第七章 二十三、帰還
第七章 二十三、帰還
王都への……屋敷への帰り道に私は、森林のさらに奥にあるリンク出来る場所に行っていないな、と考えていた。
そんな余力も気力も、無かったけれど。
でも、いざ森を抜けて街道に出ると、せっかくかなり奥まで入ったのにと、後悔した。
少し抜けて、さっと上空まで飛んでいくくらいは出来たかもしれないのに。
そんな葛藤をしながらも、今は改めて行く気になれない……。
なぜなら、もしも敵がそちらにも行っていて、また攫われた人が居たら――そう思うと憂鬱だったから。
街道に出て少しすると、王都から馬車の向かえが来た。
二台の荷馬車と、その護衛に騎兵が十五。
平時であれば十分な数を、食料の補給に戻った時、私が手配しておいたのだ。
ここまでピッタリに来てくれるとは思っていなかったけれど。
「これは……助かりますね」
ベリード隊長をはじめ、他の隊員も喜んでくれた。
全員が乗る事は出来ないけれど、負傷した隊員も居たから。
何より、保護した皆を乗せられるのは大きい。捕虜の二人も、いちいち担がなくて済む。
「少し気が緩みそうになります」
私がそう答えると、隊長は少し迷ったような顔をして、微笑んでいる。
「ルネ様は今くらい、緩んでも大丈夫ですよ。警戒は怠りませんから」
それは、私への気遣いを悩んだのだろうと思った。
彼らは警戒を解かない。
それを私にも要求すべきか、それとも特別扱いをしようかと。
隊長は後者を選んだ……私が不甲斐ないから。
「戦場に慣れた我々とて、負傷もするし心理的に参ってしまう時もあります。そういう時に支え合えるのが、仲間というものです」
「仲間……」
「ルネ様は少し参っておられる。だから元気な者で支えるのです。気に病まれますな。次に元気な時、支える側に立てば良いのです」
「……そう、なんだ。ありがとう……」
特別なわけではないと、そう言ってくれたのだろうか。
でも、落ち込んでいてもいざという時、皆の盾にはなれる。
だから、荷馬車には乗りたくない。
「歩くのは続ける。いい?」
「見上げた根性ですな。皆も気合が入るというものです。是非に」
「ふふ。変なの」
「はっはっは。変ですか? そうかもしれませんなぁ」
そういえば、隊長ももう少し、気を張った話し方をしていたのに今は……おじさんぽい。
「ふふっ。隊長は、良いパパなんでしょうね」
「おっと。機会があれば、それを妻の前で言って頂けますか。絶対に聞かせてやりたい言葉です」
「あら。奥さんはそう思ってくださらないのですか?」
「妻だけじゃなくて、子らもですよ。最近のガキどもときたら……」
初めて、個人的な話というものをした気がする。
特に意味などない話のようで、だけど、少しずつ絆が深まっていくような。
それにきっと、私の沈んだ気持ちを紛らわせようとしてくれていて、その気遣いが嬉しい。
本当に少し、気がほぐれたような気がした。
そんなことを思っていると、馬車の上から声が掛かった。
「ベリード隊長。我々馬車隊が、急げば折り返し戻って来れそうです。先に行きます」
「ああ、そうか。任せる」
戻った頃には夜になるだろうに。
野営時の食事や、夜の見張りなどを受け持ってくれるつもりなのだろう。
「助けてもらえると、嬉しいものですね」
「ですなぁ。疲れていると本当に、格別なものがあります」
信頼できる人達で支え合えるというのは、こういう時に身に染みる。
安心して任せられて、そしてその気遣いに、心から甘えることが出来る。
……どうして人は、皆がこんな風に出来ないのだろう。
とても歯がゆくて、とても苦しい。
無限に続く泥沼を歩かなくてはならないような、辟易とした気持ちになる。
(だめだ。情緒不安定になっている)
「ルネ様?」
「だ、大丈夫。大丈夫です」
こんなにも……たった一回の戦闘で、状況で、心がやられてしまうなんて。
「ふむ……戻られましたら、沢山甘えると良いですよ。夫が居れば良いのでしょうが……ご婚約はまだされていないのでしたね。アドレー将軍にでも、心の許せる侍女にでも構いません。必ず、目一杯甘えてください。良いですね?」
ベリード隊長は、そんな話をあまりに真面目に言うものだから、それが冗談なのか真剣なのかが分からなくなってしまった。
ただ苦笑いを浮かべていると、「冗談を言う時は、大抵その者の背中を最後に打ちます」と言われた。
背中を打たずに。
「……本当に?」
「ええ。絶対にです」
彼は短く答えると、「前の様子を見てきますね」と、歩幅を大きくして先へと行ってしまった。
そう言われると、この湧き上がっていた気持ちに少し納得がいくものだなと思った。
今、彼になら……抱かれてみてもいいと考えてしまっていたから。
身も心も委ねて、彼に包まれてみるのもいいかもしれないと。
(――私が?)
