第八章 二十七、高嶺の花
第八章 二十七、高嶺の花
数日後。
オルレイン副団長をアドレー家に招いた。
どういう意向にしたのかは、おとう様にはまだ告げていない。
ただ、話がしたいからと言って都合をつけてもらった。
彼は時間通り昼下がりに来て、今は応接室で待ってもらっている。
はずだったけれど――。
扉を開けると、すでにおとう様も居た。
テーブルを挟んだソファにお互いに座り……おとう様は大股を開いて、不機嫌そうに腕を組んで睨みつけている。
「パパ……何をしているんですか?」
「なに、客人をもてなしていただけだ」
その言葉に、副団長は乾いた愛想笑いをしている。
「パパ!」
「お、怒らんでくれ。これでもお前のためを想ってだな……」
「それは十分知っていますから。でも、今日は失礼のないようにと言ったはずですよね」
「むぅ……。だがルネ、一体どうするつもりなのかワシにも言わんというのは、どういう了見だ。気になるだろう。しかも二人きりなど――」
随分としどろもどろとしていて、いつもの強さが無い。
「――後で必ずお伝えしますから。それに、フィナとアメリアも居るので二人きりではありません」
「ルネ……」
「今はダメです。さ、お部屋を出ててください」
嫌がるおとう様をなだめるように、大きな手を掴んで扉の外に追い出した。
そしてその扉を閉めて、ソファに座っている副団長に改まって礼をした。
もちろん、アドレーにだけ許された、頭を下げない会釈のような礼を。
これは、私が決着をつけるのだから……初めが肝心なのだ。
「オルレイン副団長。本日はお呼びたてしてすみません。お越し頂き、感謝申し上げます」
「こ、これは丁寧にご挨拶を頂戴した。お話があると聞いて、居ても立っても居られない気持ちで今日を待っていたのだ。ルネ嬢……改まった君も美しい」
彼も立ち上がって、畏まった礼を添えてくれた。
本当に卒がない。
「フフ。お世辞など結構です。まずはおとう様……父の非礼をお詫びいたします。きっと、娘はやらんなどと言って、副団長を脅していたのでしょう?」
「ハハハ。まぁ、そんなところだ。でも、気持ちはとても分かるつもりだ。将軍をあまり責めないでくれ」
私は微笑みで応え、小さくひと息を置いてから、「お掛けください」と言った。
私も向かいに座ると、それを合図にフィナがお茶を淹れ、アメリアがお菓子と一緒に並べてくれた。
彼女は一瞬、私から先に出そうとしていたけれど。
「このお茶、私が気に入っているものなんです……お口に合うと良いのですが。お菓子はナッツ類をタルト生地と焼いたもので、男性でも食べやすいかと思いまして。良かったら一緒にお召し上がりください」
これはフィナに相談して決めた。
甘いものが好きな男性も居るけれど、控え目な方が誰にでも食べやすいだろうと。
……ゲルドバも好きだったのが記憶を掠めたけれど、それは忘れることにした。
「お気遣いありがとう。……どちらも美味しい。お茶の好みは合いそうだね」
「……良かった。そうだ。足りなければ他にも、食べるものをお持ちしましょうか。そうだ、討伐数は部隊で一番だとお聞きしていますよ。さすがの御手前ですね」
「……ルネ嬢。単刀直入で構わない。それ以外の話など、頭に入って来ないんだ」
彼は微笑を崩し、その綺麗な顔立ちを苦渋に満ちたものにしている。
そんな顔をさせるほどに、私の気持ちが気になるとは……。
やはり、本気で答えるつもりで臨んで良かった。
生半な気持ちでは、私は今後、自分を許せないまま生きることになっただろう。
「分かりました。それでは、私の気持ちをまず、お話いたします」
彼はゆっくりと頷く。
「私は……あなたのことが苦手です。口うるさいし、いじわるだし、かと思えば優しくしたり。腹が立ちます。それに、婚約しろとしつこいですし」
「……そうか。やはり、俺の事は嫌いか。改まってまでそう言うのだ。よほど気にいらないと見える……妙な弱みを見せてしまったしな。すまない、これ以上は近付かないと誓おう」
「――ですが」
「……うん?」
彼は打ちひしがれているのに、無理に笑顔を作っている。
エラとフィナとの三人で考えたのだけど、遠回しな伝え方を選んだことが、私自身の胸に刺さってしまった。
でも、ここで怯むわけにはいかない。
「こほん。ですが……国王の身勝手な謀と、それをやむなくとはいえ受けた父、この二人のやりようは、オルレイン副団長の心を抉るような非道なものでした。そのせいで副団長は、ご夫人の面影がある私のせいで、居ても立ってもいられなく……させられたとも言えます」
