第八章 三十六、遠き想いを伝う(一)
第八章 三十六、遠き想いを伝う(一)
前夫人の想い……これはやっぱり、伝えておかなくてはと思う。
そうすることでこそ、完全に報われるというものだろう。
そんな風に考えていると、ルナバルトから意外な言葉を伝えられた。
「ルネ。こんな事を言うと、怒らせてしまうかもしれないんだが」
「あら、なんですか?」
「君にキスされている間、前の妻を思い出していた。その……キスの仕方が、そっくりでな」
驚いたことに、伝えるまでもなく伝わっていた。
「……そうなんだ」
「すまない! 比べたとか、そういう事ではないんだ。ただ……別人とは思えなくてな」
キスで思い出すなんて、甘美で官能的な愛だこと。
「フフ。謝る必要なんてありません。そんなことは気にせず、むしろもっと教えてください。あなたの……ご夫人のこと」
「寛大なのだな」
普通なら、嫌がるのかもしれないけれど。
彼に対する情が無かったからこそ、誰もかもの折り合いがついているのだと思うと、不思議でたまらない。
「その……というか、ルナバルト様――」
やっぱり、私の中には確かに、自分の感情とは別の想いがある。
彼に対する愛おしさ、情愛といった強い想い。
「――やっぱり……そうですね。これはお伝えしておいたほ方が良いですね」
「うん?」
「どうやら私の中に……何というか、おそらくは私は、ご夫人の生まれ変わりのようです。信じ難いことですが」
「何を言っている。どういう事だ?」
「あなたにくちづけをした途端、あなたに対する抑え難い情愛が湧いたんです。それに、あなたへの切ない想いも。こんなこと、私ではありえませんから」
「だから、生まれ変わり……輪廻したと?」
自分で言っておきながら、滑稽な話だとは思うけれど。
「そう思いました」
彼は暫く、考え込むように目を閉じた。
その眉間に寄った皺も、難しい顔をしているのも、今は何もかもが懐かしくて、愛おしいと感じてしまう。
こんな感情が、つい先ほどまで嫌っていた私に芽生えるはずがないのだ。
だからこそ、ご夫人の生まれ変わりなのだろうと……。
「理解し難いが……ルネの、俺に対する嫌悪は本物だったしな……。信じろと言われたら半信半疑だが、あの変わりよう。確かな愛を感じた……」
「はい。とはいえ、他の思い出などの記憶は……ないと思いますが」
「そうか。でも……そうか。また俺の元に……帰ってきてくれたのだな」
私として生まれたのは、もしかすると戦える力を手に入れるためだったのだろうか。
そんなことまで考えてしまう。
凶刃に倒れたご夫人が、自分も戦えたら殺されなかったのにと、ずっと後悔していたのかもしれない。
この愛を伝えたいのと同じくらいに、後悔も強かったのではないだろうか。
そんなご夫人の想いを想像していると、ルナバルトへの嫌悪感がどこかへ行ってしまったらしい。
「……良かったですね。同じようには愛せないと思いますけど、私もなんだか、気持ちが落ち着きました。嫌悪感は消えたと思います」
「フッ。はっきり言ってくれる。だが、何度も言うが無理はするな。それに、俺は君自身を大切にしたい」
素直に、彼の言葉を聞くことが出来る。
私自身への思いやりを、きちんと受け止められるようになったらしい。
「……そういうところ、好きかもしれません」
「ありがとう。ルネ」
……今のこの想いは、私のものだろうか。それとも、ご夫人のものだろうか。
「キス……しますか?」
「止まらなくなるぞ」
「……キスだけなら」
彼に抱き寄せられて、身動きが取れないけれどもしっかりと抱えられると、私は彼にされるままに委ねた。
それがとても心地良くて、彼を受け入れる日も、そう遠くないのかもしれないと思った。
私は急に、乙女になったらしい。
ご夫人のゴーストが……求めていたその人にたどりついた。
その安堵によって、私の心もろとも、男性への警戒が取り払われたのだろう。
心が軽くて、そしてこの人なら、愛しても大丈夫だという安心感。
そのせいで、かなり大胆なことまで許してしまっている。
ルナバルトは宣言通り、なかなかキスを止めてくれない。
甘く優しいそれは、私を溶かしていく……。
**
とはいえ、もう十分以上も続いているような気がする。
「ちょ、ちょっと」
「なんだ」
「長すぎませんか? さすがにちょっと、冷めてきたというか引いてしまったというか」
我に返ったら、一体どれだけすれば気が済むのかと、少し怖くなった。
体まで許さなくて良かった……。
でなければ、今頃ずっと、彼の熱い想いに焼かれ続けていたことだろう。
「……そうか、引かれてしまうほどだったか。すまない」
そう言う彼は、十分もキスに専念していたとは気付いていないらしい。
「その、お腹も減りましたし……。夕食、お食べになりませんか? アメリアにも心配させていますし、今頃はおとう様やエラも……」
そういえば、皆にはどんな顔をすればいいだろう。
ゴーストの話は……エラにはすると思うし、それならばおとう様にもすべきだと思う。
でないとどうせ、私は上手く説明できない。
「そうだな。俺も一度、落ち着こう。だがルネ。その……夕食の後も、一緒に寝てくれるか」
……どうにも、身の危険を感じなくもないけれど。
「抑えられるのですか? 勝手に体まで許すと思って、事に及ぶような真似はしないでくださいよ?」
「わ、分かっている」
――分かっていなさそうだ。
「本当ですね? 私、ほだされて許したりしませんからね?」
まださすがに、心の準備も出来ていないのだから。
そもそも、彼のことを知りたいと思ってまだ、ほんの僅かな時間しか経っていない。
「だ、大丈夫だ。俺はケダモノではないのだからな」
「……信じましょう。まさか嫌がる女を毒牙にかけるなど、外道なことはなさらないでしょうから」
釘は差しておこう……こういう時の男は、信用してはいけない。
「ハハ……。ルネは用心深いな」
「フフ。当然です」
――そうして、夕食を終えてすぐに、皆には私の部屋に集まってもらった。
おとう様とエラにゴーストのことを話すと、意外にもすんなりと受け止めてくれたので、逆に私が驚くことになった。
おとう様は、ずっと私の雰囲気が前夫人に似ているとお考えだったし、エラに至ってはエイシアと一緒に、気付いていたと言う。
こちらがとんでもない話をしたというのに、それ以上のことを言われて、私は頭が追い付かなくなってしまった。
おとう様の受け止め方はともかくとして……エラとエイシアは一体、何がどうなっているのか理解できない。
「エラ。どういうこと……? それはもしかして、人魔の力なの?」
人魔は、人を魅了するのが力の全てだと思っていた。
でも、虎魔であるエイシアは、念を使いこなすし『記憶の網』という言葉を何度が口にしていた。
もちろん、魅了も使う。
と、いうことは――?
「おねえ様。私は、人魔の力をもっときちんと使えるようになるために、たくさん練習したんです」
――そう切り出したエラに、私はもう一度驚かされることになった。




