第七章 二十九、遺跡(五)
第七章 二十九、遺跡(五)
最初に斬ろうとした中央のトラがまた、私から一瞬目を逸らした。
もしかすると、あれで私を誘い込んでいるのかもしれない。
そうだとすれば、あいつの方がちゃんと戦っている。
トラの方が意識のフェイントをも使っているというのに、私はただ、愚直に突っ込んだだけだった。
――今からは違う。
私は地を蹴ると、二頭のトラの真ん中を割るように突撃した。
が、やつらの間合いに入り、前足を出したくなった瞬間を狙って『間』を外した。
隊長の方に行かせないよう左斜めに入り、横薙ぎに首を狙う。
前足の出かかった所に、その足が邪魔になる位置からの一太刀。
トラは無理に首を背けて、体勢を崩しながら――私に対して完全に側面を向けた。
私はその無防備な脇へと目掛け、渾身の突きを打ち出す。
逃げ腰になったトラには浅いと踏んだ私は、さらに体当たりの態で突進を続けた。
差し込んだ刃は、トラの脇腹から心臓へと深く突き刺さる。
声にならない唸りを響かせ、それは地に伏した。
「先ずは一頭」
その隙をついたつもりか、もう一頭が私の背後から大きく被さるように、両足を広げて飛び掛かってきた。
鋭く長い爪が、引っ掛け巻き込むように弧を描いて左右から振り下ろされる。
――が、少しでも浮いていては、どんなに身を翻そうとも私の刀から逃れる術はない。
刺さった刀を抜いた勢いのまま、トラの想定よりもさらに深くその腹の下に潜り込み、光線と共に縦に一太刀。
すかさず返す刀で、頭上のトラに対して横に二回。
宙を飛んだまま体を分断されたトラは、私を越えて体ごと……どちゃりと着地した。
「やれば……できる」
そして隊長は無事かと視線を向けると、そちらも終わっていた。
トラは体の前半分を血まみれにして、さらには首を半分断たれて絶命していた。
「さすがはルネ様! トラの二頭くらいは瞬殺でしたね!」
一体、あの一瞬でどうやったらこれだけの傷を付けられるのか。
「隊長も……凄いんですね」
ガラディオのように、一人でトラを倒せる人が居たのだ。
「私だけではなく、隊員達もなかなかのものですよ」
言われて彼らの方を見ると、何のことはない、見事に打ち倒していた。
「良かった……」
意図せず口から出た言葉は、皆を想う気持ちだった。
「これはこれは。皆が聞いたら喜びます。後でもう一度、言ってやってもらえますか?」
ベリード隊長にそう言われては、断れない。
「ええ……そんなことで良ければ」
そう答えると、隊長は「少しお待ちを」と言って、隊員達の方に向かって行った。
どうやら、負傷者がいないかなど色々と確認しているらしい。
そしてついでに、立ったままの警戒状態ではあるけれど、休憩を取るらしかった。
血のりを刀から拭っていると、隊長に呼ばれてそう言われた。
**
目指す遺跡は、もうすぐなのは確かだろう。
全く獣に遭遇しなかったのに、いきなり五頭ものトラに襲われたから。
他にもクマやらオオカミやらが、わさわさと居るのかと思うと少し気が重くなった。
でも、そんな風に思っていると、隊長が私を持ち上げ始めた。
「ルネ様のお力なら、獣の群れが来ても大丈夫そうですね。深くは聞きませんが……いずれもしお話頂けるなら、流派をお聞きしたいものです」
さすがは、隊長を任される男。
流派には、普通に興味を持ったのだろう。
私もベリード隊長の剣術について興味が湧いたし、彼もそうなのだと思う。
その上で、私の出自などを慮って、深く聞かなかったのだ。
「ええ、またいずれ。でも、群れが来ても大丈夫とは買い被り過ぎです。光線も上手く当たりませんし、獣の動きは読みづらくてかないません」
本当なら、初撃で三頭とも落とすつもりだったのだ。
恥ずかしくてそんなこと、今はとても言えない。
「二回目は素晴らしかったじゃないですか。あの動きは、歴戦の風格がありましたよ。間の外し方には惚れ惚れしました。あれが出来るなら、ルネ様ならもっとやれるはずです」
「そうでしょうか……」
褒めてくれるのは嬉しいけれど。
どうにも、心に迷いが出来たせいか、動きに波があり過ぎる。
「……そうですね。次に出た獣は、全てルネ様に倒して頂きましょうか。どちらにしても、その光線の力は使いこなして頂かなくては……この後の数を捌き切れないでしょうから」
「えっ?」
真剣な面持ちの隊長は、つまらない冗談を言っているわけではなさそうだった。
「数が、尋常ではないのです。あの王都襲撃事変のような、局地的な密度で言えばそのくらいは居ます」
「……見たのですか?」
まるで、本当に見て来たような言い草だ。
