第八章 三十一、挨拶(二)
第八章 三十一、挨拶(二)
連れて来られたのは、食堂――と言っても、アドレー家のような大きなものではなくて、家族で食事をするための部屋。
ちょっとした少人数パーティにも使えるように、十人ほどが席につけるテーブルと、それを狭く感じさせない広めの空間になっている。
天井も高く、シャンデリアが悠然と輝いていて、壁にも煌びやかな燭台が備えられて明るい。
「綺麗……とても明るくて、それでいて落ち着く装いな気がします」
カーペットもかなりふかふかで、赤を基調とした複雑で優美な模様が広がる。
「ハハハ。アドレー将軍の屋敷は物々しいから、こういうのは珍しいかな?」
嫌味などではなく、よく知る仲なのだろう。
オルレイン侯爵は屈託のない物言いで、私の反応を楽しんでいるように見えた。
額と頬の傷が目立つけれど、同時にその美青年のごとき顔立ちも際立つ。
ルナバルト副団長の背の高さと、真っ直ぐな金髪も綺麗な顔立ちも、父親譲りなのだ。
瞳の色は深い緑で、そこが違う。
「ええ、たしかに。父の屋敷は重い雰囲気ですが、こちらは華やかで明るくて……見ていて飽きません」
そういえばファルミノのお屋敷は、こちらに近い感じだったなと思った。
リリアナは……私の結婚をどう思うだろう。
「ルネさん。お料理が出来るまで、もう少し待ってね。料理長が腕によりをかけてるから。それまで少しお話しましょ」
ブラウンの長い髪を、おさげにして左に垂らしている綺麗なお姉さん。
そう。最初はルナバルト副団長に姉が居たのだと思った。
青い瞳が同じで、童顔でありながらも美女特有の色気があるというギャップが、さらに魅力を増している。
オルレイン夫人は、どう見ても私より少し年上なだけに見えるから……心の中ではご夫人だと断定しきれていない。
とはいえこの星の人達は、皆総じて若い人しかいない。
今日のように年齢を意識する時は、いつも驚かされる。
あやうく、口が滑って年を聞いてしまいそうになるほどに。
「ね……。コホン、ルナバルト様に、お姉さんが居たのかと思いました。違い……ますよね?」
「ウフフフフ。嬉しい事を言ってくれるのね。でも、姉って言うとルードは怒るのよぉ」
「ルード……」
彼の愛称を初めて聞いた。
「あ。言っちゃったわね。愛称で呼ぶなって、いつも怒られるの」
「母上。今日は俺をつるし上げる会だったのか?」
ずっと黙っていたルナバルト副団長が、我慢しきれなくなったのだろう。
「あらイヤだ。愛称ひとつでつるし上げだなんて。それより座りましょう」
「はぁ。父上からも何か言ってください」
悪態をつきながらも、彼は私に椅子を引いてくれた。
促されるままに席に着くと、彼は隣に座った。
その正面に、オルレイン侯爵とご夫人が並んで座る。
まるで、夫婦とその両親のように。
「いつもの呼び方はどうした。驚いて一瞬、息をするのを忘れたじゃないか」
「……仲が良いのですね。男の人って、ご両親とこんな感じだなんて」
もっと、ギスギスしているのかと思い込んでいたかもしれない。
自分の、遠い遠い嫌な記憶。
もう忘れたと思っていたのに。
「ハッハッハ。こんなやつでも我が子だからな。大目に見てやっているのさ」
「そうよぉ。ほんとに手がつけられない子で……。あなたも言い寄られて大変だったでしょう」
「えぇっ……と」
素直に嫌だったとは、さすがに言えないけれど。
「悪い人ではなかったので……」
「ハハハハハ! 確かに悪人ではないな。しかしまあ、そんな質問をしてはルネ嬢が困るじゃないか」
「フフフ、ごめんなさいねぇ」
ルナバルト副団長も、何か喋ってほしいのにそうさせないご両親。という感じだろうか。
自然な感じで、私しか話せないように誘導されている。
けれど、イヤな感じが一切しない。
(本当に歓迎してくれてるのね?)
