第九章 十八、戦禍を胸に刻む
第九章 十八、戦禍を胸に刻む
「ルネ! やっぱりあなたが来てくれたのね。ありがとう」
ファルミノの屋敷で、リリアナは指揮を執っていた。
一階のエントランスを開放して、即席の作戦本部としている。
「ガラディオは、そっちに着いたのよね……? 彼は、無事?」
「ええ。だって、彼が伝令で来たのですから」
リリアナの言葉の真意を、この瞬間は理解できていなかった。
「よかった……。馬にもね、書簡を付けてあったの。ガラディオが命を落としても、馬だけでも辿り着けば伝わるように」
――その言葉は、とても重かった。
それは最悪の事態を想定した、本当に極限の状況下での、強行伝令だったのだ。
……きっと、提案したのはガラディオで、リリアナは、苦渋の決断を下したのだろう。
「そうだったんですね……。ガラディオは大丈夫です。エラが付いてくれていますから」
あの子の剣は、人の体を癒せる。
何せ……リリアナの足が潰れて、パンパンに腫れあがっていたのを瞬く間に治せたのだから。
あの時の私は、まだエラの体で……人魔の力を使うと眩暈が激しかったけれど。
エラなら自分の体だし、普通に使いこなしているだろう。
「そう。彼を失いたくはないから、助かって本当に良かった……。でも、それなら彼の愛馬は……。もう、ダメだったでしょう」
リリアナは、全て理解しているのだ。
鋭い人だから、考えるよりも先に、直感に近い形で読めてしまうのだろう。
「ええ……。着いた時には……。限界だったんでしょう、私が屋敷を飛び出した時には……」
屋敷のすぐ側で、彼の愛馬は横たわって、息絶えていた。
「……彼と、彼の馬には、悪い事をしてしまったわね」
でも、本当に死力を尽くして、命を使って走り抜いてくれたからこそ、私が間に合ったのだ。
「……いいえ。リリアナを、この街を護るために、どうしても必要だったんだと思います。私がガラディオなら、同じことをしているはずです」
城門の装甲は、厚みをまだ少し残していたと思うけれど……時間の問題だっただろう。
敵ドールの熱線攻撃が、私の光線と同じくらいでなくて良かった。
それに、精度の高いあの射撃を抜けて、普通の人間が生きて来られるとは思えない。
ガラディオだからこそ、何をどうやったのか、逃げ切ってみせたのだ。
彼が深手を負っていたのも、彼のハルバードが折れていたのも、熱線を受けてしまったからだろう。
それでも、馬を無傷で護り抜き、彼自身も生きて王都まで走り抜いた。
「ルネは? 怪我はしていない? あんなものを相手にしたのよね」
リリアナは私の体を上から下までじっと見て、そして、さわさわと全身をまさぐった。
「あの、くすぐったいです。ケガはしていませんから、フフ、ほんとにくすぐったいです」
私がいつも、無理をするのを知っているからこそ、怪我を隠していないか確かめているのだろう。
エラだった時から、そしてこの体になった今でさえ、リリアナの中では、私という存在は変わっていないのだ。
それがとても、温かくて嬉しい。
「ほんとに大丈夫みたいね。よかった……」
「ふふ。ありがとうございます。リリアナも……無事でよかった」
「うん。まぁ……ね。でも、貴重な騎士達を八人も失ってしまった。予想外の敵だった。それを、ガラディオがいち早く反応してくれて……。彼が一緒に出ていなければ、出撃した全員が死んでいたわ」
どうやら、最初は討伐に出たらしい。
……詳しく聞いてみると、吹雪の中、城門を激しく叩く音がしたのが初めだったという。
城壁の上から見張りが覗き込むと、白い人形がひとりでに動いて、門を破壊する勢いで殴っていた。
幾重にもなる鋼鉄製の分厚い城門は、最初こそびくともしなかったのが、時折放たれる熱線で変形し、さらに殴られて少しずつ破壊されていった。
そこでガラディオ率いる精鋭部隊が裏門から出撃して、討伐を試みるも……警戒していたはずの熱線で、数人が一瞬で殺されてしまった。
動きを読まれていると知ったガラディオが、すぐさま撤退を命じるも、合計八人が熱線に撃たれて死んでしまったという。
