が……」
アドレーは、膝から崩れ落ちた。
それ以上、何も話せなくなるほどに男泣きをしている。
ルナバルトはやっとの思いでベッドまで歩み寄り、ルネの頭を撫でるので精一杯だった。
やはり言葉なく、ルネを見つめながら涙している。
その彼らの後ろでは、アメリアとフィナも寄り添いながら泣いていた。
「私……。そっか……倒れて、しまったのね。……ごめんなさい」
おぼろげな記憶を辿っているのか、ルネは困惑の色の方が強かったが。
ただ、大切な皆に囲まれて、涙で迎えられている事に、とても温かな気持ちで満たされていたのだろう。
皆と同じように、ルネもまた涙を零した。
***
皆……私のために、泣いているの?
……きっと、心配をかけてしまったんだろうけど……心が、ジンとする。
状況がよく、分からないけど――涙もあふれてしまう。
『オーバーヒート急冷システム正常終了。強制睡眠解除。全機能再起動完了。宙の瞳リンク、及び全システム正常。これより空の瞳の全機能が使用可能です。ただし脳機能の七十パーセントを使用。容量オーバーに注意』
唐突ね。
でも……そういうことか。
空の瞳という、衛星全てが何らかのシステムという膨大な情報と、一気にリンクしてしまって……きっと、私という意識を遮断していたとか、そういうことね。
行動出来ないくらいの処理を、もしかすると数日かけてしていたのかも。
「あの……私、何日くらい……」
なんとなく状況を察して、聞いたのがまずかった。
「おっ……おねえっ、さまっ……。うっう。ひっく…………。いっしゅうかん。……一週間です。皆が、どれだけ心配したことかおわかりですか!」
エラが、本気で怒ってる……。
「ご、ごめんなさい」
「ごめんなさいじゃありません! ほんとに……(息もなさらないし)、でも高熱で……そしたら今度は冷たくなってしまうし。どうしたらいいのかも分からなくて、本当に……しんじゃったかと思ったんですから」
途中でヒソヒソ声になったのは、後ろにフィナとアメリアが居るからだろう。
そして、そこからはもう皆からお叱りというか、無事で――生きていて良かったという愛情を、たくさん貰った。
私としても思いがけないことだったけれど、こんなに心配させてしまったことには、本当に申し訳なさでいっぱいだった。
でもそれ以上に……愛してもらえていることが、私には一番……心に響いている。
こんなに大変なことにならないと、ちゃんと受け取れない私で、ごめんなさい。
「愛してくれて、ありがとう……。ごめんなさい…………ありがとうございます」




