第九章 二十四、記憶の網と人魔の力
第九章 二十四、記憶の網と人魔の力
……もう何分も経ってるのに、エラが来ない。
この記憶の網の中は、満点の星が綺麗だけど……天も地も星々、右も左も星々。宇宙空間の中に放り込まれたみたいで、不安でたまらない。
「随分と暴れるつもりらしいなぁ、世界の敵よ」
この声は、エイシア。
巨大なトラ柄のネコのくせに、念話の声は妖艶な雰囲気の女性のものだ。
その上、偉そうで仰々しい話し方だから、それを聞き間違えるはずがない。
「エイシアがここに連れて来たの? 早く出して欲しいんだけど」
声のした方は、確か後ろだったような気がして振り向きながら言うと、そこには長いストレートの銀髪を胸まで垂らした、赤目の妖艶な女性が凛と立っていた。
真っ白な生地に淡いブルーの大きなトラ柄は、エイシアの原寸大のどこかを切り抜いたようなドレスだ。露出こそ少ないけれど、豊満な体からは女性特有の色気が滲み出ている。
「何を面食らった顔をしている。我はただのトラではないと言っているだろう」
「……元は人魔だったの?」
「いいや? だが、ここは記憶の網。誰ぞの記憶から借りたものよ」
わざとらしく長い銀髪をかき上げ、胸から背中へと流した。ただそれだけなのに、妙に目を引くし、とても魅力的に感じてしまう。
「魅了を使っても、私には通じないわよ」
「おや、我は何もしておらんぞ? そんなに硬くならずとも、今はまだ何もせぬわ」
表情も声色も穏やかなのに、背すじがゾッとするような迫力を感じてしまう。
私はボロボロの飛べない鳥なのに、あいつは人の姿をしているからかもしれない。
「まだ、って……。それより。この記憶の網って、一体何なの?」
こんな所で時間を潰していないで、早く衛星を操作しないと……。
そう思っているのに、この場所について聞いておいた方が良いと感じてしまった。
「ここは……記憶の墓場だ」
「………………って、それだけ? 続くのかと思って待っちゃったじゃない」
「貴様にこれ以上説明したところで、関係なかろうが」
呆れたような顔をして、面倒そうに答える姿は、やっぱりエイシアだ。
なのに、見慣れない美女の形をとっているのは、どういう意味なんだろう。
「相変わらず私には冷たいのね。エラには優しいくせに」
「はぁ……。貴様が危ういから、こちらも相応の態度になるのだ。貴様のせいであろう」
「どういうこと? 私の、何が危ういっていうのよ」
「その憎悪、いつから溜め込んでいる。記憶の欠片に影響されて、たった今暴走しかけたのを覚えておらんのか?」
暴走って、そんな大袈裟な――。
「攻め込まれたから、やられる前に滅ぼしてやろうと思っただけよ」
そうよ。はやく操作の続きをして、隣国だけではなくて、戦争を企んでいる国を全て滅ぼしてやるんだから。
「己の無様な姿を見るのは、さぞ嫌だろうがな。今ここで自覚し、制御するつもりがあるなら考えてやろうと思ってな。まあ、エラの願いだからそうしてやっているだけだが」
「やっぱり、エラにだけ優しいのね。別にいいけど。それよりもここから早く出しなさいよ」
「ふん。目覚めればまた、暴れることだろう。そのままでいるつもりなら、即座に狩ってやるが」
……思い出した。
「嫌なことを思い出したの。ずっと昔の、もう、どうでもいい記憶。それが何か、イライラして……」
「それで世界を滅ぼされてはな。我は調整者として、黙ってはおれんわけだ」
「じゃあ、私のこと……殺しに来たんだ」
「その通り」
言ってくれるじゃない……。
でも確かに、ここでは不利だ。
ボロボロの鳥の姿では、エイシアに勝てるわけがない。
せめて現実に戻らないと――。
「……悪いけど、私はまだ死ぬわけにはいかないの。皆を、この体で護りたいから」
「ほう? そのボロボロの体で頑張るのか」
「っ……。だから、現実に戻してってば」
「さて、我は使命を果たすとしよう」
妖艶な美女姿のまま、エイシアは悠然と歩いて近付いてくる。
「待って! そんなのずるい! そ、それにこんな場所で殺しても、実際には死なないはずよね?」
「言ったであろう。ここは記憶の墓場。ゴーストが最後に辿り着く場所。全てが断片となり、最後はただの記憶となる」
「じゃあ……ここで死んだら……」
「その辺に、記憶の欠片として残り続ける」
「い……いやよ!」
「嫌と言われてもなぁ。貴様は世界の敵だ。見逃すわけにもゆくまい。それに……時が来れば皆もここに来るのだ。どちらにせよ、死ねば意識などないのだから」
「いや……いや!」
何なのこいつ……何なのよ。まるで死神みたいに。
「はぁ……。貴様はガキのようだ。じたばたと我儘にもがくだけ。うるさくて敵わん」