「この街を護るために……おじい様から預かった、大切な騎士達だったのに……。皆、ガラディオの部下で精鋭だった。私も、子供の頃は皆に遊んでもらったりして、家族同然だったのに」
涙を堪えたリリアナの表情は、眉間を歪ませたまま動かなかった。
「リリアナ……」
彼女はきっと、自分の采配を悔やんでいるのだ。
見たことのない敵を相手に、出撃を命じなければ良かったと。
彼女の言葉ひとつ、たったひと言で――命が救われもすれば、失われもする。
その重責は、私なんかには想像もつかない。
「もう少し……待ってね。すぐに切り替えるから」
だから先程の、敵兵の人魔を救おうとして失敗したことなど、言わずにいて良かったと思った。
彼女に言って、どうなるというのだろう。
慰めを期待していたわけではない。
そもそも――リリアナの家族同然の騎士達を撃った、その人魔達を助けるなんて……状況的に考えて、出来ないことだったと言える。
(私がリリアナなら、仲間を撃った敵兵なんて……生かしておかないものね)
そう思うと、敵前逃亡として敵本隊の熱線に撃たれてくれて、良かったのかもしれない。
もし、あの子たちを救った気で今ここに連れて来て居たら……私は一体、どんな顔をしていいのか分からなかっただろう。
本当に浅はかだ。私は。
「リリアナ……」
悲しみの中に居ても、その立場としての振舞いを崩せない彼女に、私はかける言葉を持っていない。
「……ルネが居ると、つい気が緩んじゃう。ごめんね。もう平気よ。敵の残党を叩いておかないとね」
――強い。
彼女は……リリアナは本当に、上に立つ者としての精神が、すでに完成されている。
こんなに、目の下にクマを作ってまで苦しんでいても、今すべきことをしっかりと考えて人を導こうとしている。
「それだけど……たぶん、東の森に居た三百くらいの本隊は、私が焼きました。他にも居るのかもしれないですけど」
(――そうよ。そもそも、私が一番護りたいのは誰? リリアナよ?)
そのはずなのに、戦場で敵に情けをかけて躊躇していたなんて……その隙を作ったせいで、私は撃たれた。
翼のお陰で無傷で居るけれど……もしあの場にリリアナが居たら……それで、もしも撃たれたら――。
そんなこと、絶対にあってはならない。
「や、焼いた? えっと……偵察からの報告は……本隊はおよそ三百、東の森、距離四百メートルに潜む……ってあるわね。ほぼ……壊滅させたのかしら」
「よかった。他にはもう居ないんですね? 到着してすぐに、状況が分からないまま戦闘に入ったので」
(それに……集団戦だった場合に私が戸惑っていれば、他の隊員にも影響を与えて動きを乱してしまう)
そのちょっとした隙が連動してしまって、致命的な一撃を呼び込むことだってある。
集団戦に、今の私のような者が居たら……とんでもない被害を出しかねない。
「こういうのは、何度も偵察を繰り返すものだから、次の報告が来るまで待ってね。それまではここで待機。そうだ、お茶でも飲んでなさい。気を張り続けると、大事な時にミスをするのよ」
「あ……はい、頂きます」
(私も、リリアナと同じくらいの覚悟を持たないと……側に居てはいけないわ)
――何を護るための私なのか。
――誰を一番に護るのか。
(今の、オートドールの力があるからといって、私は何でも救えると思い上がってた)
――リリアナのように大局を見て、最優先すべきことを達成するために……。
(躊躇を捨てる)
――リリアナを護ることが、私の最優先。
――その環境を護るために、リリアナの大局観を知る。
(絶対に、リリアナを護る)
「――報告では、とりあえず……半径五百メートルには敵影なし。ね。よくやったわ、ルネ」
「……ほっ。やっと少し、落ち着きました」
(でも、油断を誘っておいて、本隊さえも囮にした暗殺部隊も、投入しているかもしれない)
索敵モードは全方位で続けておこう。
これは、私がさんざん狙われたお陰の知識だ。
「って、ルネ……一帯が焦土になってるって……何をしたのよ、全く……」




