第八章 八、国王命令(三)
第八章 八、国王命令(三)
目的の砦まで、馬車で二週間という距離。
私が本気で飛べば一日で着くだろう。
でも、道沿いにと言われると正直読めない。
「とりあえず行ってきます」と、気のない言葉でもおとう様は怒らなかった。
どうにも締まらない出発になったなと思いながら、北東の森へと続く街道を行く。
騎士の皆と同じ隊服を着ているのに、一人きりなのが不思議な気分だ。
少しの不安と寂しさ、そして一人で遂行しなければという責任が緊張を生み出してきた。
それを吹き飛ばすかのように、森まではかなりの速度で飛んだ。
森の中も、ほぼ直線の飛びやすい道だから楽だった。
ただ、途中で渡った川を越えてから、曲がり道が増えだした。
「飛ぶ方が神経使うなぁ」
速度を出すことに慣れてしまうと、それ以下に落とすとかなり遅く感じてしまう。
曲がり道といっても、緩やかなものではあるものの、油断していると木に激突するので一旦歩くことにした。
「気分転換にいいかも」
ただ、歩いているとオオカミがよく出る。
食料を入れた荷物のせいかもしれない。
返り血がイヤだったので、適当に光線で対処した。
自動照準にしつつ、オオカミの気配を読みきれているかどうかの確認をする。
私の察知能力と、オートドールの能力の力比べだ。
結果は……十四匹居た中で、二匹捉えられなかった。
「遠くなると難しいわね。どうやって察知してるのかしら」
……サーモを使っても木の裏に回られると同じなのに。
何がこの差を生んでいるのかは分からなかった。
**
ただ歩いていては随分と遅くなる。
そう気付いたのは、日が暮れてからだった。
おそらくは無尽蔵の体力にまかせて、呑気に歩いている場合ではなかった。
……というのも、行軍というものを一人でするのが初めてだったから。
いつも誰か、慣れた人が適切に何でもしてくれた。
その代償が、行動が雑になるということだった。
「そろそろ野営しないとか……」
初めての、一人の野営だ。
道から少しだけ森に入り、荷物を下ろして寝袋を取り出そうとした時だった。
頭上に気配があるような気がした。
――たぶん、トラだ。
その場からスッと後ろに飛び、着地と同時に刀を抜いた。
今居た所にトラが残念そうに降りたかと思うと、そのまま飛び掛かってきた。
でも、それがゆっくりに見えるくらい、私は落ち着いている。
野生特有の、無感情の瞳。
牙を剥くためにその顔が厳めしく歪んでいる。
左右に開いた太い前足で、上から抱え込むように爪がこの身を狙う。
引っかかりさえすればどうとでもなる、とでも言いたげな避け難い軌道だ。
けれど――それは反射的に体を引く相手にしか、有効ではない。
私は思い切り踏み込んで、その腹の下に潜った。
上に突き上げた刀から、トラの鳩尾に深く、鋭く入り込んだ手応えを感じる。
そのまま斜めに体を翻して、トラの下敷きにならないように避けつつ、刺さった刀を真っすぐ振り抜いた。
返り血と、裂いた腸を浴びるのが先か、走り抜けるのが先か――。
「……やだ。足にかかっちゃった」
ぬらりとしたトラの血が、ブーツに少し掛かっている。
染み込むほどの量ではないので、支障はなさそうだけど。
「もっと早く動かないとダメね」
腹の下に入る時、僅かに反応されて爪が服に引っかかった。
そのせいで、体の下から逃げ遅れて足に血を浴びたのだ。
常人の速度で出来ることではないけれど、この体ならもっと出来るはず。
(翼を着けてる時は、これも利用するべきよね……)
そう思って私は、荷物を拾い上げた。
食事も睡眠も不要な体なのだから、思い付いたことをすぐに試したい。
それは、飛ぶのではなくて、跳ねるという走り方。
足を使って地を蹴り、翼の力で加速する。
翼の角度と羽ばたきで方向を変えて、さらに地を蹴ってそれを補う。
緩やかな曲がり道には、それが早いのではと思ったのだ。
**
「思った通りね!」
私は、最高に気分が上がっていた。
木々が猛スピードで後ろに流れていく。
体は軽い。
その分、方向転換で地を蹴る時の衝撃は凄まじいけれど。
「もっと上手く曲がれないかしら!」
羽ばたきを早くする?
でも、それだと減速し過ぎてしまう。
そんなことを考えながらも、頑丈な体に任せてぐんぐんと進んだ。
もう真っ暗になってしまった森の中でも、暗視の可能な目でしっかりと見えるから。
「楽しい! すっごく楽しい!」
人目をはばかることもなく、思う存分に力を使う喜び。
一人きりで自由に出かけることが、思えば全く無かった。
その解放感も、夜のせいか余計に心を躍らせた。
途中でばったりと出くわす獣達も、刀とこの突進速度で一瞬にして斬り進む。
――そこに罪悪感は、もう居なかった。
やっぱり私は、相対する者を斬ることに……命を絶つことに対して、さほど心が動かないのだ。
人として何か欠けているのかもしれないけれど……こんな風に、心が揺れ動かされない強さが、自分の中にあるのが嬉しい。
(あの時は、エラの感情がものすごく混ざっていたのね)
つまりはなおさら、エラには戦う場面に居させられない。
あの子はとても優しい子だから。
それから、なるべく側に居てあげたい。
(……まるで、夜の散歩ね)
あれやこれやと、思いが巡る。
そして、ちょっとした高揚感と。
一人のこういう時間も、たまには必要なのかもしれないなと、少し思った。