何とか意識をそらすような会話をしないと……このままだと本当に殺されかねない。
「と、とか何とか言って、ほんとは殺したりしないんでしょ? だって、私はまだ何もしてないんだし……」
「随分と女々しいことを言う。以前はあれほど我を殺そうと息巻いていたくせに、武器がないと戦えぬか」
「あ、当たり前でしょ! あんたみたいな巨大なネコ、素手で戦えるわけが――な……」
前は――護るためなら、自分の命なんて微塵も気にならなかった。
でも今は、自分のための、命乞いをしようとている……。
「その顔は思い出したか? 最初に出会った頃なら、貴様は首だけになろうとも戦う。そういう覇気を感じたのだが」
「……うるさい」
ここじゃなければ……。ボロボロの鳥の姿ではなくて、オートドールの体なら……負けるわけがないのに。
卑怯な戦法をとっているのは、そっちなのに。
――イライラする。
「ふっ。その怒りに任せた不遜な態度、本性を現したな。貴様は己の弱さを隠すために、借り物の力を振るおうとしていただけだというのに。――滑稽だな」
「うるさい! 放っておいてよ! 私は復讐するの。ダラスの分も、そう。私の大切な人を奪おうとするやつらは、もう予め、間引いておけばいいのよ。ていうかそもそもがもう、攻め込まれたんだから! 悪いのは全部向こうなのよ!」
だから、私たちは正しい。
「それで、世界のほとんどを焼き尽くすのか」
「そうよ! でないと……だって……それじゃあ、ダラスの怒りはどうすれば報われるというの! 彼は……何千年も足掻き続けることになった! 戦争のせいで! それなのに、戦争がまた起きようとしてるのよ!」
「……人間の戦争で、報われるものなど一つとてあるものか。それに、他者のせいにして貴様は責任逃れとはな。ますます見下げたものよ」
……ひとのせい?
違う、私は……というか、何だろう。この場所のせいか、ものすごく眠い。
「わ、私だって、ずっと苦しかったのよ。だから……」
だから、こういう時くらい……力をふるってもいいのよ。
「貴様の心にあるのは、世の人間どもに対してではなかろう。それを他者にぶつけるのは、八つ当たりというものだ」
「それは! …………そうかも、しれないけど」
「話にならんな……ここまで頭が悪いとは。まぁよいわ。――愚か者よ、貴様が望むなら古代の兵器を使うがいい。だが、その瞬間に我は貴様を葬る」
――兵器を使えるということは、ここから現実に戻るということ?
それなら……オートドールの体なら、負けるわけがない。
「それでもいい。そうすれば、リリアナを……この国を狙うバカは居なくなるもの!」
「会話がブレておることさえ気づかぬか? はぁ……そうか。だが愚か者よ、この戦争を引き起こしたのは、この国の内部からだ。それらからは護ってやらなくても良いのか? 貴様が死んだ後に、貴様の護りたい者が狙われるのは……仕方なしと諦めるのか?」
「それは! ……そんなの急に言われても……分からない」
……眠い。
――でも、それについては確かに、エイシアの言う通りだ。
敵国と繋がって、敵兵を招き入れたのはこの国の人間だった。
「貴様はその力で、護りたい者を護るのが使命だったのではないのか」
「どうしたら……いいのよ。今ならちょうど、ダラスの恨みも、私の怒りも、全部を晴らせるのに。エイシア、あなたさえ居なければ……報われたはずなのに」
「不憫な愚か者だな、貴様は。我とさえ戦いを避けるか。我にさえ、その奥底に蠢く憎悪をぶつけられぬのか。だから、見た事も会った事もない他国の人間にぶつけて、それを晴らそうと? だが、そんな事をしても貴様の憎しみは消えはせんぞ。せいぜい、後悔に苛まされて生きるか、ぶつけてもぶつけても気が晴れぬと怒りを振り撒き続けるかの、どちらかになるだろうな」
「私のこと、分かったみたいに……言わないでよ」
何だろう……。話が、ごちゃごちゃとして……考えるのがおっくうになっていく。
「我は、貴様は後者になると見ている。その力で傲り、他者を踏みにじることでしかウサを晴らせぬようになるのだ。ただの人間であれば嫌われ者で済むだろうが……貴様の力は看過できぬ。我の使命として、ここで貴様を排するとしよう」
……とっても、眠い。
「い、いやよ。エラとも、リリアナとも、まだ離れたくない。おとう様も悲しませるわ。ルナバルトも、また失わせてしまう……」
……急に、大切で愛しい人たちが鮮明に……頭の中をぐるぐると。
「ならば、その怒りを鎮めるのだな。貴様と、金属片の分もだ」
――ダラスの怒りも、叶えてあげたかったのに。
なのに……大事な家族に、悲しい想いをさせたくないと思ったら、兵器を使うかどうか……迷ってしまっている。




