第八章 五、余波による被害者
第八章 五、余波による被害者
エラへの遠慮が無くなってから、私はエラとずっと一緒に居る。
休みがまだ続いていて、暇だからというのが大きいけれど。
護衛巡回や開墾などは、私にしか出来ないというわけではないので、このまま屋敷に居なさいと言われるかもしれない。
お義父様からすれば、公爵令嬢である私が大木を容易く斬り倒したり、獣を単騎で仕留めるような雄姿が見たいわけではなかったから。
普通に言っても言うことを聞かない私に、周りが休めないからという体の良い理由を見つけてきたのだ。
つまり、私が大事業の工作部隊や、彼らを護る護衛部隊に戻れるかというと、戻れない可能性の方が高い。
遺跡だった生産工場を動かす時にだけ、伝令が私の元へとやって来る。
それを受けて、私がリンク機能で工場に指示を飛ばす。
言葉通り、この体に備わった通信機能でメールのごとく飛ばすだけだ。
だから、お屋敷に居る方が都合が良いと言われて、休みは続いている。
その分、エラのご機嫌は上々だ。
「おねえ様。今日もエイシアと一緒に寝る時間ですよ!」
昼食の後、室内用の素朴なドレスのまま、エイシアが定位置にして休んでいるお庭の一角に連れられている。
エラと毎日のようにお庭で寝そべるものだから、ドレスは茶系か深い緑を基調にしたものが増えた。
お陰で来客がある度に着替えさせられる。
とはいえお昼寝付きで食事も美味しいし、可愛い妹と遊ぶことも出来るという、最高の職場環境だ。
……仕事らしい仕事は何もないけれど。
「おねえ様とエイシアも、少し仲良くなりましたよね」
もうすぐ、いつもの場所だなと思っていた時にエラが言った。
エイシアに向ける視線が、やわらかくなったと。
「そうかしら」
未だに世界の敵候補だと言われるのだから、失礼なやつだと思っているのだけど。
「あ、ほら、エイシアが地面に溶けてるみたいでしょ? あれは全く何も警戒していない時にしかしないんです。おねえ様が帰ってきた時は、もっと座ってる感じだったんですよ?」
言われてみれば確かに、くつろいでいてネコっぽさが増している。
まるで自分の家のように、お庭での定位置で横向きにとろけた姿をしているのだ。
「確かに、おなかを貸すのを待ってるみたいね」
私の言葉通り、エイシアは私を一瞥しただけで寝そべったままだ。
こちらにおなかを見せて、生きたクッションソファか巨大なぬいぐるみのように。
「エイシアは基本的にやさしい子なんです。侍女達に肉球まで触らせてあげてるんですから」
「へ~。私も触りたい」
これまでは、エイシアを友人のように扱うなんて発想はなかった。
でも、エラがここまで心を許すような相手であるなら……。
「きっと、おねえ様にも触らせてくれますよ」
少しくらい、警戒を緩めてもいいのかもしれない。
私にも、この間は優しかったし。
「おっきなネコの……こほん。トラの肉球なんて初めて触るから、楽しみ」
「意外と硬柔らかいんですよ?」
「硬くて柔らかいって、どんな感触なんだろう」
とはいえ……エイシアが私に触らせてくれるだろうか。
などと思ったのも杞憂で、何も言わずに触らせてくれた。
ただ……少し頭をもたげたその視線には、冷ややかなものを感じるけれど。
――(貴様。何をエラと一緒になって触っておるのだ……)
「わ~。ほんとだ、何か硬いけど柔らか~い」
かなり分厚い鉄……のようでいて、弾力がある。
それに、表面はひんやりとしているのに、じっと触れていると体温も感じる。
――(白々しいぞ。なかなか良い度胸がついたようだな)
「……おねえ様。エイシアがお話してほしいって言ってます」
「ふふ。うん、そうね。お礼を言わなきゃね。……エイシア。この間は優しくしてくれてありがとう。それから、いつもエラがお世話になっているのも、ありがとう」
――(なっ……。調子の狂うやつだ)
素直にお礼を伝えると、たったそれだけのことなのに、エイシアへの警戒感が薄らいだ。
それはたぶん、相手を認めるというすごく単純なことだった。
エイシアとはそれ以上の会話は無かったけれど、昨日よりも少し、優しく包んでくれたような気がした。
**
エラが本当に眠ってしまったので、その寝顔を見ながら頭を撫でていた時だった。
数日ぶりに帰ってきたお義父様が、直接私を呼びに来てくれた。
「ルネ。今日もここに居ると聞いてな。しかし……エイシアはいつ見ても圧巻だな」
「おかえりなさい、パパ。こんな所にどうしたんですか?」
衰えのない、大きくて頑強な体。
鋼鉄の鎧でも纏っているような、がっしりとした姿にはいつも安心感を抱く。