「それにしても……どんな娘に会わせるのかと思えば……」
「え?」
急に、やっぱり責められるのだろうか。
覚悟はしているけど――。
「将軍は、ネコを拾ったと言えば神獣のような化け物を見せびらかすわ。娘にしたと言えば妖精や女神を後継にする。もう驚く方が失礼なのかと思えてくるな」
これは……私を責めているわけではない?
「それで女神の方を招くのかと思えば、お前が出て行ってどうするのだ。全く」
侯爵はじろりと、副団長を睨んで見せた。
「あの人の側に居たヒナどもは、皆それぞれ翼を得て飛び立ったと言うのに。いつまでもヒナのまま巣立てない間抜けが居るらしい」
おとう様が育て上げた人達の中で、そこに戻ろうとする副団長のことをヤジった比喩だろう……。
「バカ息子め……せいぜい、良いエサを貰うことだな」
私がそうさせたのに、私ではなく、彼に物申しているということか。
それはそれで、心苦しい。
「父上……。ありがとうございます」
「何が父上だ! 気色悪い! いつもはオヤジなどと呼ぶくせに恰好つけおって。ルネ君、こいつの性格を知っているのか? 女をしつこく追い回しては、疲れさせて捕まえるような非道な男だぞ」
彼の行動を認めているのか、認めたくないのか、それを私に聞かれても困る。
でも……責任は私にあるのかもしれない。
家と国の盤石を望んだ。
おとう様の役に立ちたいという気持ちが、彼を利用してでもと考えてしまったのだから。
「アハハ……。どうやら、私も捕らえられてしまったようです」
捕まえたのは、結果的にどちらなのだろう。
家で見れば私とおとう様だし、個人で見れば明らかに副団長だ。
「……こんな事を言って良いものかと思うのだが」
神妙な面持ちで、公爵は私を睨んだ――。
いや、その瞳に怒りはなく、どちらかというと悲哀を感じる。
「私は……何を言われても、受け止めます」
これ以外に、私の言葉はない。
せめて彼のことを好きであるなら、真摯な態度に映るだろうか。
でも、そうではないことが、私を気楽にさせているのは皮肉なことだ。
「その在りよう……本当に似ている。まるで器と記憶をまっさらにして、蘇ったのかと勘ぐってしまう。なあ? 愚かな息子よ」
「そうですね……。でなければ、俺がこうして連れてくるだろうかと思う」
……何か、意味が通らないような気がする。
「あの、どういう……」
隣の副団長を見ても、目の前の夫人を見ても、侯爵を見ても……その表情が分からない。
なぜか悲しい目をしていて、それを私に向けている。
「ごめんなさいね……前の人の話をするなんて」
「ああ……すまない。だが本当に、佇まいがそっくりでなぁ……」
そう言われて、前妻のことを重ねているのだと、ようやく理解した。
「……そんなことなら……何も気になさらなくて大丈夫です。むしろ、話さずに居る方が不自然ではないですか」
これは、私の本心だ。
前の方が良かったと言われると辛いものがあるけれど。
「ルネ。そう言ってくれてありがとう。だが、君自身に惹かれているのは本当なんだ。信じてく――」
「――それは。今お聞きしても、意味のないことですよ。おやめください」
人差し指を立てて、私は副団長の口に当てた。
ご両親の居る前で口説き文句を言われても……というよりも、その気持ちには応えられないのだから、聞きたくない。
「……すまない」
割と、素直に言うことを聞いてくれるのは嬉しいけれど。
「は……ハハハハ。すでに尻に敷かれているのか」
「さすがは将軍様のご息女ねぇ。それは、あなたにしか出来なかったことよルネさん。……この子をよろしくね?」
――この状況下で、私は食事が喉を通るのだろうか。
「は、はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
そう思った矢先に従者達が静かに現れ、そして前菜をテーブルに置いていく。
「すまないね。湿っぽくなるところだった。君は強いな、ルネ君。食事をしながら、どんなふうに追いかけ回されたのか教えてくれ。後でそのバカを叱りつけてやるから」
隣の夫人は、苦笑いをしている。
「さあ乾杯だ。料理を冷ましてしまうと、料理長に怒られてしまうからな」
そうして、少し強引に乾杯をした。
隣の副団長を見ると、その視線を受けて微笑みを返してくれる。
オルレイン夫人も、侯爵も。
……どうやら、私は歓迎されたらしい。




