第九章 一、朝の日常
第九章 一、朝の日常
ルナバルトがお屋敷に住むようになり、夜を共にするようになって半年が過ぎた。
その間ずっと、エイシアが協力的でない。
記憶の網を見てくれと頼んでも、そっぽを向く。
いつものことだと言えばそうなのだけど……。
でも今回は、何やらもっともなことを言われて返す言葉がなかった。
――(先ずは目先の事を片付けてしまえ)
そう言ったきり、エイシアは一言も口を利いてくれない。半年も。
しかもまるで、私が恋に現を抜かしているような顔をされた。
……夫人の愛も私の中にあることを鑑みると、外れでもないのが苦しいところだけど。
実際、割と要望を呑んでしまいつつある。
身の危険がどうこうというよりも、いつ頃なら許しても良いか、という方向に考えがシフトしているのだ。
それを拒絶するだけの気力が失われつつあるのと、どうにも胸の奥が、キュンと締め付けられて苦しいから。
夫人の愛の強さがうかがい知れる。
それはそうだ、輪廻してまで彼のことを想い続けているのだから。
その因果が、私をここまで運んだのかと思うと……どうにも、私が無下にするのは可哀想でならない。という想いもある。
いっそ、全ての記憶が夫人のものになればとも思うけれど、それだとリリアナへの恩返しが出来ない。
……なかなかに難しい。
いや、その夫人の記憶は無いから、私の問題ではあるのだけど。
つい、楽な方へと逃げたくなってしまう。
ちゃんと向き合わないと、彼にも夫人にも、二人に失礼になってしまう。
(後で、フィナに相談しよう……)
――そんなことを考えながら、食堂で食事をしていると、おとう様が妙なことを言ったのでむせてしまった。
「ごほっ! ヴッ、ごほっ」
ルナバルトが来てから、朝食は皆で食べるようになった。
夕食時はバラバラになることが多いので、なるべく交流の時間を作ろうというおとう様の計らいだ。
「大丈夫かルネ。何をむせているんだ」
「ぱ……パパが変なことを言うからですよ」
「うん? ルナバルトが来てから、お前の表情が柔らかくなったというのは変なことか?」
「そ、そうです。そんなのありえません。……ちょっと、鏡をください」
近くの侍女に言うと、すぐに棚から持ってきて顔の位置に合わせてくれた。
フフ。と微笑んで、何やら楽しそうなのが不服だったけれど。
「……やっぱり、別に以前と変わらないと思いますけど」
しかと鏡を見て、おとう様に反論した。
「ハッハッハ。そんな風にムスっとしたら、そりゃあそうだろう。だが、本当の事だぞ? ルネは見違えるほど柔らかな表情になった。ワシは少し安心した」
「そうですよおねえ様。とっても優しいお顔になりました。それまではまるで、戦場に向かう騎士様のようでしたもの」
「ど、どんな顔なのよそれは」
おとう様もエラも、最近は一緒になって私をからかう。
「フフ。俺の愛が伝わった証拠だな」
「……お前は変わらんのぉ」
ルナバルトの良く分からない自信に対して、おとう様が呆れた顔をする。
そんな情景を見ていると、確かに心が温かくて、嬉しくて、幸せな気持ちになる。
「ほらほら、おねえ様いまのお顔です。鏡をはやくっ」
置きかけた鏡を、侍女がまた急いで持ってきてくれたけれど、そう言われた私は反射的に頬を膨らませてしまったので、むくれた顔しか映っていない。
それを見て皆が笑うものだから、つられて私も笑ってしまった。
「もう。皆で私をからかって。とても楽しそうですこと」
「フフフ。おねえ様も笑っているではありませんか」
口元に手を当てて笑うエラをふと見ると、その横顔が、なんだか大人になったなぁとしみじみ思った。
「エラは……とても綺麗になったわね」
こっそりと私に魅了をかけようとしたり、なにかしらイタズラをするけれど。
「えっ。今度は私をからかうつもりですか? そうはいきません」
そう言いながら、小首を傾げる仕草で私を見上げるようにするのは、エラのクセだ。
それがまた、格段に可愛い。
私とエラが見つめ合う形でじっとお互いを見ていると、ルナバルトが邪魔をした。
「本当に、巷では銀の妖精と金色の女神などと呼ばれているが……まさにその通りだ。二人とも恐ろしく美しい――」
「その先は聞き飽きたぞ。ルナバルト」
「――その女神と結婚出来る俺は……」
「ルナバルト様。それは本当に聞き飽きましたから――」
「……なんだ、最後まで言わせてくれてもいいじゃないか」
そうは言っても、もう何十回と聞かされてはお腹いっぱいなのだ。
それが自分のことを言われているとなると、なおさら恥ずかしさもプラスされるのだから。
「まったく……私は恥ずかしいのです。惚気るのは私の居ないところでしてください」
「なぜだ。お前に一番、俺の愛を聞いて欲しいというのに」
「もう。十分に聞いていますからいいです」
――こんなやり取りが、毎朝のように行われている。
本当に、まるで夢のような毎日で、どんな会話も愛おしい。
ルナバルトの、妙な愛のささやきさえも。
家族の団らんなんて、おとぎ話でしか無いのだと思っていたから。
それがこんな風に、その輪の中に居られるなんて。
夢なら覚めないでほしい。
現実なら、永遠に続いてほしい。
「それよりもルナバルト。もう来週だな。結婚式の準備は滞りないか?」
「はい、お義父様。ここの庭を開放してくださるので、警備も万全です」
「うむ。こういう時に限って、面倒事が起きるからな。特にルネ、お前が今回、一番狙われやすいのだ。気を付けろよ?」
「ええ。というか、私よりもエラを護ってください。エラ、あなたは常に翼を身に付けておくのよ? 剣も。それさえあれば、私でもない限りあなたを傷付けられる相手なんて居ないんだから」
「は~い。でも、お料理はどうしましょう?」
「フィナが運んだものしか、口にしてはダメよ」
毒殺を企てる者は意外と居る。
アドレーが邪魔でしょうがない者が、国内に居るのが腹立たしいけれど。
エラと私が居る限り、アドレー家は潰えない。
だからこそ狙われ続けるし、大きな式の時は警戒してもしきれない程だ。
「とはいえ、ルネの晴れ舞台だ。あまり仰々しくなるのもな……」
「パパ……。いいえ、私のことなんて良いんです。家族全員が、危険な目に遭わないように万全を期すべきです」
「そうか……。だがまあ、あまり心配するな。ワシもルナバルトも、こういうのは慣れているからな。任せてお前は楽しめば良い」
「……フフ。そうですね。ありがとうございます」
確かに、二人とも護衛と諜報、そして戦争のスペシャリストだ。
そこに踏み入ってなお、誰かを暗殺しようなんて動きを見せれば、返り討ちにされた挙句に首謀者まで芋づる式に捕まりかねない。
そんな賭けに手を出す輩は、普通に考えたら居るわけがないのだ。
あとは……私が慣れない式で、疲れすぎてしまわないように気を付けよう。
それにしても、来週にはもう式だなんて、準備で忙しいのに現実味がない。
(ついに……私が結婚するのよね?)
季節は晩秋。
(着飾るにはちょうど良いかもしれない)
木の葉さえ赤く色付いて、純白を際立たせてくれるらしい。




