第八章 二十四、されど忘れ難き
第八章 二十四、されど忘れ難き
引き攣ったかのような笑みを浮かべて、オルレイン隊長は私をじっと見ている。
何かを悟ったような、確信めいた頷きと共に。
「あの時から不思議だった……。君の持つ余裕は、無知から来るものではなかった。私に勝てないはずだというのに、その態度は変わらなかった」
その声は、少し震えている。
「それが、何か?」
「それはつまり、何か奥の手があるということだ。普通なら、焦りや狼狽が出るはずなのに」
私は、彼を甘く見ていたのかもしれない。
「……胆力があるのよ」
「今、その奥の手の片鱗を見せてくれたのだろう。だが全てではない」
勘が鋭い。
「さぁ。どうでしょうね」
「刃が通らない? それは物凄い事ではあるが、全身鎧を身に付ければ真似の出来得る事だ」
私が見せたものと態度で、他のことまで言い当てようとしている。
「もういいでしょう。納得してください」
「それ以外にも何かあるのだろう? でなければ、君のお父上が……アドレー将軍が単騎で森に出すなど、大事な娘でなくとも許可するわけがないのだ」
様々な状況から、物事を読み解く力がある。
「おとう様は……私に甘いのよ……」
彼は強さだけに秀でているのではないと、どうして誰も教えてくれなかったのだろう。
「俺は以前……妻と子を失って、思ったのだ。凶刃に負けぬ強さを持つ人なら、また失うかもしれないという恐怖を抱かなくても良いと。だがそんな事は、ありえない事だ」
その暗然とした瞳の奥に見えた光は、気のせいではなかった。
「妻と子を、忘れた事など一秒もない。愛して止まないのだから。でも、俺にとってはそれは、生きている限り続く地獄のような苦しみにもなった」
それは確かに……苦しいものだと思うけど……。
「しかし、君はどうやら……俺の希望の存在らしい。君ならば、俺が居ない間に殺される事などないと、そう信じられる」
「ちょっと。どういう意味ですか?」
「その上、君は妻の雰囲気にも、娘の雰囲気にも似ている。いや、これは君にとって失礼な話かもしれないが。でも、それはどうしても……俺の心を動かしてしまうのだ」
「何を言っているんです。そんな話を聞くつもりはありません!」
目が、怖い。
暗く悲しい瞳のくせに、感情的な強い光を持っているのが怖い。
「俺の身勝手な気持ちなのは分かっているつもりだ。でも……やはり君に、婚約を申し込みたい。俺の側に居てほしい。俺を……地獄から救い出してくれないか。その代わり、君が望むものは何でも手に入れてみせる。だから……」
「――オルレイン隊長! 馬鹿な話をしないでください! 私は、あなたのことなんて……。嫌いなのに……」
しかも、正気で言っているのかさえ、分からない。
今まで見ていた隊長の姿とは、別人だ。
「すまない。それでも構わないから、側に居てほしいんだ……」
「ずるい! そんな話を聞かされたら、強く言えないじゃないですか!」
「分かっている。卑怯者だと思う」
「くっ……! 本当にそうだと分かっているんですか! 何なんですかあなたは!」
私に奥さんを重ねているだけじゃなくて、冷静に私を口説こうとしている……?
卑怯な手だ。本当に。
「ああ。だけど俺は、君に恨まれてでも、何なら殺されてでもいい。少しでも一緒に過ごして欲しいと……もう、思ってしまったんだ」
「……信じられない」
単なる男の欲望なら、本当に殺してやろうかと思えるのに。
情を誘うような手を使うなど。
「許してくれとは言わない。だが……また懲りずに、婚約を申し込みに行く。何度でも」
それで口説けると、本気で思っているのだろうか。
普通に逆効果だ。
それが分からない人ではないはずなのに。
「…………はぁ。もう、向こうへ行ってください」
気分が悪い。
怒れないし、悲しめない。
でも、心の奥底に……何かを落とされてしまった。
「……分かった。今日の所は下がろう」
こんなに、なりふり構わずぶつけてくるだなんて。
「早く。一人にしてください」
頭が重い。
「ああ。それでは……失礼する」
その後ろ姿、束ねた真っ直ぐの金髪が揺れているのさえ憎い。
……もう、獣を討伐する気にもなれない。
**
最悪の気分だ。
なのに……情を感じてしまった。
元の自分なら、妻子を殺されたら同じ苦しみを持つだろう。
そう思ってしまった。
……これは同情に過ぎない。
でも……ほんの一ミリでも、情を抱いてしまったのだ。
自分の居ない間に、大切な人を護れず全てを失った絶望。
終わらない自責と、消えない愛。
それと同時に湧き上がるだろう憎悪は、彼はどこにやったのだろう。
元の自分がそうなったなら、人の心を失ってしまったかもしれない。
でも、オルレイン隊長は正気を保っている。
暗然とした目をしていても、隊長として慕われて、役割を全うしている。
それが、とてつもなく凄いことだというのが……彼の強さが、分かってしまった。
これが、ただの同情であろうとも……ただの嫌いではなくなってしまった。
最悪なことに。
――ほんの僅かでも、彼の気持ちを許してしまった。
「……最悪。……ほんとうに、最悪よ」




