第八章 三十七、記憶の網
第八章 三十七、記憶の網
人魔の力……それの一体何を練習したのかを聞くと、エラまでもが『記憶の網』と言い出した。
それが何なのか、エイシアは私には教えてくれなかったし、エラも使えるとは思っていなかったから、二重に驚いた。
なんとなく、その言葉のイメージで捉えていたけれど、エラならきちんと説明してくれるかもしれない。
「ねぇ。その、記憶の網ってなぁに? どういうものなの?」
テーブルを挟んだ向かいのソファで、おとう様にもたれるように座っていたエラが小首を傾げた。
その可愛い仕草に、見惚れてしまいそうになるのをぐっと堪えていると、エラは頬を少し膨らませて立ち上がった。
何かご機嫌ナナメになることを言っただろうかと思ったけれど、おそらくはまた、魅了を使ったのだろう。
何度使っても私に通じないのが、きっと不本意なのだ。
「また私に魅了使ったんでしょ」
その言葉は聞こえていません。とでも言うかのように、私とルナバルトの間にちょこんと座り直すエラ。
「おねえ様には、特別ですからね?」
そして私の袖を引いて、耳打ちでもするのかと思いきや、おでこをピタリと当ててきた。
「じっとして、目を閉じてください。ゴーストの想いに、引っ張られないでくださいね?」
言われるままに目を閉じると、意識が飛んだ。
**
「なに……これ」
まるで、満点の星空の中にいるかのような……。
「おねえ様。あまり見惚れてはいけません。それぞれが強い想いを持っていますから」
「エラ?」
その声の主は、一羽の小鳥の姿をしている。
けれど間違いなく、エラの声だ。
「エイシアほど、上手く飛べませんから」
「飛ぶ?」
よく見ると、私も鳥のような姿をしている。
でも、どこかいびつで、羽ばたくための風切り羽が欠けている。
「おねえ様のゴーストは、人工的に切り取られた跡があります。きっと、チキュウから来る時に切られてしまったんでしょう。でも、そのお陰で軽いのですね。私はまだ、重くて上手く飛べないのです」
頑張って羽ばたく小鳥は、一生懸命なのに上手く進めないらしい。
「おねえ様。この景色全てが、ゴースト……記憶のようなものです。それは全部、この中にあるんです」
「この中って……宇宙みたいなこの空間のこと?」
「エイシアが言うには、これは空間ではありません。呼び方も分からないので、ここと呼んでいます」
「……多次元、みたいなものかな」
「よくわかりません。ただ……強く光るものには近づかないでください。引き込まれてしまうそうです」
「……キレイだけど、私はこわくて動けないわ。それで、これが記憶の網なの?」
「そうです。もっと目を凝らせば、網の目が見えませんか?」
「……ごめんなさい。分からないわ」
どんなに目を凝らそうとも、満点の星々の、その中に迷い込んだような感覚しかない。
「そうですか……。私とおねえ様も繋がっていて、その繋がりに触れると記憶が見れるんです。全てではありませんが、おねえ様のゴーストからは、オルレイン夫人の深い愛情とその景色が見えています」
「私にも見えるかしら」
エラが触れていただろう所に、切られた羽を伸ばすと……うっすらと、目の前に大きな写真のような、切り取られた景色が広がった。
そこには、肩を寄せ合っている二人と、まだ小さな子供が見える。
ルナバルトと……おそらくはご夫人とお子さんだろう。
それはとても楽しそうなはずなのに、私の心には深い悲しみと、もう届けられないという心残りの愛情が……伝わった。
「おねえ様、勝手に見るなんて……無理をしないでください。戻しますからね?」
**
「おねえ様。起きれますか? 目を開けてください」
はっきりと耳元で聞こえるエラの声で、ハッと目が覚めた。
「なに? 今の」
いや、聞くまでもない。
あれが記憶の網――その片鱗だったのだ。
空間でもなく、多次元的なところ……。
それに、私の姿はエラと違って、造り物の鳥のようだった。
――思い返せば、死んだ時に見たあの科学者に、記憶を切り取られたような気がする。
転移するのに、余計な記憶は邪魔だったのだろう。
「おねえ様はすぐ勝手に動くんですから。とても怖かったです。どこかに迷い込んだら、私では連れ戻せないのに」
じっと可愛く睨むエラは、本当に怒っているらしかった。
「ご、ごめんね? 羽を伸ばすのもダメだったなんて、思わなくて」
「……記憶の網に入れたのは、私とおねえ様が繋がっているからだと思います。エイシアに頼んでも、たぶん連れていけないと思いますよ」
「そうなんだ」
後でエイシアにも見せてもらおうと思ったのを、読まれたのかと思った。
「あ。そうだ。おねえ様、さっき、今まで見えなかった記憶がありました。この星に降り注ぐみたいに、いくつも、たくさん。今度エイシアと一緒に、見てみますね」
という私とエラの会話を、おとう様とルナバルトは間の抜けた顔で聞いていた。
話しかけるのも憚られる。といった感じの、珍妙なものを見る目で。
「あ、あの。パパ。これは何というか……」
非常に説明しづらい。
「……あ~、いや。かまわん。ワシらには縁のない話だろう、というのは分かったから」
ルナバルトを見ても、同じくという感じで頷いている。
ならばと、私はエラに聞いた。
私の元々のゴーストは、輪廻転生したご夫人で間違いないのかを。
それが真っ白に近い状態でチキュウでの私――ユヅキとなって生まれ、何も知らないまま私が生きて、そして事故死してオロレアに飛ばされた……。
そんな、あり得ないような事があるのかと。
「そんなの、私に聞かれても分かりませんよぅ……」
「ご、ごめん。困らせちゃったわね」
それもそうだ。
意外なところから自分のルーツが分かったせいで、エラがもう、何でも知る存在のように感じてしまっていた。
そのせいできっと、真顔で詰め寄るように言ってしまったのだと思う。
悲しそうに俯くエラの頭を撫でて、ごめんねと何度も謝った。
ともかく、私がオロレアに飛ばされた理由には、やはり何か意味があったのだと確信した。
それは、ご夫人の生まれ変わりだからというだけではなく……他にも何かあるような気がしてならない。
その本質が分かれば、私がここに飛ばされた意味、ここで本来すべきことが判明するのだと思う。
私を飛ばすことと、ここで生き残る可能性を広げることに貴重な情報を割いて、肝心の理由を告げなかったあの科学者。
伝えるはずだったのに、何らかの理由で出来なくなったのだと、今なら確信する。
……知りたい。
私に何を求めて、ここに送り込んだのかを。




