第九章 三、結婚式
第九章 三、結婚式
純白のドレスに、煌びやかな宝飾。
最高位の貴族令嬢ともなれば、その輝きでも圧倒すべきだ。
それがおとう様の考えで、私はただ頷くしか出来なかった。
そしてその威光は、『金色の女神』という二つ名に恥じないものだったらしい。
私が玄関から出ただけなのに歓声が沸き起こり、その次には、声を忘れるほどに見惚れるのか、静寂が包んだ。
その異様な雰囲気から逃げ出したい気持ちを抑えつつ、ドレスと宝飾が崩れないようにゆっくりと歩く。
ただ正面を見据えて……揺れるのは、薄いベールだけ。
あたかも浮遊しているかのように、最高の美しさを崩さずに。
未だに続いている静けさは、その流れに呑まれた皆が、私を見た瞬間に跪いていくからだった。
一瞬それは、おとう様に対するものかと思った。
けれど、おとう様は私をエスコートするために、まだ少し先で待っている。
本来ならば、そこからが私の、式への入場となるはずだった。
(やっぱり、私に跪いているの?)
もしくは、オロレアの結婚式では、そういう慣わしなのかもしれない。
もうすぐ、正装したおとう様の側に着く。
黒地に金刺繍の軍服礼装に、数多の勲章が胸に、剣十字の大勲章が腰に光る。
帯剣しているのは、いかなる時も即時対応すべしという、アドレーならでは。
そのおとう様に聞こうかと思っていたら、さらに向こう、ルナバルトの立つ檀上の前に、国王と王妃の姿が見えた。
(うそでしょ?)
国王と王妃がこんなところに、出向いてくれるなどということがあるだろうか。
差し出された腕に、手を添えておとう様に目配せをした。
「見えてしまったか。普通ならありえん事だがな。それだけアドレーと国家の関係が、さらに盤石になったという宣伝のようなものだ」
おとう様は小さな声でそう言った。
「そ、そうなんですか……。それも驚きましたけど……皆が跪くのは、どういう慣わしですか?」
「知らん。だが十中八九、お前の神々しさに自然とそうしたのだろう。うっかりワシも釣られそうになったほどだからな」
ひそひそと話しながら、おとう様はいつもみたいに、ニッと一瞬だけ笑った。
「もう。こんな時までご冗談を」
「ふ。だが、皆の態度は本物だ。ルネ。今日のお前は本当に、女神が降り立ったのかと思うほどに美しい。あやつとの結婚、やはり考え直そうかと思ったほどにな」
「パパったら……」
ベール越しにも、赤くなった顔が分かってしまうのではと思うほどに、頬が熱い。
「さて、無念だがここまでだ」
ルナバルトの待つ檀上まで、あと数歩。
おとう様を置いて進むのが、まるで本当に離れてしまうようで、辛かった。
胸が苦しくなって、一歩がとても重い。
こうなった原因の、ルナバルトが憎いと思ってしまったほどに。
でも、進まなくてはならない。
私の選んだ道。
私が決めた、私に出来得る最大の功績。
――これは必ず、アドレーに良い結果をもたらすのだ。
**
誓いの言葉を済ませると、ベールを上げられて、キスをしたのを覚えている。
いつもの優しい、ルナバルトのくちづけ。
私も少しだけ、甘くねだるように食んだ。
その仕草がよほど皆を刺激したのか、参列者たちから一斉にため息が溢れた。
頬を染めた私の視線に、色香でも見えたのだろうか。
壇上から一瞥した際、女性たちからはさらに、気の抜けた声が漏れた。
それからは、式が終わり披露宴も滞りなく過ぎ、多くの祝辞を頂戴した。
――はずだ。
ただ最初の、国王と王妃からの言葉は覚えている。
「この国の礎となる二人の結婚を、心から祝福する」
明け透けだなと思ったけれど、それこそが単純に強い効果を発揮する。
その他の皆様からの言葉は、どれもあまり覚えていられなかった。
というのも、あまりにも目まぐるしくて、思い返すのも疲れるほどの忙しさだったから。
おとう様からは耳打ちで「そのまま遠い目をしておけ」と言われて、その通りにしていたけれど。
この式で妙な女性ファンが出来たせいで、友達に遠巻きから手を振ることも出来ず、お茶会のお誘いを断るのも一苦労だった。
警備の力で引き剥がしたものの、様子を伺う貴族派たちや、王族派の取り巻きたちとの会話などなど……。
食事を楽しむ余裕などあるはずもなく、神経をかなりすり減らしてしまった。
これが貴族の結婚式なのだと、しみじみと思い知った一日だった。
**
日が落ちて、寝室に戻ってからようやく一息つくことが出来て、軽い食事とお酒を飲んだ。
緊張から急に解放されたせいか、少し熱っぽい。
「もう結婚式なんてしない」
ベッドの上に二人並んで座った途端、私はルナバルトの胸に頭をこすりつけながら、まるで駄々っ子のように言った。
「ハハ。それは俺と離婚しないという宣言かな?」
「そ……そんなことは言ってない」
「新婚なのにつれないな」
「……ごめんなさい」
お酒を口にしたからだろうか、妙に甘えたくなる。
次は肩を寄せて、頭を預けた。
この体に、アルコールが効くのだろうかと思ったけれど、雰囲気に酔ったのかもしれない。
「素直な君はさらに可愛いな。そのまま甘えてくれないか」
「……いやよ。何をされるか、わかったものじゃないもの」
「何なら許されるんだろうな」
「なにって……」
「試していこうか。ただ……嫌だと言われても止めないかもしれんが」
ルナバルトの目が、少し怖い。
今まで半年の間、彼はずっと我慢してきたのだから、仕方ないのかもしれないけれど。
私も体を許すきっかけを、結婚式が済んだらと言っていた。
約束……してしまったことになる。
「ルナバルト様……今夜は、本気なのですね」
「いつだって本気だよ、俺は」
「目が怖い……ケダモノみたい」
そう言って、やっぱり断ろうかと思った。
「フ。本性を見られてしまったようだな」
でも、そんな風に冗談めかして、悪びれずに言われたら……。
「長い間……よく隠し通しましたね」
「君を信用させるためさ」
「すっかり、だまされちゃった」
「ああ、君の落ち度だ。諦めるといい」
許してしまったかも……しれない。
「……ケダモノさんは、優しくしてくれるのかしら」
その答えに、彼は私の頬にそっとキスをした。
それから、いつもの優しいくちづけと……。
その次は肩を抱き寄せられて、頬に手を添えられた。
大きな手が、私を逃がさないと言っている。
さっき諦めろと言われたのが、妙に心の底に落ちた。
(自分を守り過ぎても……ね)
そう思った途端に、気が楽になった。
それに一度抱かれてしまえば、もう怖いものもなくなるだろうと。
「ルナバルト様……」
初めてささやいた、媚びた声色は……なまめかしい響きだなと感じた――。