「そうだな。少しは怒りを覚えている。が、職務を放棄した俺にも非がある。ルネ嬢の存在とその力には……まさしく稲妻に撃たれたかのような衝撃だったがな。まぁ、どれもが俺の未熟さ故だ。気にしてくれなくていい」
……妙なところで――というか、絶妙に男前なことを言う人だ。
「随分と殊勝なのですね。私のイメージとは違うので、今ほんとうに驚いています。ただ、それでこちらが引いたのでは、非道に対する筋が通せません」
「何に筋を通すのだ? 少し強引に繋げれば、どちらにも非がないという落とし方が出来るだろう。それが王侯貴族のやり方というものだ」
「それでは、私の気が済まない。……と、申し上げているのです。オルレイン副団長」
「フッ。それではこの世界で損を掴まされるぞ、ルネ嬢。君は素直で、穢れを知らなさ過ぎる」
ここに来てこの言葉……。
やっぱり彼は、一周回って優しさがねじれてしまういじわる……ではなくて、本当に私を慮っているだけらしい。
「ならば……。それならば、私の側で護ってくださいませんか。条件はいくつか、付けさせていただきますが」
「何っ!」
反射的に身を引いてしまうほどの、彼の激情とも呼べる強い眼差しを受けた。
「……言ったな。もう、気が変わったなどと言っても聞かぬぞ」
「怖い。……怖いですよ、オルレイン副団長」
こんなに強い光を秘めていたとは、とても想像できなかった。
彼の瞳の奥に、小さな残り火しかなかったと思っていたものが……いきなりその命を咲き誇らせたかのような眼光。
「本当に? 本当に良いのだな? 俺は……君をもう、絶対に離さないぞ」
彼はただ、少し前のめりになっただけだというのに、彼の気迫という名の大きな手に鷲掴みにされた。
「ちょっ、ちょっと! あなたのものになったとは言ってませんからね! 触らないでください」
「さ……触っていないぞ。まだ」
「触ろうとしています! 離れてください!」
ソファから微塵も動いていない彼に、これ以上離れようもないのだけれど。
でもそう言ったお陰か、彼の鬼気迫る眼光が少し治まった。
「……だが、俺と結婚してくれるのだな?」
「だから、条件を聞いてください。それが飲めるならの話です」
「――聞こう」
**
そして私は、オルレイン副団長にいくつかの条件を提示した。
子を宿せないこと。
夜伽を強要しないこと。
寝所を分けること。
ここまで言ったところで、寝所はせめて一緒にしてくれと懇願された。
「それではいつ、二人の時間が持てるのだ」と言われて。
そこで仕方なく、『良いと言ったところ以外に触れないこと』を付け足して、寝所は共にすることにした。
ただ、そんなことを決めたところで、次のことが不可能なら意味のない話だ。
そう、最後の条件が――。
「アドレーの……ファルミノ家の、婿養子になること」
「な…………。なんだと?」
今まで誰からも見たことがないほどの、落胆を彼は見せた。
「出来なければこの話、お忘れください」
「やってくれる。……だが、今すぐ返答は出来ん。数日待ってくれ」
歯を食いしばる音が聞こえそうな、彼はそういう歯噛みした声を絞り出している。
「構いませんが……たったの数日で良いのですか?」
「……それで済まないなら、おそらく無理な話だったということだ」
「潔いのですね」
この言葉に、彼は少し、苛立ちをその目に見せた。
私が――近衛騎士団の副団長まで上り詰めた男が、その貴族の長子が籍を外すことの意味を――知っていて尚言っているのか、それとも知らぬ馬鹿な女なのか、そのどちらでも腹立たしい。
そう言いたげな鋭い視線を向けている。
「無理難題を吹っかけておいて、涼しい顔で言ってくれる。……いや、大したものだ」
前者でありながら、それを天秤にかけろというのかと、半ば諦めたような苦悶の表情へと変わった。
そして、彼は立ち上がりながら言った。
「それでは俺は準備のために、これで失礼する。もう条件とやらは無いな?」
「はい……。ご返答、お待ちしております」
喜びではなく、やはり苦悶の表情を隠す余裕もなく、彼は帰っていった。
……私としては、これで諦めてくれて良い話だから、悩んでくれなくてもいいのになと思う。
そう思いながら、応接室から出て行く彼の、広い背中を見送った。
――私にとっては最大の譲歩をしたので、今回の件での筋も通した。
後は、野となれ山となれ……だ。




