第七章 二十四、魔法
第七章 二十四、魔法
お義父様の抱擁を、さすがに長いので止めた後。
報告は全てベリード隊長がしてくれるというので、私は部屋に戻ることにした。
エラに顔を見せようかと思ったけれど、今の陰鬱とした気持ちを見透かされそうで、まずは少し休むことにした。
ふかふかのベッドに横になるのも久しぶりだ。
そう思いながら寝室に入った時だった。
「おねえ様。おかえりなさい」
そこに居ると思っていなかったので、私は飛び上がってしまった。
「あら、そんなに驚かなくても」
優美さをそなえ始めた銀髪赤目のエラ。
その可憐さは寝間着姿であっても、ますます磨きがかかっているように見える。
落ち着いた口調も板についてきたのか、その佇まいだけで魅了されそうなほど。
「エ、エラがここに居るなんて、思わなかったんだもの」
私の寝室の、私のベッドに悠然と腰かけているのだから。
「だって、疲れたおねえ様はおかえりを言わずに、先に休もうとすると思ったんですもの」
合ってる……。
疲れただけではないけれど。
「それに、何か後ろめたいというか、言い辛いことでもあるのでしょう? 全部お顔に書いてありますよ?」
こんな子を彼女や奥さんにしたら、お相手になる人はひとつも隠し事が出来ないだろう。
華やかな笑顔の、その目の奥は……じっと私を見据えている。
シロエよりも厄介な存在になった――私は本能的にそう思った。
「えっ……と。……ただいま」
「ええ。おかえりなさい、おねえ様」
「な、なにか……おこってる?」
「いいえ?」
微笑みは崩れていないけれど、小首を傾げられただけで、何かを白状しなければいけないと思わせられている。
「えっと……横になってもいい?」
「もちろん。おねえ様のベッドだもの」
私は緊張気味に隊服を脱ぎ、意外と返り血は浴びていないなと思いながら下着姿になった。
埃っぽさを除けば、汗などかかないこの体は、そんなに汚れていないように見える。
ただ、いくら女同士とはいえ、じっと見られていると気まずい。
「あ、あんまり見ないでよ。エラ」
「エヘヘ。そうですよね、ごめんなさい。でも、とっても綺麗だから……つい」
妖精のようなエラにそう言われると、本当だろうかと疑問に感じてしまう。
……いや、誰に言われても、あまりピンとこないのかもしれないけれど。
「エラは私なんかよりも断然可愛いのに、何言ってるんだか」
「まあ、おねえ様はもっと、ご自身の美というものに目を向けるべきですよ? そうそう、婚約の申し込みがおねえ様にも沢山きてるのを、パパが全部焼いてるんです。知ってました?」
クスクスと笑いながら、そんな日常を話すエラを見ていると、帰ってきたんだなという実感が湧いてきた。
「ふふ。パパ専用の焼却場が必要かもね」
そう言うと、エラはケラケラとおなかを抱えて笑った。
そんな姿は、やっぱりまだ少女なのだなと愛おしくなる。
「……ふぅ。さぁおねえ様、一緒にお昼寝しましょう。私、子守歌を覚えたんですよ? 歌って差し上げます」
屈託なく微笑む今のエラは、普通の可愛い妹に見える。
さっきまでは、何か怒られそうな気がしていたのに。
「歌……うん。子守歌、聴きたいな」
ベッドに横になると、エラも隣に入ってきた。
こちらを向いた拍子に、顔にかかった銀髪を耳の後ろにかき上げる仕草は、年齢の割に色っぽく見える。
「エラ。本当に可愛くなったね。きっと想像もつかないくらい、美人さんになると思う」
「おねえ様こそ……。私はおねえ様が、その美貌で見初められて、誰かに取られてしまうのではとやきもきしてるんですよ?」
「ふふ。それはないと思うけどな。さっきもパパに、じゃじゃ馬って言われたところだもの」
「なら、ずっとじゃじゃ馬で居てください。私の側から、居なくなったらイヤです」
「そんな心配をしていたの? まぁ……でもパパが、嫁に行けと言ったら、しょうがないけどね」
「もう! おねえ様はすぐそんな諦めたようなことを言うから。だから心配なんです。今回のことだって……無理をしたんでしょう? 分かっているんですからね」
「う……。ごめん。怒らないでよ」
「……次は怒りますから」
「エラ……。うん。ありがとう」
「そのかわり、ぎゅってしてください。頭も撫でてください。それから……寝ないで子守歌を聞いててください」
「プッ。寝ないで聴くの? ふふ。うん、わかった。エラの歌声、ずっと聴いてる」
そんなやり取りの後、聴かせてくれた子守歌は……。
そよ風の吹く草原の中、女神様のお膝で、頭を撫でられているというものだった。
爽やかな日が差し、薄い雲がゆるやかに形を変える。
大きな木の下で、女神様と一緒に、その木陰から遠くの空を眺める。
今は少しおやすみなさいと、女神様は歌う。
「かわいい子。かわいい子。あなたがまた羽ばたくために、今は、おやすみなさい」
――そんな歌だった。
やさしい声に、やさしい歌。
疲れ切った心が、ふわりとほどけて心地良い。
**
結局、エラは歌い終わった後も、特に何も問い詰めてはこなかった。
優しく微笑んでくれて、きゅっと抱きしめ返してくれている。
私の胸元に顔を埋めたり、私の顔を見つめたり、私に触れていることがただただ嬉しいといった様子。
そんな無邪気なエラを見ていると……胸につかえていたものが出て来てしまった。
不安定な私の心は、ふとした時に弱さが溢れてしまうらしい。
ふるえる手でエラを抱きしめていると、エラはまた、悠然とした態度に変わった。
「私にも、おねえ様の苦しみを分けてください。一人で抱え込むなんて、ずるいですよ?」
その言葉に――。
全容は言わなかったけれど、辛い出来事があったと、私には直視出来ないことがあったと……エラに伝えた。
「おねえ様は、何でもひとりで抱えすぎなのです。こうして私にも、あとはパパにも。ちゃんと伝えてください。もっと頼ってください。……甘えてください。おねえ様の、唯一のダメなところです」
私はただ、黙って頷いた。
エラは、そんな私の胸元に口づけをしてくれた。
そして黙って私を見上げて、お返しはないのかと、そのルビーのような瞳で訴えられた。
「わ、私もするの?」
「当然です。キスには、魔法が込められているんですよ?」
何の魔法かは教えてくれなかったけれど、その可愛い額にキスを返した。
ほころんだ笑顔を見せてくれるエラに、「確かに少し、楽になったような気がする」と、素直に伝えた。
「これが愛のちからですよ?」
そう自慢げに微笑むエラに、もう一度キスをした。