滑稽で、我が心を疑う話だ。
気がどうにかなっているのだろう。
それほどあの光景が――二人の声、姿が――現実が……背を向けた私には、受け止めきれなかったということだ。
「もっと、ああなる前に救ってあげたかった」
――この一言に尽きる。
変えようのない事実を、ずっと悔やんでいる……。
それに、もう一つ問題が浮かんだ。
こちらも、解決出来ない苦悩になりそうだ。
**
夜には荷馬車が戻ってきてくれて、沢山の食事と少しの酒が配られた。
前日に続いて、のどか過ぎる帰路は、昨日までのことが夢だったのかと錯覚させるほどだった。
そして何事もなく無事に、王都に帰ることが出来た。
皆はとても嬉しそうだけど、私はずっと足元がふわふわとしている。
そんな状態のまま部隊は解散となり、私はベリード隊長と共に、荷馬車に揺られて屋敷に向かっている。
彼は隊長として、お義父様に報告するためだ。
そう。今からお義父様にも、そしてエラにも顔を合わせなくてはならない。
フィナやアメリアにも、隠さなくてはいけない……。
一体、どんな風に振舞えば、この陰鬱とした気持ちを悟られずに過ごせるだろうか。
一日でこれが治まればいいけれど、その後もとなると……。
「ルネ様。昨日お伝えした事、必ず実践してください。良いですね?」
私の様子をずっと気にかけてくれている隊長が、釘を刺してきた。
「う、うん……」
作り笑いさえ出来ずに、ただ目を逸らしてしまったけれど。
甘えろと言われても、何をどうすればいいのか分からない。
そもそも、この胸中を吐露するにも、どう言えばいいのか……。
頭の中はぐちゃぐちゃとしているのに。
「逆に悩ませてしまいましたか。でも、アドレー将軍が付いているのですから、お任せすれば良いと思いますよ」
隊長はそう言うと、荷馬車を降りて私に手を差し伸べた。
もう、着いてしまったらしい。
見慣れた屋敷の、見慣れた玄関扉。
そこはすでに開かれていて、侍女が数名と、お義父様の顔も見えた。
優しく私を見ているけれど、その目の奥で、この気持ちをすでに見抜いたのかもしれない。
ピクリと、その眉が動いたのが分かったから。
「さ、ルネ様。将軍がお待ちですよ」
ベリード隊長は、よほど私をお義父様に合わせたいらしい。
「うん……」
はたから見ればじれったいだろう。
なかなか降りてこず、隊長の手も取らない私に、何をもったいぶっているのかと。
「ふぅぅ……」
取り繕い方も思いつかず、お義父様にはさっきの一瞬で、きっともうバレてしまった。
腹を括って――というよりかは諦めて――隊長と共にお出迎えの前に立った。
「おかえり。ルネ。そしてベリード、娘をよくぞ無事に帰してくれた。礼を言う」
お義父様の威厳に満ちた声は、今の私にはこの後どうなるだろうと、胸を締め付ける。
「――はっ。総員無事に帰還し、王都に入った所で解散としました。皆疲れていたもので。そして保護した女性十一名と女児一名の計十二名、捕虜二名がおります」
一瞬で軍人の顔になった隊長は、簡潔に帰還の報を述べた。
「ほう、良くやった。詳しい話は中で聞こう」
そしてお義父様は私に、両手を広げて大きく頷いている。
「こ、ここで、ですか?」
今の気持ちと、気恥ずかしさとで躊躇していると、お義父様の顔が寂しそうに曇っていく。
「も、もう……パパったら……」
隊長の前で、パパと呼ぶのも照れ臭かった。
けれど、自分の足でその胸元に進み、大きなその体に手を回した。
「どうせ無茶ばかりしておったのだろう! じゃじゃ馬娘が……」
ぎゅう。と、思いのほか強く抱きしめられて、「きゃ」という可愛い声が漏れた。
……三秒、四秒と抱きしめられ、それでもなお続く。
「ぱ、パパ。長いです。た、隊長も見ているのに……」
でも、それだけ心配をかけたのだと思うと、振りほどく気にはなれなかった。
「どうそ。お構いなく」
隊長が静かにそう伝えたものだから、その後しばらく、抱擁は続くことになった……。
私の真っ赤になった顔を、その厚い胸板に埋めて隠したままで。




