第二章 一、再生の時(三)
「なんだと? もう再開するのか? 休もうと言って、まだ一日目だぞ」
貴族教育を再開して欲しいと、お義父様に伝えるとさすがに驚かせてしまった。
昼食の時に「大事なお願いがあります」と言って、彼の部屋で話した後の第一声がそれだった。
大きなソファが、彼が前のめりになった動きでギシ、と音を立てた。
筋肉の詰まった大きな体は、三人掛けのソファでさえ支えるだけで限界のようだ。
この人が、こんなに目を見開いた顔をしたのは初めて見る。
レアな表情を見られた事で少しときめいたが、歴戦の雄の険しい顔がさらに厳しく眉間にシワを寄せていくのを見て、気持ちはたじろいでしまった。
彼の目の前、向かいのソファの前半分にちょこんと座るオレは、猛獣の前で怯える小動物のように映っただろう。
「う~ん……。なぜそう思った?」
低い声が、怒っているわけではないが理解に苦しむと、唸るように問う。
その圧に少し気圧され、オレはうわずった声で答えてしまった。
「そ、その、照れ臭いのですが……昨夜、おとう様とお話をした事で、心が洗われたんです。
だから、また元気になったので再開して欲しいんです。
それにやっぱり、この一年を頑張れた事を、無駄にしたくありません」
真っすぐにお義父様の目を見て、凛とした姿勢ではっきりと伝えた。
最初だけ、少し弱気だったが、すぐに気持ちを強く持ち直した。
一年前の会話を思い出したからだ。
「公爵家として恥じない振舞いを身につけよ」と言われた事を。
「ふむ……こちらとしては異論無い事だが、ワシはお前が心配なのだ。かと言って、再開して途中で無理だったとは通らん。
内輪だけの事なら好きなようにさせるが、成人の儀に出ると申し出た後では引けんのだ。分かって言っておるのだな?」
苦悶の色を浮かべた目で、じっとオレを見つめている。
「はい。後ろに引くつもりは、全くありません」
意思を固めた声というのは、よく通る。相手の心に届くのだ。
「……そうか」
反対に、お義父様は心なしか、迷っているような声を発した。
(どこまでもオレを気遣ってくれているのか。体調も心も、調子を崩さないようにしないとな)
「わがままを聞いてくださり、ありがとうございます。その……ご心配を、おかけしてすみません。本当に大丈夫ですから。ね?」
お義父様は目を瞑り、一度だけ大きく頷いた。
そしてほんの一時だけ額に手を当てると、気を取り直したかのように、普段通りに優しく話してくれた。
「それはそうと、エラよ。お前は特技があるようだな」
オレに何か、そんなものがあっただろうか。
この体で出来る事は限られている。それを一番よく知っているのは自分自身だ。
「ほれ、白煌硬金の棒を振り回せるのだろう? リリーから聞いているが、お前は教えてくれなんだなぁ」
「あぁ! あれですか……」
毎晩振り回している……なんとかもっと上手く扱えないかと練習もどきを欠かさないが、あれを特技だとは一瞬も思った事が無いので繋がらなかったのだ。
「なんだ、納得しない顔をしおって」
「あれは……振り回せるというだけで、ガラディオのように技には出来ていないものですから……」
技として動きを繋げようとすると、この弱い体では軋むのだ。
なので、無理のない範囲までとすると、ただ振り回すだけになってしまう。
「その体であの重量を振れるだけで十分だろう。見せてはくれんか」
先程までとは変わって、無邪気な顔で言うものだから、どうにも見せてあげたくなってしまった。
胸の奥がうずく感覚に動かされるような、この気持ちは形容しがたいが、でも少し温もりがあった。
(これは何だ……?)
