第七章 二十七、遺跡(三)
第七章 二十七、遺跡(三)
何事もなく一夜が明け、獣の声ひとつ聞かずに道を進んだ。
足元はかなり荒れてきているけれど、馬が嫌がる程ではない。
馬車も……まだ進めている。
「明日いっぱいまでは、この道に頼って進めるでしょう。問題はその後ですね」
そういえば、ベリード隊長は実際に、この道を作った一人なのだ。
「そんなに酷い?」
道というよりは、撤退した最大の理由――。
「そうですね。さすがにトラが同時に数体、目を光らせていては」
道を作るための工作隊も抱えての遭遇では、まともに戦えないからだろう。
「戦闘部隊だけなら、大丈夫ですよね?」
「まぁ……善戦を期待したいところです。ルネ様が頼りですから」
「えっ?」
そこまでトラは強いのか、それとも私を試して……。
「ハッハッハ。その翼の力、存分に発揮してください。我々は邪魔にならないようにしていますから」
――やっぱり、隊長は余裕のある笑みを浮かべている。
「もう。またからかってる」
「おや、バレてしまいましたか」
肩をすくめて誤魔化す仕草は、誰もがするらしい。
見慣れたそれを横目に、私は唇を尖らせた。
この体の見た目年齢からすれば、きっと誰もが見せる「スネました」というポーズだ。
そんな私の姿を、ベリード隊長は娘でも見ているかのように頬を緩ませ、眺めていた。
**
――森に入って三日目。
道が途切れ、馬車での乗り込みが出来なくなった。
その荷を馬に載せて歩いてもいいけれど、結局すぐに立ち行かなくなるから置いてきた。
馬車にはそれぞれ、二人の御者が乗っているので十人居る。
だから安心して全員の馬を預けられるし、彼らもまた、クマ一頭程度であれば対応出来るという。
それに加えて、そこまでは獣に一度たりとも遭遇していない。
つまり、その場所までは比較的安全な森なのだ。
そこから数時間。
本当に……出会わない。
御者らの安全とは逆に、この先に対する不安が嫌でも膨らんでいく。
普通ならクマか、少なくともオオカミくらいは遭遇していてもよさそうなのに、獣が居ないのが恐ろしい。
「気味が悪い程、獣が出ないでしょう。ルネ様はどう見られますか」
広大な森林の深奥――そこはすでに、異様な気配だけが木霊するように、何かの音だけが遠雷のごとく聞こえている。
「ずっと見られているような、気のせいのような……何かが肌にまとわりつく感じがします」
赤外線モードでも、獣大のものが見えない。
せいぜい小鳥かリスか、大きくても鷹らしき鳥くらい。
全て木の上の方にしか、生物が居ないのだ。
それなのに、強者に品定めされているような感覚が、しばらく続いている。
「なかなかに鋭いですな。これはたぶん、トラが遠くの方で様子を伺いながら、並び歩いているのです。奴らは視線など送らなくても、鼻も耳も良いですから。風下から、我々は追われているのです」
そう言われて、視野に頼った索敵しか出来ていない反省と、昔に味わった、本物の暗殺者が滲み寄る空気感を思い出した。
重い、死の予感が圧し掛かった敗北の記憶。
今の体なら、トラにさえ負けないはずなのに。
でも、実際に戦ったのはエラの体の時で、翼に頼り切った空中戦だった。
トラの代表のようなエイシアには……一太刀も浴びせられていない。
(あれ……。勝てるよね? 私……)
刀の一撃にこだわらずに、光線をちゃんと使えば……。
考え出すと、徐々に弱気になってしまった。
頑丈なだけで、私は弱いのではないだろうか、と。
「ルネ様? 気を張り過ぎますと、奴らに気取られます。まだ誘い込まれているだけで、襲っては来ないですから」
「は、はい。すみません」
「いえいえ、緊張するのも無理はありません。我々もこの数に追われるのは初めてですから」
少なくとも三頭。
もしかすると、前方にも何頭か居るかもしれないと隊長は言う。
「……お役に立てなかったら、すみません」
言った後で、後悔した。
それを言えば、彼らは必ず、私の盾になるというスイッチが入ってしまう。
「今のは気の迷いです。絶対に私が何とかしますから」
「ルネ様……気負いは禁物です」
隊長の真剣な顔に、言葉を発すれば発するほど裏目に出てしまったのだと、遅れて気付かされた。
「……落ち着きます。すみません」
なんとか言葉を選ぶと、ベリード隊長は何も言わずに、優しく微笑んでくれた。
――情けない。
やっぱりどこか、調子が戻らない。
でも、もうそんなことを言っていられないところまで来ている。
奴らがいつ襲ってくるのか、もう、時間の問題なのに。
「……ふぅぅぅ」
小さく、誰にも聞こえないように深呼吸をした。
刀の柄に手を掛けて、意識を切っ先まで通す。
いつもの感覚。
戦う前の意識を、全て刀に集中する。
「ただ斬らばこそ。戦陣の中に圧し通るのみ」
――自身は刀。刀の想うままに。
前回の、敵を斬り伏せた時は自然と出来ていた。
死線を超えたその先の、間合い取りの極限――。
「良い言葉ですね、ルネ様。我々も、それに続くとしましょう。――来ます」




