第八章 二十六、エラの深謀
第八章 二十六、エラの深謀
とても衝撃的で杜撰な作戦を聞いてから、私は寝込んでしまった。
人の心を――それも、尋常では無い深手を負った心をまた抉るような――そんな作戦だと知らされたから。
国王の提案とはいえ、おとう様も乗った形だ。
オルレイン隊長――復隊したなら副団長だろうか。
彼には、アドレーとして何かしらのお詫びをしなくてはならない。
それが筋を通すというものだし、あんな風に奥さんを思い出させて釣っておいて……「ごめんなさい」で済むような話ではない。
私も、私の雰囲気が「ご夫人に似ている」と聞いたのに、軽い気持ちで引き受けてしまった手前もある。
容姿が似ているならともかく、雰囲気がと言われたせいか、本当に軽く考えていた。
――この身を差し出すしかないくらい、酷いことをしたのだと……今なら分かる。
「はぁ……」
かといって、どうにも苦手な相手だ。
何がと言うと、自分よりも優れ過ぎていて、どう接していいのか分からないからだと思う。
でも、公爵家に見合う家柄の人物ともなると、どの人も一角の人物に違いない。
ゲルドバも、悪行の限りを尽くしていたけれど、それも有能ゆえだ。
私は……オートドールの力が無ければ、何もない。
そんな風に思ってしまう。
それをエラに言ったら、笑われてしまった。
「おねえ様ほどの美人は、どんな力があっても高嶺の花なんですから。堂々としているだけで大丈夫ですよ」
などと言う。
どこでそういう発想を覚えるのだろう。
侍女達だろうか、それともエイシア?
貴族教育を受けたとはいえ……私はそんなに良い花だろうか。
……いや、このままでは結婚する流れになっている。
「……だとしても、この家から離れたくないなあ」
突き詰めた結果に思ったのは、おとう様からも、エラからも、離れたくないというこの一点だった。
結局……相応のお詫びは必要だということ、結婚しかなさそうだということ、この家を離れたくないということ。
この三つで、悩みに悩んで寝込んでいる。
正直なところ、婚約だの結婚だのという話は、オルレイン副団長が意外といい人だったというのを感じて、簡単に揺らいでしまった。
少しは受け入れてもいいかなと、本当に少しだけ、思っている。
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ベッドから出ない生活をしている間に、それを聞いた副団長がお見舞いに来てくれたらしい。
花束だけを置いて、帰っていったのだとか。
色とりどりの、淡くて可愛い花々。
花言葉は、どれも身を案じるものや、回復を祈るものばかりらしい。
花に詳しい侍女が飾りに来てくれた時に、教えてくれた。
ついでに、副団長を褒めちぎって行った。
肩までの真っ直ぐな金髪に碧眼の綺麗な容姿と、逞しい体つきの話。
それに行動、強さ、そして優しさなんかを特に。
あんな辺境の城砦まで追いかけて、住人になってしまう人が居るくらいだから、人格も素晴らしいのだろう。
……私の感じていた印象とは大違いだ。
不遜で、いじわるで、小言やお説教が多い。
まるで、世話焼きの兄のようだとも思っていた。
「また少し、受け入れてもいいかなと……気持ちが傾いてしまった……」
でも、ここから出て他のお屋敷に行くのは……嫌だ。
仮に九割方、彼を良いと思ったとしても、ここを出るのは嫌だ。
だから結局、彼にお詫びとして釣り合うようなことは出来ないし、婚約も結婚も出来ない。
筋の通らないことを、アドレーの親子揃ってしてしまった……それを払拭出来ない。
「こんこん。おねえ様、眉間のシワがそのままになっちゃいますよ?」
「エラ……また忍び込んで」
その言葉は褒めているわけではないのに、嬉しそうに微笑んでいる。
「まだ起きる気にはなれないの。遊べなくてごめんね?」
「いいんです。おねえ様を眺めているだけで幸せですから」
