第二章 二、環境と立場(四)
――結局の所、何事もなく王都に到着した。
二日間お風呂に入れなかった事が唯一のストレスだった。と言えるほどに、快適な道中にしてくれていた。
トイレや食事の休憩も、恐らく屋敷にいた時の生活リズムに合わせてくれていた。
(恐ろしいほどの厚遇に、正直ビビっている)
「エラ様、街並をご覧になりますか?」
城壁を抜けたのだろう、何となく雰囲気が変わった気はしていた。
「は……えぇ。見たいです」
咄嗟に「はい」と言いかけて、ギリギリの所で言い直した。セーフだったようだ。
小さな窓から覗くと、商店が並ぶ大きな通りを人が行きかい、生活している姿が流れていく。
想像していたよりも、かなり整備されている。
馬車の通る車道と歩道とが、等間隔に植えられた樹木によって完全に分けられているし、区画は道路を軸に作られていてスッキリとした街並みだ。
パンを焼いている良い匂いもした。
建物は、大き目のレンガと木を上手く使っていて、二階建てくらいのものが並んでいる。
(西洋風というか、近代に近いというか。もっと様式に詳しければ、色々と分かったかもしれないな)
自分の知識の無さに、少し残念な気持ちになった。
「いかがですか? 何か気になるものとか、ありますか?」
フィナは案内をしてくれるつもりだろう。食い入るように窓を覗くオレに、美味しいデザートのお店があるのだと教えてくれた。
「フフフ。甘いものを食べたそうな顔、してましたか?」
パンの匂いにつられていたのは、否定出来ない。
「ちょうど、今走っている大通りにあるので、つい」
そう言って照れるフィナは、可愛らしかった。いつでもクールな感じだが、甘いものは誰もが虜になるのだろう。
「フィナは、今どこを走っているか見なくても分かるんですね」
「ええ、速度があまり落ちていないので、大通りだろうと」
(なるほど)
そういえば王都近辺の地理と、王都の地図を散々勉強したのに失念していた。
お義父様はこの不甲斐なさを、どう思っただろうかと恐る恐る振り返ると……アゴを少し上げて、冷ややかにスーっと目を細めてオレを非難していた。
「すみません……」
観光気分でいっぱいだった気持ちを、咄嗟に謝った。
「今日は、デザート抜きだな」
お義父様はいつもの優しく低い声で、ニヤリとして言った。
「え……冗談、ですよね?」
ショックを受けているオレを見て、向かいのフィナはクスクスと笑っている。
「さぁな、お前を連れ帰る事は、料理長にまだ伝えておらんからなぁ?」
とぼけた顔をして、この人はこんな事を言う。
「またそうやって、大事な娘をからかうんですね」
頭を寄せて、お義父様の肩にコツンと当てた。オレも負けてはいられない。
「はぁ、お前もリリアナやシロエに似てしまったか。預ける場所を間違えたかもしれん」
二人のこんなやり取りを見て、フィナは幸せそうに笑っている。
「フフフ。食事の時にデザートが無かったら、後でお部屋にお持ちしますね。ついでに、料理長に私の分もお願いしちゃいます」
お義父様のお屋敷でも、皆の関係性は良いみたいだ。
物騒な話を聞くのに、出会う人は皆良い人しかいない。
好ましいものだけを見せてもらっているのか。それとも、危惧するほどの事柄は、実はほとんど無いのか。
(出来れば、後者であってほしいなぁ)
そんな話をしているうちに、お義父様のお屋敷に到着した。
「ファルミノのように、大きな屋敷ではないぞ?」
そこにあるのは、『お屋敷』と聞いて想像するような、適度なサイズの屋敷だった。四階建てくらいの高さの、小規模マンション的な大きさだ。
(それでも大きいけどな……ちょっと安心した)
「あちらは、お屋敷というよりもお城っぽかったですもんね」
初めて見た時は、この世界の常識を疑いそうになったものだ。
「そうだ。あれは王都を模倣して作った城塞都市でな。サイズは王都に敵わんが、機能的には引けを取らん」
そういう事だったのか。お義父様が造った街だという事しか知らなかった。
「おとう様は、やる事の規模が凄すぎます」
「だろう?」
お茶目に笑う姿は、本当に三十代の半ばくらいにしか見えない。年齢や寿命の事だけは謎だ。聞くのが恐ろしくなって、実はまだ誰にも聞いていない。
皆の中では当たり前で、オレだけが知らない常識というのは、直面すれば分かる。本当に聞けないものだ。普通の神経で聞けるものではない。
(オレもそれだけ、何百年も生きるかもしれないって事だろ? 感覚がマヒするまでは受け入れられんよ)
「どうした?」
複雑な顔をしていたのだろう。お義父様は鋭いからすぐにバレてしまう。
「いえ。想像していたくらいの大きさに、安心していた所です」
赤茶色のレンガで仕上げた重厚感のある建物を中心に、五十メートル程度の庭が囲うように広がっている。
それを壁で囲っているが、ファルミノのような城壁ではない。
強度的な厚みと仕切りとしての高さは十分にあるが、見張りを立たせるような造りにはなっていない。
単純に周囲の敷地との、境を作る役割が主なのだろう。その代わりに監視兵が、庭の中を結構な数で巡回している。
そんな中を、玄関前まで馬車で入ってきたのだ。
そういえば、重騎兵が十騎ほど居るが、他の部隊は居なくなっている。
「いつまでキョロキョロしておるのだ。入るぞ」
その言葉を合図にしたかのように、別の騎士が扉を開いた。御者をしていた人だ。
馬車で揺られているような感覚を残したまま、お義父様に続いて屋敷に入ると、広い玄関ホールがキラキラと輝いていた。
それに照らされて、出迎えの執事や侍女達もキラキラしているように見えた。
