第八章 十三、勝負事(二)
第八章 十三、勝負事(二)
何度か打ち込んだ後、それでは埒があかないので何十という斬撃を繰り出した。
上下左右あらゆる角度から、彼の剣を破壊するために流れるような、しかし目で追えないほどの速さで打ち込み続けた。
普通なら、この連撃を受けきれるような人間はいないはずだ。
ごく一部を除いて。
でも――そのごく一部が、目の前に居るらしい。
「体に打ち込まないとは。優しい剣技もあったものだな」
……当てないだけで、当てるつもりの刀を受けさせているというのに、彼は全て見切っていた。
剣への衝撃さえほぼ完全に殺し、破壊したくても出来ない状況だ。
それでも、手を緩めるとこちらが攻撃されそうな腕前だから気を抜けない。
そう思った瞬間だった。
彼がその剣を、小さくクイと動かしただけのはずなのに、私の刀がするんと抜け飛んだ。
「は?」
それを理解する間もなく、彼の剣先が私の喉元へと伸びる。
「武器が無くなってしまったぞ?」
その言葉と同時に、彼の視線が、まるで体に絡みつくようで鬱陶しい。
「あなたの言動は、何だか気持ちが悪いんです」
そう言い放ちながら、私は彼の剣の腹を手の平と拳で挟むようにして固定し、刀身の真ん中を狙って蹴りを当てた。
――バキンと音を立てて折れる剣。
「おやおや、驚いた。しかし最近の若い娘は、はっきりと物を言うのだな。少し傷付くじゃないか」
全く驚いてなどいない風で、何を言うかと思った瞬間にはもう、どうなったのか腕を掴まれてしまっていた。
(――うそ)
剣を折った時はまだ、その手がこちらに届く様な距離ではなかったはずなのに。
完全に、がっちりと両の手首を掴まれて動けなくなった。
その股間に蹴りを入れてやろうとすると、こちらの軸を崩してきて転がされそうになる。
うかつに片足になれば、押し倒されるかもしれない。
「離して!」
「だから言っただろう。足癖の悪い所を矯正してやると」
彼の顔が近い。
整った美しい顔であろうと、向けられるものが何とも言えない気持ち悪さがある。
その上、矯正だの何だのと、私に何かをしようとする態度が気に入らない。
(私はアドレーの娘なのに!)
「――必要ありません!」
「困った娘だ。力で男に勝てようはずがないと、ここまでしても分からないか」
そう言った彼の目は、最初に見た時よりもさらに、悲しさと哀れみに溢れている。
……ご夫人のことを言っているのだろうか。
とにかく、確かに人間レベルに抑えていては、勝てない相手だったらしい。
こうなったら、本来の力を使わせてもらう。
「私の膂力を……侮らないでください」
なるべく傷付けないように。
でも、絶対に力負けしないように。
「うん? 確かに……これほどの力を出せるとは。その細い体で大したものだ」
(……なぜ?)
おかしい……五割以上は出しているのに、びくともしない。
単純に考えて五百キロレベルの生物の力を、物ともしないなんて。
「……あなた、本当に人間ですか?」
まさか、オルレイン隊長もオートドール?
「よく言われるが、ガラディオほどの馬鹿力ではないさ」
ガラディオ――近衛騎士団第一部隊長であり、その団長。
「近衛騎士団の隊長って、皆こんなに……人間離れしているんですか」
もう、八割ほどの力を出している。
これが女の身だから、弱いのだろうか。
(ううん……どんなに細くても、オロレア鉱の塊みたいなものなのよ?)
この重量と、そこから生まれる膂力でも敵わない人間なんて――いるはずがない。
「そうだね。特殊な力の出し方に……気付けるかどうか。人の可能性というのは、なかなかに興味深いものだよ」
力の出し方……そんな次元の話ではないはずなのに。
「……本気を出しますが、大怪我をしても知りませんよ。嫌なら今のうちに降参してください」
――オートドールの、本来の重さと力。
それを味合わせてやる。
「おお、これはすごい。君は力任せなだけでも、これほど強いのか」
「うそ……でしょ?」
そういえばガラディオも、私が持っても重いと感じそうなハルバードを、軽々と扱っていた。
そんなに深く考えたことがなかったけれど……。
服で見えないだけでこの人も、鋼のワイヤーを織り込んだような筋肉なのだろうか。
不愉快さが上回って今まで気にも留めなかったけれど、オルレイン隊長も背が高い。
「……力に自信があるようだが、それだけでは勝てんぞ」
その言葉が耳に入った瞬間には、私は天地が回り、空に放り投げられた感覚がした。
「……え?」
――投げられた?
私が……武術の技量でも負けた?
