第八章 三十、挨拶(一)
第八章 三十、挨拶(一)
私は、物事を軽く考えてしまう性質らしい。
婚約を決めたら、その次に何があるのか。
それを全く考えていなかった。
夕食を終えて、玄関までオルレイン……ルナバルト副団長を見送ろうとした時――。
「ルネ。俺の家族にも会ってもらう。近い方がいい」
帰る間際に言うような、ついでの話ですることだろうかと思ったものの……こうしたイベントが色々と増えるのだ。
「あ~……。そうですね。私は今のところ仕事などありませんから……」
「ならば明日、迎えに来よう」
行動が早い。
「ルナバルト様のご両親に、何か手土産は……」
「不要だ。家から家に、という意味ではすでに、将軍が送っていることだろう」
いつの間にか、私の知らないところで何かが進んで行く。
「……ねぇ。パパは私達の結婚に賛成だったのかしら」
「うん? なぜだ。開口一番で俺が怒鳴られているのを聞いただろう」
「だって。用意がいいんだもの」
「事が決まれば迅速に動く。これは将軍の教えだからな。嫌でもそうなさるさ」
「ふぅん……」
彼の乗って来た馬車が近くまで届くと、ルナバルト副団長はさっさと乗り込んだ。
「昼前に迎えに来る。食事くらいは一緒にしてやってくれ」
「あ、は、はい」
……とっさに返事をしたけれど、そういう会食は苦手だ。
しかも、私の策で家を捨てさせた、その彼のご両親と一緒に食事をするなんて。
「どんな顔をしていればいいの……」
おとう様に聞いたものの、「無礼があればそのまま帰ってこい」と、言われて終わった。
フィナに聞いても、家格が上なのだから何も気にしなくていいと言われた。
そして私にはもう他に、こういう話を相談する相手が居ない。
(滅茶苦茶気まずいわよ)
着て行くドレスは任せるとして……。
それについても、選ぶ基準をそろそろ、本気で覚えなくてはいけない。
**
お屋敷の中では、普段通りに過ごすので実感が湧かない。
結局、いつも通りに朝を迎え、隣に眠るエラを眺めている。
「……おねえ様。おはようございます」
「おはよ」
エラのおでこに、おはようのキスをするのが日課になっていて、エラも私の頬にキスしてくれる。
それで心が満たされているのに、これがもうすぐ変わってしまうのだろうか。
……いや、これはこれで、エラを甘やかしてしまっているから良くないのだ。
そんなことを考えていると、あっという間に時間が過ぎて迎えが来てしまった。
ばたばたと忙しない上に、気持ちは浮ついて定まらない。
でも、ドレスや化粧、装飾といった身の回りだけが整ってしまった。
フィナや他の侍女達の成す、素晴らしい連携のお陰で。
気にしていたドレスは肌をあまり見せないもので、胸元や腕をシースルーの黒いケープで覆っている。
暑くなりつつある季節に即しているのと、ケープのお陰ですぐ側に立つ人間にしか肌が見えないという、貞淑さと色気の出し方をきちんとわきまえた水色のドレス。
シースルーが黒を淡くしているので、重過ぎなくていいバランスだ。
「ルネは何を着ても似合うな。普段も着ればよかろう」
部屋を出たところで、おとう様が待ってくれていた。
「パパ! 一緒に行ってくれるんですか?」
なんと心強いことか。
「いや、仕事があるから付いて行ってはやれん。すまんな」
「……そう、ですよね」
落胆したのが見て取れたのだろう。
「そう肩を落とすな。オルレイン家は大丈夫だ。身内に会うくらいの気持ちで行けば良い」
本当だろうかと顔を見上げたけれど、こんな時に嘘は言うまいと思い、すぐに笑顔を返した。
「信じましたからね? それじゃあ、行ってきます」
「待て待て。玄関までエスコートしよう」
いつになく緊張している私を、励まそうと思ってくれたのだろうか。
**
馬車の中では、ルナバルト副団長は向かいに座った。
そのままそこに居ればいいのに、余計なことを言う。
「ルネ。今日のドレスも良く似合っている。……隣に座ってもいいか?」
「えっと……。だめです」
どうやら、最初から断られると分かっているのに、わざと口を開いたらしい。
「ハハ。……俺の両親に会うのは不安かもしれないが、あまり気にしなくていい」
彼も、私を励まそうとしてくれているのだと分かった。
「そう言われても……」
「でもな、あまり悩む時間もないぞ。もうすぐ着く」
「えっ?」
馬車に乗ってから、三十分も経っていない。
「同じ王都の、それも近くに屋敷があるんだ。このくらいで着いてしまうさ」
王都の、いわば端と端にある両家だからなんとなく、もっと時間が掛かると思い込んでいた。
「ルナバルト様。私の側から……離れないでくださいね?」
ご両親と三人だけにされては敵わない。
「可愛い事を言うじゃないか。でもまぁ、気をつけよう」
こんなことなら、隣に座るのを許しておけば良かったかもしれない。
そうすれば、後で裏切られないだろうと思えたのに。
**
副団長の御実家……お屋敷の規模で言えば、おとう様の屋敷と比ぶべくもない。
でも、隅々まで手入れの行き届いた庭に、屋敷の荘厳さは負けていない。
おとう様の屋敷は要塞然とした風体だけれど、ここはまさしく、貴族然とした構えをしている。
「立派なお屋敷ですね……気後れしてしまう」
玄関の少し手前で馬車が止まり、降りると丁度、その威厳高い建物が目の前にある。
「ハハ。こけおどしだ。……茶会や社交界はあまり出ていないのだったな」
「はい……」
「こういうのは慣れだ、ルネ。我が家で少し慣れるといい」
令嬢としての立ち回りなど、しばらくぶり過ぎて忘れているかもしれない。
そんな不安がどんどんと膨れ上がっていく。
討伐の仕事ばかり好んでいたせいで、そのツケが今まさに出ている。
(落ち着けない……落ち着かないと)
キョロキョロと、お屋敷やルナバルト副団長を見ていると、玄関が開いてご夫妻が出迎えてくれた。
「馬車の音が聞こえてね。良いタイミングだったろう?」
よく通る声の主は、頬と額に一文字の傷痕が残る美形の紳士だった。
その隣には、艶やかな美女が微笑んでいる。
随分と若く見えるけれど……。
「よく来たね、ルネ嬢」
「本当に。よく来てくれたわ」
二人は小気味好く礼をしてくれて、釣られるように私もアドレーの礼を返した。
「ふ。その尊大な礼も、君がすると可愛く見えるじゃないか。ようこそ、オルレイン家へ」
「さぁ、玄関で立ち話も無粋ですから。どうぞお入りくださいな」
何も気の利いたことが言えないまま、私は促されるままにお屋敷に入った。
……これは、歓迎されていると見て良いのだろうか。
二人とも笑顔で迎えてくれている。
普通に考えるなら、何も気にしなくても良いはず……。
でも、私はこの二人の長子に、家を捨てさせた張本人なのだ。
それが目の前に表れて、平然としていられるだろうか。
これから、何を言われるのかと思うと胃が痛い。
――オートドールだというのに。