「えっと、それでは棒を持ってきますので、少しお待ちください」
自分の感情が分からなくて戸惑ったが、それよりも早く見てもらおうと思った。
「うむ。楽しみだ」
――そうして戻ってくると、早速お披露目となった。
なんとなく一礼をしてから、普通に持つと金よりも重いこの棒に意識を通した。
すると淡く青く光り、白煌硬金から重みが消える。この体でも、自在に振る事が出来るようになるのだ。
「おお、本当に光っておる」
リリアナから聞いていても、眼前で見るとやはり感嘆するのだろう。
「参ります」
オレは小さく頷くと、普段通りにグルグルと振り回した。
いつか持つであろう剣を意識した動きで、振り下ろしから横薙ぎ、振り上げては下ろす。
遠い間合いの動きから、徐々に近い間合いを意識した動きへと変化させて、小さく素早く体に纏わせるように振り回す。
最後は鞘に納めるように、くるりと回して腰に戻した。
リリアナは褒めてくれたが……本物の武人であるお義父様は、どんな反応をするだろうか。
ある意味テストのようで、終えてから心臓がドキドキと鳴り始めた。
「ほう……見事なものだ。その年でそれだけ出来れば、まずまずだろう」
自己評価よりは、少しは良さそうだ。客観的な視点で見てもらえているならば。
「使えそうでしょうか」
不安な気持ちは抑えきれない。意図せず上目遣いになっているのが、自分でも分かった。
「どうだろうな……速さだけでは人は斬れん。どれ、打ち込んでみろ」
そう言うとお義父様は立ち上がり、後ろの机に立て掛けていた剣を取った。
すらりと抜くと、剣を水平に構えてみせた。
「遠慮はいらんぞ?」
特に下に見ての言葉ではないようで、真剣な顔をしている。
(きちんと見定めてくれるつもりだ)
オレは頷くと、構えた剣をめがけて全身の力を連動させ、出し得る最大の瞬発力で打ち下ろした。
ガギン! と、鈍く重い音が鳴り、確かな手ごたえはあった。
しかし、彼が水平に構えた剣は微動だにしていない。
オレの打ち下ろしは、その場所で完全に止められていた。
「ほう。予想よりもだいぶと強いな。少し本気で受けてしまったぞ」
(水平のままで受け止めきるのか……)
オレの体は子供であっても、白煌硬金それ自体が非常に重いのだ。
いかに力の強い大人でも、剣が動いてしまうくらいの威力は乗ったはずだ。
(力が強いだけじゃない。剣の技量が違い過ぎる)
打った棒を引いて、腰に戻しながら歯噛みした。
「エラ、お前の力でこれだけ打てるなら、本当に大したものだ。
ワシに本気で受けさせるのは隊長クラスの人間だけなんだぞ? 悔しそうな顔をしてくれるな」
「えっ? 本当ですか?」
そう言われて、歓喜の声をあげた。
ガラディオにもお義父様にも、完全に敵わない力量差を見せつけられて心が折れたかと思った。
だが、そうではなかった。試す相手が悪すぎたのだ。
(そうだよな。さすがにそこまで弱いわけがないと思ったんだ)
それが例え、白煌硬金の力を借りたものだとしても。
「斬り込む速度もタイミングも、申し分ない。ただ……捨て身なのがいかんな。その剣術は昔のものか?」
言われてハッとなった。オレの技は、捨て身のものが多い。
本来はもっと別のものだが、当時の心境が技に表れて独自のものになった。
それをそのまま、ここでも練習し続けていたのだ。
「……そうです。教わった祖父にも、よく叱られていました」
お義父様は少し悲しそうな顔をして、しかしすぐに、ニッと笑ってこう言った。
「明日からは体術の他に、剣術も加えてやろう。その身体操作が出来るなら、新たに身に付けるのも早いだろう。
ワシの流派は攻守共に強いぞ? 捨て身の技など必要ないくらいにな」
(敵わないな、おとう様には)
「はい。ありがとうございます」
オレはお義父様のいつものマネをして、ウインクをしてみせた。
彼の包容力に甘えてしまいたくなる気持ちを抑えて、強がってみせたのだ。
「うっ。お前のウインクは、出来れば他人に見せるんじゃないぞ?」
少したじろいで言われたので、なぜかを聞けずに、ただ「はい……」と答えた。
(変だったのだろうか)