「不思議な動きだと思って見ていたが、君はどうもちぐはぐだな。繊細な技術を持っているかと思えば、そこに辿り着くなら身に付けているはずのものを知らない」
(――悔しい)
ガラディオには勝てなくても……他にあんな人間など居ないだろうと思っていたのに。
だけどそれも、この体でなら勝てるだろうと思っていたのに。
「……悔しい。悔しい! どうしてあなたに勝てないんですか!」
地べたに転がされたまま、赤く焼けた天を見上げたまま。
……オルレイン隊長を、見上げさせられたまま。
私は恥の上塗りになろうとも知るものかと、泣いて叫んだ。
「泣くな。君の年で、そしてその細身で大したものだ。だから、もっと強くなれるさ」
彼は優しい微笑みを浮かべて、手を差し伸べてくれた。
でも、素直に受ける気にはなれない。
「自分で立てます」
せめてもの抵抗……だろうか。
どこも痛まないように投げてくれたようで、体を起こすこと自体は苦ではなかった。
ダメージの警告表示も出ていない。
ただ、感情が追い付かなくて、うなだれてしまう。
「ふむ。悔しがっている君に酷ではあるのだが」
そこで間を置いてから、オルレイン隊長はもったいぶるように続けた。
「この勝負……君が負けたらどうなるのだったかな?」
「あっ……」
確か……。
彼がいいと言うまで、ここに居ろと言っていた……。
「君の人生を賭けるとはね。俺は随分と得をしたものだ」
「うそ……うそです、そんなの」
血の気が引いてしまって、頭が上手く回らない。
まさか、このまま彼のいいように……されてしまうのだろうか。
「君のお父上が怒鳴り込んで来ても、君の意志でここに居たいのだと言ってくれよ?」
さらに血が抜ける様なことを言われて、信じられなくてその顔を見上げた。
「……もの凄く、悪い顔をなさるんですね」
「君のようなお人好しでは、生きていけないということだろう」
「くっ……」
このままでは、本当にいいようにされてしまう。
なぜこんなことになったのか、よく考えなくては――。
分からなくても、全力で何とかしなくては。
でないと、帰れなくなってしまう。
おとう様に……エラに……。
会えなくなってしまう。
涙を流している場合ではない。
不安で恐ろしいからと、泣いている場合ではない――。
そう思った瞬間、頭にその時の会話が浮かんだ。
記憶機能が作動してくれたらしい。
――『君ひとりで俺の部下五人と同時に戦うというもの』
オルレイン隊長の言葉だ。
――俺の部下五人と……戦う。
(彼と――オルレイン隊長と戦うという言葉は無い!)
「さあ立て。君の寝泊まりする部屋に案内しよう」
私は、彼を睨みながら立ち上がった。
「オルレイン隊長。とんだ詐欺ですね。騙されるところでした」
そう言うと、彼はなぜか、ニヤリと嬉しそうに笑みを浮かべた。
「どういうことかな?」
「白々しいですね。あなたと戦うなど、一言も言っていませんよね。あなたの部下五人と同時に戦う。それだけだったでしょう」
それには勝ったのだ、私は。
私の勝ちのはずだったのに、こんな風に騙そうとするなんて。
「ハッハッハ! 気付かれてしまったか! ハハハハハハハ!」
潔いほど快活に笑い声をあげる隊長。
詐欺がバレて、頭がおかしくなったのだろうか。
「何を笑っているのですか!」
「いや、いやいや。素晴らしい! 君が素晴らしくてつい、嬉しくなってね」
彼はひとしきり笑った後、握手を求めてきた。
あまり触れたくないけれど、他意のなさそうなそれを拒むのは難しい。
「手はすぐに離してくださいね」
ここまで言うのは意地悪かと思ったけれど、牽制しておくに越したことはない。
「本当に大したものだ。恐れ入った」
そう言って、彼は手を離すと片膝をつき、深々と頭を下げた。
「ルネ嬢。数々の失礼、お詫び申し上げる」
「え?」
急変し過ぎた彼の態度に、真摯なその姿と言葉に、理解が追い付かなくなってしまった。
「……え?」
「お許し頂けるだろうか」
「えぇ?」
事態を飲み込めないでいると、観客たちが声を掛け始めた。
「おいおい大将、ほんとに負けちまったのかよ!」
「あらぁ、良かったじゃないの隊長さん。やっとだねぇ」
「ほんとにそんな相手が見つかるとはなぁ!」
「てことはおい、おれらも準備しなきゃか?」
方々から最初に聞こえたのは、こんな感じの言葉だった。
そこからはもう、歓声になってしまって細かな言葉は聞き取れなくなってしまった。
そんな中、隊長はまだ跪いて首を垂れたままだ。
「……お、オルレイン隊長。もう頭を上げてください。それより、これは一体何です? 状況が分かりません」
「お許しを」
一言、彼はそれを繰り返した。
許すと言わなければ、何をしても動かないつもりだろうか。
「ゆ、許します。許しますから説明してください!」