「偵察の時に。百は覚悟してください。オオカミなどの雑魚は我々に任せて頂いて、ルネ様にはクマと、特にトラをお願いします」
獣の、その群れの中を見てきて……彼は無事に帰ってきたということだろうか。
「そんな不思議そうな目で見ないでください。私は偵察が得意なんです」
「……なるほど」
食えない人だ。
気配だけではなく、臭いも音も、獣に感じさせずに偵察出来るなんて……人間業ではない。
体の前半分をズタズタに斬られたさっきのトラは……ともすれば、目で追えない動きと、臭いや音さえ拾えないような攻撃を受けたのかもしれない。
目の前に居たはずの敵が、見えないところから攻撃してくるようなものだっただろう。
そんな想像をしたら、私でさえベリード隊長に勝てるだろうかと、背すじが寒くなった。
でも、それよりも……。
そんな獣の群れを相手に、ベリード隊長の部隊に、私だけを連れて行くことをどう思っているのだろう。
「あの……私を戦力として、どのようにお考えですか」
例え訓練で皆に勝つからといって、規模が違い過ぎて普通なら話にならない。
私が百……いや、その半分でも居れば別だろうけれど。
「それは、将軍がルネ様お一人で十分だと仰られたからです。まぁそれだけではなくて、実際に動きを見せて頂きましたしね」
「たった、それだけで?」
お義父様への信頼というのは、こんな風に命が掛かった時でさえ、新参の私を超戦力として扱えるらしい。
「将軍が大丈夫だと言って、そうでない時が一度も無いからですよ。それにあなたの動きは、歴戦の猛者でもそうは出来ない戦いぶりです。そのお若さで、死線を何度越えてこられたのかと、私も計りかねておりますが」
お義父様の信頼の上で成り立ったこの関係性も、ベリード隊長が私そのものを見てくれたことも、二人の強固な信頼関係があるからこそなのだと、胸が熱くなった。
それに、隊長自身の強さゆえの、人を見る力。
「……私なんかを、見てくださってありがとうございます」
「……何を仰る。不慣れだと聞いていた集団戦でも、きちんと部下達に気を配ってくださっていたじゃないですか。それに、前回で心を痛められたというのに、その胆力。お見それしている所です」
「もう……おだてるのが上手ですね」
本当に、私の手綱を握るのが上手な人だ。
やる気が出て来たというか、自分がどこまで出来るのかを、試したい気持ちになった。
この体の力を、本気で使うとどうなるのかを。
「隊長……一度、私一人で向かっても良いですか? 光線を存分に使ってみようと思います。後ろには飛ばしませんので」
隊長は一瞬、目を逸らして思考したのが分かった。
「ほう……。ですが、万が一ルネ様に何かあってはなりませんので、部隊を離れるのは許可出来ません」
やっぱり。
でも、皆が近くに居ては、指先からの光線を使えないし、放電も使えない。
各関節付近に仕込まれている隠し武器も。
私一人でなくては――全身が武装されいるこの体の、本当の全力を出せないのだ。
「――お願いします。この翼があれば、どんな攻撃も防いで、どんな状況でも私は逃げることが出来ますから。絶対に負傷さえしません。お願いします」
翼の話も本当だし、オロレア鉱で出来たこの身は、獣の爪や牙では傷も付けられないはずだ。
エイシアのような、念動を使う異物が居なければ。
「…………ふぅむ」
短い溜め息交じりに、ベリード隊長は小さく唸った。
「お願い。大丈夫ですから。ねっ?」
お義父様なら、このおねだりで大抵は落ちてくれる。
彼にも通じるか分からないけれど、何も講じないよりはましだろう。
「……ルネ様。軽すぎます。この状況の中で、そこらの娘のような……」
やはり裏目に出てしまったか。
「ふぅぅ……。仕方がありません。獣どもの中で討ち死にするのも、ルネ様に何かあって将軍に首を刎ねられるのも、そう変わりますまい!」
「えっ」
態度と言葉が合わなさ過ぎて、意味がすんなりと入ってこなかった。
「不服でございますか? 我等の命、お預け致します」
それは、主にお義父様から……ということらしい。
「い、いえ! ありがとうございます。私、今は出来る気がするので!」
堅苦しく話すよりも、少しばかりくだけた方が、ウケがいいかもしれない。
そんなあざとい計算が入ってしまったけれど、気分が高まってしまったせいでそのままの気持ちが出てしまった。
「は、ハハハハ。そんなお顔もされるのですな。いたずらを思い付いた娘のようです」
「アハ……ハ」
何はともあれ、全力を試せる機会に恵まれた。
森が深くて、助かった。
きっと私が何をしても、彼らに見られることはない。
そう考えると、何と都合の良い状況なのかと、薄ら笑いがこぼれそうになった。