いくつものシャンデリアが、かなり低く吊られているからだった。
二階まで吹き抜けで造ってあるが、一階の天井高くらいまで下げて吊っている。
奥には幅広に造られた階段があるが、そこは逆に、少し暗い感じだった。
「公爵様、エラお嬢様、お帰りなさいませ」
『お帰りなさいませ』
執事が述べた後に、侍女達も続いた。皆、きっちり揃って頭を下げている。
(こういうのって、気恥ずかしさと憧れが入り混じるなぁ)
ファルミノでは外出が無かったため、こんなに仰々しい出迎えは初めてだ。
危うくお辞儀を返しそうになりながら、少しだけ首を傾けて会釈で返した。
とはいえ、どこまで進めば良いのか分からないから、お義父様の後ろを緊張しながら付いていく。
「部屋が少なくてな。適当な部屋ですまんが、我慢してくれ。フィナに付いて行くといい。ワシは少し用事がある。また食事の時にな」
お義父様は階段の手前でそう言うと、おそらくは書斎か自室かに向かってしまった。
何か考え事をしていたのか、オレを見ずに、少し上の空のようだった。
「では、ご案内いたしますね」
フィナに連れられたのは、三階の一室だった。
通路を挟んで部屋が並んでいるが、その片方には扉が一つしかない。逆側は三つあるというのに。
「こちらです」
案内されたのはもちろん、一つしかない方の扉だった。
「広そうですね……」
慣れない場所に緊張しながら、フィナが開けてくれた扉の奥へと進んだ。
「リリアナ様のお部屋よりは小さいかもしれませんね」
フィナはそう言うが、どちらも広くて分からない。
一定以上に広い部屋というのは、もはや差の分かるものではないなと思った。
「それより、ここは……」
落ち着いた雰囲気で、そして花の良い匂いがする。
先ず、厚みのある絨毯が、入った瞬間から格別な気持ちにさせてくれる。
足元を適度に沈ませてくれる感触が心地良い。それは落ち着いた深いグリーンを基調に、様々な花の模様が描かれている。
どのように織り込めば、これだけ見事な柄になるのかは想像がつかない。
逆に、壁はシンプルなオフホワイトだ。
しかし、よく見ると葉をモチーフにした模様が見える。そのわずかに出来る陰影が、壁ひとつとっても味わい深さを出している。
調度品は落ち着いた木目調で、磨き上げられて出た艶が嫌味の無い高級感を出している。
だが、ソファにはクッションが多いくらいに置かれ、そこだけはまるで、使う人が本当に安らぐ場所なのだという主張がある。
(お義父様の趣味の良さと、オレが気軽にくつろげるようにという、気遣いが手に取るように分かる……)
「……適当に用意したと聞きましたが……すごく、準備してくださってますよね」
部屋の用意ひとつとっても、目が潤んでしまうほどの愛情を感じる。
「フフフ、そうですね。そう思います」
「……素っ気ない素振りで言っていたから、ちょっと安心していたのに」
そう言うと、フィナが先生モードになったのが分かった。
「エラ様、いけませんよ。エラ様はこの国の、大公爵の娘なんですから。
いつまでも庶民気分では、他の貴族にバカにされかねません。
外の者は、エラ様の様子を見て愛くるしいと思う者ばかりではないのですから」
そうか、オレの感覚は、庶民のものだったのか。
(って、当たり前だろ)
「そうは言っても……。こんなの、慣れてしまうのも怖いです……フィナが私なら、慣れてしまって満喫できちゃうものですか?」
これまでは主に、リリアナとシロエが話し相手だったから、庶民の話が聞きたいと思った。
「えぇ……その、私も侯爵家の出なので、ここまでの事はなかったですが、それなりに……」
オレの出自に遠慮したのか、濁すような口ぶりでフィナは言った。
「え~……。もしかして、リリアナのお屋敷も、ここも、侍女って皆、貴族なの?」
言われてみると、王家の侍女なんかは出自のしっかりした貴族の娘がなる、というのは聞いた事がある。
「大公爵ともなると王家に次ぐ家柄ですから、貴族以外が仕える事は少ないと思います。騎士はまた別のようですが。……あと……エラ様を愛くるしいと申し上げました……」
「……うん……ありがとう」
(フィナどうしちゃった?)
少し話がかみ合わなくなってしまったが……要は、とにかく振舞い方と、頂いたものを受け止める度量が必要だと言いたいのだろう。
贅沢だというのは、フィナも感じてはいるようだった。
(それにしても、皆貴族だったのか……逆に、なんでそうじゃないと思ってたんだろうなオレは)
リリアナやお義父様のような振舞いの人が貴族で、それ以外は貴族ではないような思い込みをしていた。
「それはそうと、フィナ」
「はい」
お屋敷に着いたら、聞かなければと思っていた事がある。
「お風呂って、ありますか?」
道中、体は拭いてもらっていたが、あるならお湯で洗いたい。
「ありますよ。ファルミノのような温泉は出ませんが」
「やったー!」
嬉しさで飛び跳ねてしまった。
「もう。エラ様、はしたないですよ」
そう言うフィナも、紫っぽくもある青い目の潤んだ輝きが、オレと同じくらい喜んでいるように見えた。
――「面白い」 「続き!」 「まぁ、もう少し読んでもいいか」
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どうぞよろしくお願い致します。 作者: 稲山 裕
週に2~3回更新です。
『聖女と勇者の二人旅』も書いていますので、よろしくお願いします。
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