第九章 二十一、宙の瞳
第九章 二十一、宙の瞳
ハーフヘルメット型のそれをかぶると、視界が塞がった。
前後逆かと思ったけれど――。
「うっ……。これは…………」
――塞がるのが正解らしい。
……クモの目が、どうして八つも付いているのかが分かった。それぞれに映る視野を、ひとつの像として見ているのだ。
ひと言で言うなら、『立体空間の全てが視野』になっている。
例えば、人は水平正面と真上は、同時に見ることが出来ないけれど……クモはその目に映るものを同時に見ている。
上を向かなくても上が見えているし、もちろん正面も、左右も同時に見えている。
いわば、ほぼ球体の全方向が、視野として機能しているのだ。
人の脳機能では……もしかすると、すぐに頭が痛くなるかもしれない。
死角といえば、後ろくらいかしら。
それでも、体の角度を少しだけ変えれば事足りる。
ただ、これが実際のクモの視野なのかは知らないけれど。
このスパイダーの機能に接続してみたら、「そう見えた」ということだ。
「……でもやっぱり、一人で見続けるには疲れるわね。それに加えて操縦するとなると、戦うなんて数分も出来ないかもしれない。やっぱり、慣れてる視野でないと普通に辛いわね」
その広すぎる視野に加えて、様々な情報が可視化されて眼前に表示される。
しかも、右側には右の情報、左には左の情報……。
それらをしっかり認識して理解出来る上に、文字表示もちゃんと全方向で同時に読める。
これに加えて戦闘情報――たとえば敵をロックして熱線を撃つ――なんていうことも行うのだ。
「オートドールの脳が自動で処理してくれているから私は平気だけど……これ、古代の人魔は一人で操れていたの?」
負担が大き過ぎる。
でも……そんなことを言っているうちに、なんとなく慣れてきてしまった。
むしろこれを外した時に、全方位見られないのかと思うと、不安になるくらいに。
二輪や車に乗り慣れた後で、自転車に乗った時のような感じかもしれない。
サイドミラーやバックミラーを探してしまうのだ。
後方を目視でしか確認出来ないのは、とても不便だと感じていたのをふと、思い出した。
「この視野……ほしいかも」
そして、これを操縦してみたいと思ったのだけど……熱線を出す突起も、八本の足も私が破壊したのだった。
「……何も出来ないか」
索敵くらいは出来るけれど、それは私にも出来る。
――そんなことを一人で喋ったり考えたりしていて突然、自分の境遇について思った。
「……どうせなら、チキュウでも女として生まれていれば、色々と悩むことも少なかっただろうになぁ」
――と。
たぶん、視野が高度に刺激されて、頭の中にあった不満や違和感なんかがあぶり出されたのだろう。
元々が女性だったら、この性別の変容という悩みは感じなくてもよかったのだ。などと。
「あっ、でも……。そしたら私、あんな辛いだけの人生……自殺してたかもしれないか」
男だったからこそ、出会った武術に注力することで、気を紛らわせられていた。
いざとなったら、腕力でねじ伏せてやればいいと……強さが心に余裕を生んでいたのだ。
けれど、女に生まれていたら……そういう逃げ道はあっただろうか。
あまり賢くない自分では、何も見いだせなかったかもしれない。
そしたら、この星に……オロレアに私が立つことも、なかったのだ。
「仮に、自殺せずに、同じように飛ばされてオロレアに来たとしても……武術なんてしなかったかもしれないから、そしたら……。オロレア鉱を扱うことなんて、出来なかったんだ」
男か女か、二分の一の確率で、ぜんぜん違う結果になっていた。
「生まれてしまったら、それはもう、ひっくり返せない」
その重要な二分の一――それさえも今は何だか、ダラス・ロアクローヴの執念が導いたのでは……と、思ってしまう。
それから、ルナバルトの奥さんの――愛が。
想う人のために、彼は何千年もの時を、彼女は遥か彼方の距離をこえて。
……何度考えても、途方もなくて、想像さえできないけれど。
一体どれほどの想いがあれば、それらを飛びこえられるんだろう。
「私は……」
私は、ちゃんと生きられているんだろうか。
「……なんだか、急に弱気になっちゃった」
スパイダーの中に吹き込む、その風雪に冷やされて……それで少し、気弱になっているのかもしれない。
厳冬期の強い風は、それに当てられているだけで、冷たいという感覚さえ……閉じていくから。
「だめだ。ファルミノのお屋敷に戻って、リリアナとシロエに甘えよう。さっさと調査しないと。何か手掛かりが見つかればいいんだけど」
――気持ちを、切り替えないと。
はるかはるかの想いに、心をうたれてナイーブになっていた。
凍ってしまったかのような操作盤に触れながら、けれどぼんやりと、眼前に浮き出ている文字たちを眺める。
探しているのは、通信装置について。
「あった!」
通信に関する項目が、今まで見た中で一番多い。
それはドールたちとの通信や、発掘された基地か工場だろう施設、星外通信と、それから各部隊への通信デバイスへの送受信設定、などなど。
軍事用品……というか当時最新の軍用機だから、期待値は高いと思ったのだけど……。
「いや、えっ? え、今、星外通信ってあった?」
項目を流し読みしていたせいで、いくつかページを進めてしまった。
「星外通信って、つまりは宇宙に向けて通信出来るだけの出力や装置が、備わってるってことよね!」
この星の文明は、かなりの長期間の旅が出来るレベルで、宇宙船が存在していたことを失念していた。
衛星という言葉に固執し過ぎていたから、すぐにピンと来なかった。
「――当たりね!」
(これで大きく前進するわ!)
ほぼ不可能に思える、数千年を遡る人探し。
ダラスのご妻子の、その行方を――。
もしかしたら衛星からの写真とか、動画とか、目印を追跡するシステムとか、そうした『何か』があるのではと、期待が膨らむ。
「あった。星外通信」
――《ダラス・ロアクローヴ本人。もしくは権利委任された者だけがアクセス可能》とある。
「私は……その権利を譲渡されてるのよ。動きなさい……ううん、動いて」
選択した項目が、明滅して作動したことを告げた。
「――来た! 動いた!」
……これは、かなりの順調さだ。
本当は一生かかっても、無理だと思っていたのに。
リリアナの護衛とか、おとう様のお屋敷に帰って、おとう様やエラ、旦那様に会う時間とか……そういうのを削って探したとても……無理なんじゃないかと。
『衛星《宙の瞳》にアクセス成功。通信時間残り二時間……』
「えっ? 通信時間に制限? なんで? あわっ、慌てさせないでよ」
――高まる気持ちと、突然急かされる緊張とで、何をすればいいのか分からない。
『補足――月没以降は通信が遮断されます』
「あ、あっ、そうか。そうよね。空は吹雪で見えないけど、月の出ている時間だったんだ」
何を命令すればいいのか――。
「そうだ! ダラス・ロアクローヴの妻子!」
『検索……創造者の家族検索――ブロック。――権利完全譲渡によりパス。引き続き検索します』
「あぁ、そう。そうよ。頑張って! どんな情報でもいい。最後に、どこに居たのかを教えて!」




