第八章 二十九、遥かなる想い
第八章 二十九、遥かなる想い
夕刻には気を持ち直した。
といっても、完全にではないけれど。
おとう様が心配して部屋に来てくれた時には、笑顔を見せることも出来た。
「お前でもそのように取り乱すことがあるのが、結婚だ。いや、お前のように広く考えるからこそかもしれんがな」
夕食の時に、おとう様はそんなことを言った。
「オルレイン副団長は、本気でしょうか」
私と結婚するために、家を捨ててまでアドレーの養子になるなんてことを……するだろうか。
「家格で言えば、上がるのだから有りだろう。近衛騎士団副団長という肩書きもそのままだ。住む屋敷がここになるのも、毛ほども感じておらんはず」
「……じゃあ、やっぱり私は……」
「だが、オルレイン家の方がどうなるかだな。領地経営の引継ぎを受けていたのはルナバルトだろうし……その辺の問題が片付くかどうか」
「……すみません」
「ルネ。お前は確かに性急な事をしたが、その中でもお前にとって一番良い条件を選択したはずだ。もう謝るな。それに、お前がここを出たくないと思っていてくれたのは、本当に嬉しい」
そう言って、おとう様はいつもの、片方の頬をニッと上げる笑みを見せてくれた。
そうだ。どうなろうとも私はここで、おとう様とエラと、ずっと一緒に居られるのだ。
アメリアも、慣れないところに連れて行かなくて済む。
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四日後、オルレイン副団長が訪れた。
かなり疲弊しているように見えるけれど、どこか、やりきった的な感慨深さを滲ませている。
「ようこそ。オルレイン副団長。お待たせいたしました」
応接室で待ってもらっていたところに、おとう様と一緒に入った。
「ルナバルト。ワシも同席するぞ」
ソファに座っていた副団長は、立ち上がって笑みで答えた。
「もちろんですよ将軍。今日はこちらの回答を聞いて頂きに来ました。……ルネ嬢、聞いてくれるか?」
「ええ。もちろんです」
覚悟はもう出来た。
この数日の間、何度も、何度も自分に確認をした。
後はこの、気持ちだけだ。
同情だけだとしても、彼を思う気持ちがあるなら……きっと上手くやっていける。
それに、ここならおとう様にもエラにも相談出来るのだから。
「まあ、座ろうじゃないか。二人とも緊張し過ぎだ。戦場でも笑っているような二人が、何を突っ立っておるか」
おとう様にそう言われてハッとなり、そそくさと対面してソファに座った。
でも、おとう様は珍しく私の後ろに回って、立っている。
「では聞こう、ルナバルトよ。娘が出した条件への、その答えを」
「はい。……ルネ嬢。俺はここまで苦労したのは初めてかもしれない。この短期間で、やれるだけの事は全てやった。でも残念ながら、何もかも上手くというわけには行かなかった」
「……それじゃあ、この話は――」
「――ああ。上手くこなせたわけではないが、弟に引継ぎをするため、定期的に実家に戻るという事でなら良しとしてもらった。だから……ルネ嬢の条件、全て引き受ける」
「……えっ?」
出だしの言葉とは真逆の回答のせいで、私の頭は理解出来なかった。
「まさかと思っただろう? だが、俺は君のためにどれだけ本気かを示した。次は君が、約束を守る番だ」
やっぱり、概ねの予想通りに……。
ならば、最初の失敗したかのような言い回しは不要だった。
無駄に期待させられて、腹が立つ。
「……よくもまあ、私なんかのために。でも、分かりました。――婚約いたします」
これを、じっと睨むように言ったにも関わらず、彼は嬉しそうにほころんだ笑みを浮かべている。
「疲れたよ……さすがにな。これで君と、ずっと一緒だ」
ゾッと寒気がした。
彼の言葉と態度には、何というか常軌を逸したものを感じてしまうから。
「そういう言い回し、やめてください。気持ち悪いです」
「ハハッ。気の強いお姫様だ。……前の妻に似て――すまない! こんな事を言うつもりでは!」
突然の取り乱しように、私は首を傾げた。
でも、普通の人なら前夫人と比べられたら嫌なものかもしれないと思った。
ただこの件に関しては……重ねてしまう程度、私は何とも思わない。
そもそもの話、彼に惚れているわけではないのだから。
「何をそんなに。ご夫人の件は、それなりに理解しているつもりです。あまり気にされても私が反応に困ります。前の方が良かったと言われたら、さすがに腹も立つでしょうけど」
好きなだけ重ねるといい。
ただ、勝手に幻想を抱いて、私に幻滅されても知らないけれど。
「そ……そうか。ありがとう。だが、以後気を付ける」
なんとも寂しそうな顔をしてくれるものだ。
「オルレイン副団長。私は本当に気にしません。似ているなら似ていると言えばいいじゃないですか。私は単純に、そうなんだ、としか思いませんから」
「……なんと懐の広い。本当に感謝する、ルネ嬢。……いや、ルネ。俺の事も、名を呼び捨てでいい。もう婚約した仲なのだから」
「……ワシは、そろそろ失礼しようかな。食事の準備をさせているから、少ししたら食堂に来なさい」
絶妙なタイミングで、おとう様は口を挟んで出て行った。
たぶん、オルレイン副団長へのちょっとした意地悪だと思う。
でも、それはさすがに可哀想だから、名を呼ぼう。
もうすぐ、オルレインではなくなるのだし。
「フフ。こんな家でも大丈夫ですか? ルナバルト様。針のむしろなのでは?」
「いいや? ルネという一生の宝を得たんだ。他のどんな事も、そよ風程度にしか思わないさ」
……これは、そんなにゾッとしなかった。
「ルナバルト様は、見る目がないせいで苦労が多そうですね」
「何? 俺の目は確かだぞ。現に俺は今、幸せを感じている。ルネにもいつか……本心からそう思って貰えるように全力を尽くすつもりだ」
それをあまりにも真っ直ぐな目で言うものだから、私は赤面してしまった。
それと、ゾワゾワと……悪寒とは違うものが走った。
「べ、別に、何も気にされなくてもいいですから。さぁ、食堂に行きましょう。私はお腹が減りました」
「ああ。俺も数日、碌に食べていなかったから。ホッとしたら腹が減ったようだ」
彼の昏い瞳に力が宿り、その微笑みから影が消えている。
本当に、私と結婚出来るのを喜んでいるらしい。
――そして、結局こうなってしまった。
けれど、なんだか今は逆に、清々しい気持ちになっている。
現実を受け入れてしまえば、何ということはないのかもしれない。
あとは、やっぱり彼が……副団長が良い人そうだから、安心したのかもしれない。
「たくさん食べてください。料理長がいつも、娘二人では食が細くて作り甲斐がない。と嘆いていましたから」