「そ、それよりエラよ。木剣は持てるのか? 今日からそれを、しばし預かりたい。大事にしているのは分かっているのだが、ちょっと細工をしてやりたくてな」
そのように言われては、預けるしかないのだが……木剣はまだ扱いきれないだろう。
「力が足りないので、これ以外では振れません……」
「ふむ。ならば、紙を丸めて代用しておけ。
どうせ打ち合う必要は無いのだしな。それに……もし紙の棒で木剣と打ち合えるようになれば、お前にぴったりの剣術が身に付く。どうだ?」
そんな風に、この体に合った剣術と言われたら早く教わりたくて仕方がない。
オレは飛び上がるように、反射的に答えていた。
「身に付けたいです! それじゃあこれ、お預けしますねっ」
(いや……でもそれなら、一年前から教わりたかったなぁ)
白煌硬金の棒を渡しながら、ふとそう思った。
だが、確かに当時は、もっと筋力が無かった。
今でも弱いが、それ以上に基礎体力が無かったのだ。仕方がない。
「うん? どうかしたか?」
微細な表情の変化に気付かれてしまった。
「いえ。なんでもありません。ところでこれは、いつ頃返してもらえますか?」
オレにとっては、希望の道具だ。
念動も少しは強くなったように思う。
これがあったからこそ、自分の弱さをカバー出来ると信じて安心を手にしていたのだ。
なるべく早く返して欲しい。
「う~ん……。そうだな、少し長くなるかもしれん。一年以内くらいには。それまで我慢してくれるか?」
(一年も!)
「そ、それは…………いえ。お義父様が良かれと思ってくださった事ですから。待ちます」
不安な事に違いはないが、新しく教わる事が増えれば、これを扱う時間が持てるかも怪しい。
怒涛の貴族教育を受けている間は、きっと気にする暇もないだろう。
「すまんな。だが悪いようにはせん。絶対にだ」
そう言って、オレの頭を撫でてくれた。大きくて分厚い手は、そこから想像出来ない程に優しく撫でてくれる。
(甘やかすのが上手な人だ)
ふと、この手はどれほど鍛えられているのだろうと、興味が湧いて両の手を絡めた。
顔の前まで連れてしげしげと観察すると、沢山の傷が付いている。古傷だらけで、少し抉れている所もあった。
(戦人の手……こんなになって、戦ってきたんだ)
込み上げてくるものがあり、その手を自分の頬に当てがった。それで古傷が治るわけではないというのに。
オレが思っての行動ではなかったような気がしたが、気が付いたらそうしていた。
「エ、エラ。照れ臭いではないか。というか、作法はどこまで習った。それはあまり、するものではない」
言われてハッとなり、顔を離した。
何か恥ずかしい事をした実感が、遅れて湧いてくる。
「次の作法の時間に、それがどういう相手にするのか聞いておくんだぞ? よいな」
何となく察したオレは、またもや耳まで真っ赤になっている。
(たぶん、恋人とかにするやつだろう。やってしまった……)
衝動的に取ってしまう行動は、この体に操られたかのように無自覚だ。
(気を付けないと……)
「……その、忘れてください……」
しぼり出した言葉は、小さくて聞こえなかったかもしれなかった。
伝わるように、コクンと小さく頷く。
しかしこうなってしまうと、恥ずかしくて顔を上げられない。
オレはその場でさっと礼をして、逃げるように部屋を去った。
そんなオレに、後ろで「気を付けなさい」と言ってくれている。
(なんであんな事したんだよ、オレは)
お義父様の部屋を出た後も、頬にはしばらく余韻が残っていた。
――「面白い」 「続き!」 「まぁ、もう少し読んでもいいか」
と思って頂けたらぜひ、この作品を推してくださると嬉しいです。
『ブックマーク』で応援して頂けると、喜びます。
下にある『☆☆☆☆☆』が入ると、幸せになります。
(面白い!→星5つ。つまんないかも!→星1つ。正直な気持ちで気楽に星を入れてくださいね)
(もちろん、星4~2つでも)
どうぞよろしくお願い致します。 作者: 稲山 裕
週に2~3回更新です。
『聖女と勇者の二人旅』も書いていますので、よろしくお願いします。
https://ncode.syosetu.com/n4982ie/