そんな風に言ってもらうと、私もエラを見ているだけで幸せを感じているなあと思った。
「体だけでも起こせそうなら、プリンとアップルパイを持って来たんです。一緒に食べませんか?」
よく見ると、扉の側でフィナとアメリアも立っていた。
それらしきワゴンを持って。
「食べたい」
……これだと、どちらが姉なのか分からないと言われそうだ。
そうして一緒に食べながら、三人にも思っていることをつらつらと話した。
ベッドから起きて、隣の部屋のテーブルで、きちんと。
長ソファでエラは私の左に座って、食べるよりも私の腕に抱きついている。
フィナとアメリアには向かいに座ってもらって、もちろん一緒に食べてもらいながら。
そこでフィナは、「良いお相手だと思いますよ」と言った。
続けてアメリアは、「ルネ様について行きますから!」と。
なんだか、やっぱり流れとしては、婚約と結婚の方向なのだ。
それが常識的だし、他に良い方法も思いつかない。
悪い方法なら、色々と浮かんだけれど。
二人きりで話をしたいと森にでも呼び出して、暗殺するのだ。
光線で貫いた後は、獣の居るところに遺体を運べば完璧……などというゴミのような案を。
「おねえ様は、オルレイン副団長を良いかもしれないと、そうお考えなのですね」
急にエラは、畏まった雰囲気で姿勢を正し、凛とした顔つきでそう言った。
私はフォークに刺したひと口大のアップルパイを、口に入れようとしたところだった。
「う、うん。まあ……。ちょっと、怖いなと思うけど。私のことを考えてくれる感じだし……」
家柄や地位を考えても、悪くない……というか、もしかすると理想的な一人かもしれない。
「なら……おねえ様にとって、良い条件の結婚とは何でしょう」
「良い条件? それなら、あの人ならそれなりだなって」
「いいえ。家やお人柄などではなくて、おねえ様がこうして欲しい、という条件です」
「私が……?」
そんなこと、考えてもみなかった。
「何かありませんか? 夕食には必ずプリンを食べたいとか」
エラは私を、食いしん坊だと思っている……。
「……えっと。私ね、この家から出るのが嫌なの。エラと離れたくない。パパの側に居たい」
言ってしまった。
でも、そんな矛盾したことが、叶うわけがないのに。
「ほんとですか? おねえ様、嬉しい!」
そう言うなり、エラは私にハグを――ぎゅっと強めに抱きついてきた。
「あっ! 落ちちゃうから」
私の右腕ごと抱きつかれたので、フォークごとアップルパイを落としそうになった。
けれど機敏なアメリアが、机に手をついて体ごと乗り出し、見事にお皿でフォローしてくれている。
「やるわね、アメリア……。副団長のお屋敷でも、よろしくお願いね」
フィナとアメリアも結婚だと考えているのだから、私は覚悟を決めようと思った。
しょうがない。
この件は、国王に巻き込まれたとはいえ……それに元を正せばゲルドバのせいとも言えるけれど……。
最後は私が、よく考えもせずに引き受けて力を使ってしまった、その結果なのだから。
「おねえ様。条件を付ければいいじゃないですか。こちらにお入りくださいと、一言」
「……うん?」
「もう。おねえ様はこういうことに関しては、結構ポンコツさんなんですから。良いですか? オルレイン副団長に、アドレーの一員になってもらえばいいんです。その方が、全てが盤石になりますし」
「……なりますか?」
「なりますねぇ」
「エラ……あなたって子は」
「私という子は?」
何かを期待した、エラのうるるんとした赤い瞳。
「天才よ!」
キャーと言いながら、エラはもう一度私に抱きつき直した。
フィナとアメリアは、お互いに見合って口を開けて驚いている。
私はエラを抱きしめ返して頬ずりしながら、その銀髪とおでこに沢山キスをした。
……結局のところ、結婚は免れないけれど。
家を出なくて済みそうだ。