他の人達は、畏怖や緊張を覚えるらしいけれど。
「なに、次の仕事を頼もうと思ってな」
その声を聞いて、エラが目を覚ました。
「……パパ。……おかえりなさい」
けれど本当に寝入っていたみたいで、まだ眠そうにまどろみと戦っている。
「ハッハッハ。エラは夜更かしでもしていたのか?」
「夜もしっかり眠っているはずですけど、爽やかな気候とエイシアの温もりが心地良いのでしょうね」
春は後ひと月ほどで終わるけれど、まだまだ暑くはならない。
程よい陽気と涼しい風は、気を抜けば誰もが居眠りに落ちてしまいそうな心地良さだ。
エラを筆頭に。
「可愛い娘だ」
お義父様の厳めしい顔も、エラや私を見る時はほころんで好々爺のようになる。
「もう少し見て行かれますか?」
「ん? いや、先に戻っておく。後で良いから執務室に来てくれ」
わざわざ呼びに来たのに。
単に顔を見に来てくれたのか、急ぎの用を曲げてくれたのか。
「エイシアに任せて私も行きます。エイシア、エラをよろしくね。エラ……また後でね」
エイシアは頭を重そうに、少しだけもたげて返事の代わりにしたようだった。
エラはもう一度寝入ったみたいで、エイシアのお腹に顔を埋めている。
「ふっ。そんなに心地良いなら、ワシも今度寝かせてもらおうか」
そのお義父様の言葉に、エイシアの三角耳がピクリと反応した。
とろけたままの姿では表情も分からず、それが歓迎なのか嫌なのかは汲み取れなかったけれど。
**
屋敷に入るまでの道々、お義父様は急に立ち止まると私に、かなり真剣な顔で向き直った。
「ルネ……。お前、しばらく前からよそよそしい気がするのだが。何か気に入らぬことでもあったか」
「えっ……一体、何のことでしょう」
「それだ。その口調。前まではもう少し距離が近かったではないか。それがどうした。今は何というか、他人のように固い」
そう言うなり、肩を落としてあからさまにしょんぼりとしている。
お義父様のそんな姿など、見たことがない気がする。
「かたい……ですか? そんなつもりもないのですが……」
「……辛い事があったのも、過酷な仕事に出してしまったのも悪かった。お前が行くと言うのを止められなかったワシが悪い。だが、その気を張ったままの態度ではワシは……悲しいのだ」
「気を張ったまま……」
確かにほんの先日まで、そうだったなと思った。
エラが寂しがっていることに気付けずに、エラと精神的に混ざってしまっていた間……私は情緒不安定で、お義父様に対しても距離感がおかしくなっていたかもしれない。
「ワシに怒っておるのだろう。何でも言うてくれ。全て受け止める。が……以前のように接してくれんか」
かなり本気で落ち込んでいるらしい。
「ちょ、ちょっと待ってください。私はパパに謝られることも、逆に怒るようなこともありません。ただ……色々とあって、気を張っていたのは事実でした」
そのせいで、誰に対してもどこか、他人行儀になっていたかもしれない。
思えば、口ではパパと呼んでいても、お義父様と呼ぶような気の張り方……。
「ぱ……パパ。その、意識しちゃうと、ちょっと恥ずかしいっていうか……」
おとう様と、心の中でも親しみを込めていたはずだったのに、いつのまにか距離が遠い感じで居たのは、無意識だ。
それを意識して甘えた感じになるのには、どこかで羞恥心を忘れなくては出来ない。
「お……おぉ。そうだ、その感じで話してくれ。よそよそしいのは耐えられん」
こんな未熟な私に、なんて愛おしいことを言ってくれるのだろう。
「パパ……。ごめんなさい。慣れないことに自分から首を突っ込んだくせに、こんな感じになっちゃって……。これからは、パパの言うこと、もっとちゃんと聞こうと思います……」
「そんなことは良い。子が成長するのに、親の言う事をいちいち全て聞いていては、逆に先が思いやられるからな。今のままで構わん。だが、冷たくされるのは本当に敵わんのだ」
「もう……パパったら。でも、嬉しいです。……執務室まで、腕を組んでもいいですか?」
私が腕を……と言い終わる前に、既に腕を出してくれていた。
「いつでも構わんぞ?」
「フフ。……パパはやさしいですね」
「そうか? そうかもしれんなぁ」
満足そうな笑みを浮かべるおとう様を見て、私もほっとした。
私はすぐに遠慮をしてしまうから、それが冷たい態度に感じさせてしまうのかもしれない。
エラにも、おとう様にも……家族にはもっと、自分を出せるように頑張っていこう。
でないと知らない間に、こんな風に傷付けてしまうから。




