第九章 五、新しい目標
第九章 五、新しい目標
結婚式から、十日程経った頃。
天気が良いので、お屋敷の広い庭を散歩していると……エイシアが音もなく、不意に目の前に現れた。
――(そろそろ、頃合いかと思ってな)
後ろから風が吹き抜けたのかと思ったら、白銀に淡い青の虎模様が――また大きくなったらしいエイシアが居た。
――(え? 何よ急に。ず~~~っと口利いてくれなかったくせに)
少し斜に構えて、横目で見下ろすその姿は、本当に神獣のように美しいと思った。
――(身も心も、己を完全に委ねられるようになっただろう。気を張るだけの愚か者ではなくなったかと思ってな)
――(……まさか、覗いてたんじゃないでしょうね)
――(ちっ。誰が人間の交尾など覗くものか)
――(こ、こ、交尾とか生々しいこと言わないで)
でも、冷たい態度はいつものエイシアのままだ。
――(はぁ……。見誤ったか。腑抜け過ぎたようだ)
――(だ、誰が腑抜けよ。そりゃあ、少しはこう……甘えちゃう感じではあるけど……)
――(ああ。もうよい喋るな。貴様が知りたがっていた事だけ伝えておく。記憶の網に関して)
――(えっ! あんなに無視してたくせに)
かれこれ半年にはなる。
ちょうど婚約が決まった頃だから、よく覚えている。
エラには話し相手になってあげているのに、私のことは無視をするから悲しかった。
何か嫌われるようなことをしたのかと思って。
――(エラがうるさくてかなわんからな。貴様よりもあの手この手でねちねちとやられたのでは、少しくらい観てやった方が楽だと思っただけだ。貴様のためではない)
――(そんなのなんでもいいの。ありがとう……ほんとはお役目としてダメなのに、見てくれたんでしょう?)
もしかするとたぶん、何かを慮っての結果なのかもしれない。
でないと、記憶の網についてなんて、ひとつも教えてくれなかったのだから。
――(ふん。ただ面倒なだけだ)
――(それでも、ありがと)
――(貴様の力で行先は分かるのだろう? それらに新しい軌跡がある。つまりは、貴様の居た星から届いたのだと考えて間違いなかろう。それらは情報の断片、あるいは小さな言伝。……そこまでしか分からんが)
――(それって……メールみたいなもの? そう言うことよね?)
――(知らんぞ。何であるかは。観えたままを伝えたまで)
――(そっか……。ありがとうエイシア。お陰で、この冬にしたいことが見つかったわ)
――(礼ならエラにでも言っておけ。我は無理矢理動かされただけだからな)
――(フフ。それでもあなたにお礼を言うわ。ありがとう)
――(ちっ。やりにくくなったものだ)
そこまで話をしたら、ふと空を見上げるような素振りをしたと思った瞬間には、目の前から姿を消した。
……動くのが、目で追えないくらいに早くなっている。
おそらく、上に視線誘導された時にはもう、私の視野角の外に出ていたのだろう。
今までなら――それに対して過度な危機感を持っていただろうけど。
今は、最初にリリアナが言ったみたいに、敵対した存在ではないのだと思える。
いや、そもそも……エラと一緒に居ても何も思わなかったのに、どうして自分には敵になるかもと畏れていたんだろう。
「気を張るだけの愚か者……か」
言い得て妙だ。
それが解ける今まで、まともに会話すら出来ていなかったということだ。
(……ルナバルトには、感謝しないといけないわね)
追いかけられて嫌だったのが、追いかけてくれないと嫌になった。
甘えるのも――彼なら全て受け止めてくれて、しかも彼自身の欲も満たそうと狡猾だから――気にならない。
ひと言で言うなら、気楽になった。
どうしてあんなに、神経を尖らせて生きていたんだろう。
エイシアが私を見下げるのも、少しだけ分かる気がする。
――それにしても、リンク可能な施設を、しらみつぶしに見つけていく理由が出来てしまった。
まずは、すぐに行ける生産施設と、エラの剣を作ってもらった施設。
後者は国が管理しているから、立ち入らせてもらえるかは分からないけど。
他には、国の外にしかない。
でも翼を使えば、いくつかは日帰りで行って帰って来られる。
問題は、一日で到達できないくらい遠い所だけど……それは近場のものを探してから考えよう。
ちょうど、冬だから……社交界シーズンが終わった真冬の頃に、おとう様に探しに行く許可をもらおう。
**
「ということでね? 真冬になったら、探しに行きたいの」
ルナバルトに、エイシアとの会話を伝えて、通信が生きているだろう施設を巡りたいと話した。
というのも、彼にこの体のことを伝えようとしたら、おとう様からすでに聞いていたらしいので話が早かったのだ。
初夜から数日して、隠していることにたまりかねて私が打ち明けると、そういうことだった。
だから、普通の人間では耐えられないような環境でも問題ないことも、兵器が体中に仕込まれていることも、彼は全て知っていた。
いつ頃それを聞いていたのかと問うと、結婚が決まった頃にはすでにということだったからその時は本当に驚いた。
彼の目の前で、自分の腕を斬りつけても切れなかった時点で、普通ではないのを承知の上だったとはいえ……この人も普通ではない。
「きちんと帰って来れるんだろうな」
「うん。それは心配しないで。もう、無理なことはしないから。危険なことはしないと誓う」
「えらく殊勝になったものだ」
ベッドの上で、もはや日常となってしまった営みの前に、話を切り出した。
そうすれば、許してもらえると計算してしまったのだけど……。
そういうレベルの話ではなかったと、彼の目を見て理解した。
心配している。
けれど、それでも行かせてくれるのだ。
私を抱きたいから許したのではなく……私のしたいことを最大限に尊重してくれている。
「……あなたは優しいのね。心配なのに、行かせてくれるんだ」
「君を信じているからな」
「……未熟者で、ごめんなさい。きっと心配かけないように、安全にするつもりだから」
「分かっているさ。そう言っても、君は無鉄砲なところがあるのもね」
「もう……。かなわないなぁ」
この人が、結婚相手で良かった。
今は心から、そう思っている。
この人に身を委ねることで、心も委ねていた。
それがどんなに、私のわだかまりを解いてくれたことだろう。
おとう様に、顔つきが柔らかくなったと言われたのも分かる。
確かに目つきが変わったし、口元に優しい笑みが見える。
良いことばかり……。
だから、この人に私が出来ることを真剣に考えた。
体を許すだけではなくて……安心してもらえるように。
それでも無鉄砲さが出るかもしれないけれど、焦らないことを肝に命じた。
もう二度と、彼から私が失われないように。
――ずっと、一緒に居られるように。
エイシアが頃合いを見定めていたのは、まさにそういう所なのだろう。
これまでの私なら、すぐにでも飛んで行きたいと、ルナバルトとおとう様に願い出ていただろう。
駄目だと言われても、絶対に大丈夫だからと無理を通そうとしただろう。
――とんだじゃじゃ馬だ。
そう思うと、娘にしてもらってからずっと、おとう様には心配をかけ通しだったのだと思う。
……今さら謝ったら、驚かれるだろうか。
(逆に心配させたりして?)
でも、これからの行動を見てもらおう。
少しは落ち着いた私を見せて、安心してもらわなくては。
目標……。
新しい目標が出来た。




