第七章 八、偉大なるプリン
第七章 八、偉大なるプリン
ゲルドバ卿を捕らえてから、一週間ほどが経った。
おとう様に覚えておけと言われた家名と人相書きを、三十人ほど覚えさせられた以外は。
と言っても、今の私には記憶するというのは簡単で、一度目を通せば覚えてしまう。
今のところオートドールは、人の体以上に便利なことしかない。
メンテナンスも自動だというのだから、この星の本来の文明が、いかに高次元なのかが分かる。
(そういえば、エラの翼もきれいに直っていたわね)
そんなことを考えながら、お庭でエラと一緒に、エイシアに包まれている時だった。
おとう様がこちらにやってきた。
「ここに居たか。二日後、また夜会に出る。ルネも来なさい」
「……踊らないといけませんか?」
「いや、今回は簡単な立食だけだ」
突然言い渡されるのは、急に決まったことだからなのか、言うのを忘れていたのか。
でも、その手に手紙を持っているから、今しがた届いたのだろう。
「私も一緒に行きます」
心地よさそうにウトウトしていたはずのエラが、冷たい目でおとう様を見上げていた。
「こ、こら。父を睨むやつがあるか」
「だって。おねえ様ばかりに危ないことをさせるんですもの。私も居れば完璧なのに」
おそらく、エラは力を使うことに躊躇があまり無いのだろう。
私が中に居た時は考え過ぎだったのかもしれないけれど、エラは敵だと思った人間には、魅了の力を容赦なく使うつもりでいるらしい。
「お前は一体誰に似たのだ……すぐに誰彼となく敵にしてはならんと言うとるだろう」
その最初の言葉に、私はすかさず「パパです」と言った。
「ルネ! 二人してワシを責めてくれるな」
「じゃあいいですよね? 私も行きます」
エラはもう、行く気でいる。
「じゃあ。ではない! 勝手に話を進めるな。今回はまだだめだ。エラが力を使うとややこしくなる」
ということは、一応は考えてくれたらしい。
「え~? だって、どうせ情報を取りに行くんでしょう? 魅了してしまえば、洗いざらい言ってくれると思うのに」
「それは最後の手段だ。また遊びの時に連れていってやるから。な?」
「私、気持ち悪いおじさまや子供っぽい令息たちと踊りたいわけじゃないですから。おねえ様をお護りしたいの!」
おとう様もタジタジにさせるエラは、すでに魔性の女なのかもしれない。
「ならん。ならんぞ。……そうだ、プリンを土産に持って帰ってやるから。それで我慢しろ」
「……パパ。私たちがいつまでも、プリンで言うことを聞くとお思いですか?」
エラは頬を膨らませて、ジッとおとう様を睨んだ。
……その仕草は、実は幼くて可愛らしいということに、この子は気付いていない。
「要らんのか?」
しかも、エイシアにもっふりと寝そべっていて、あまつさえ尻尾のお布団まで掛けられている状態で。
「…………いります」
かわいい抵抗は、ここまでのようだった。
「じゃあ話は終わりだな。大人しく待っていなさい」
そう言って、おとう様は屋敷に戻っていった。
「エラも言うようになったわねぇ」
「おねえ様が言わなさ過ぎるんです。見ていて危なっかしいのは、おねえ様なんですから」
「えっ……」
……なんだかこの子は、ほんの少し見ない間に、どんどん大人になっているらしい。
**
夜会当日。
今夜は深い蒼のワンピースドレスで、開いた胸元にルビーのネックレスを合わせた。
エラの瞳と同じ色。
そして最も緊張していたけれど、予め知っていたからか、エラに冷たい目で見送られることはなかった。
一番の難関をほっとした気持ちで通過して、残すは今日のお仕事だ。
どうやら、ゲルドバ卿を尋問して出て来た家名全てに手紙を送り、容疑を払拭してみせろと脅したらしい。
どれも小物ばかりで、ほぼ白だろうとにらんでいるにも関わらず。
ということは、何か別の目的があるのだろうと思った。
――その夜会、最初こそ静かに落ち着いた交流の場だったのに、半時もしないうちに泣き言が聞こえ出した。
王族派の一人が運営するやや広い会場。
そこは申請すれば、ルールに則って誰でも気軽に借りることが出来る。
今夜は、おとう様を含めた王族派が十五人と、手紙を送られた反王族派の銘々が二十人ほど。
緊張した面持ちの反王族派たちは、誰に話をしようかと相談した結果、手当たり次第に声を掛けていった挙句の、泣き言だった。
覚えた三十人全員が来たわけではないらしいけれど、その家名と人相が一致している。
そして彼らは、おとう様にも無下にされた結果……皆、私の所に来た。
私は一人、皆を観察していればいいのかなと離れていたのが、仇になったのだ。
「ルネ嬢! どうか私達の話をお聞きください!」
「な、なんですか突然。しかも大勢で……」
二十と三人。
必死の形相で囲まれては、さすがに怯むものがある。
詰め寄るものだから距離も近いし、あと半歩踏み入られていたら、先頭の人をひっぱたいていたかもしれない。
「我々に濡れ衣が掛かって大変なのです! しかし誰にも、話しさえ聞いてもらえず……ルネ嬢に頼る他ないのです!」
口火を切ったその人は、すでに涙が浮かんでいた。
「なぜ私なんです。おとう様に直談判なさればいいでしょう」
「み、見向きもされません! これまで敵対勢力だったからです。でも、これではあんまりです! 今までの事は全て謝罪すると言っても駄目で、もう、ルネ嬢からお話していただく他ないのです!」
代表として話しているのが二人。
禿げている中年と、まだ若いけれど苦労が滲み出ている人。
さすがに、二十人余りが口々に発言しては、話にならないことくらいは分かるのだろう。
「そんな都合のいいことを。皆さんも私のことを、どこで作った隠し子だとか、色々と噂しているではありませんか。いい迷惑です」
「そそ、それもお詫びいたします。もう二度と、ルネ嬢の事を悪く言ったりしません! アドレー大公の事も! もちろん、今後は派閥に関係なくルネ嬢を全力でお手伝い致します! だからどうか、どうか!」
適当に、思っていたことを言っただけだったけれど、他に何を言われているのかが気になった。
「……やはり、相当な悪口を言っていたようですね。洗いざらい吐き出して頂きましょうか」
「…………今ですか?」
微妙な間と、全員の困惑した表情。
皆一斉に目を逸らしたことを鑑みるに、酷い内容なのだろう。
「今です。全部。全て!」
聞いた後、どうするかは何も決めていないけれど。
「……ひ、貧民上がりと……」
「――ええ。貧民上がりの少女娼婦が、美しいだけの顔で取り入ったのだろう。と、私は聞きましたが」
この手の噂は、聞き飽きる程に聞いた。
「あぁぁぁぁ! すみません! いや、私はそこまでは言っていないのですが!」
「次!」
「姉妹……」
「なんです?」
「姉妹揃って、小娘のうちから余程の床上手なのだろう。と!」
「それは初耳ですね。あなたは家ごと消滅すればいいんです」
「そんな!」
「次!」
「う……。うちの息子に嫁がせて、私が相手をしてもらいたいものだ……と」
「最悪の考えですね。汚らわしい。もっと離れてください」
同じ空間に居ること自体が気持ち悪い。
「うぅ……これは、言い損なのでは……」
「黙っていたり嘘を言うと、後でもっと酷いですよ? おとう様の諜報力、ご存知でしょう?」
何だか、これ以上は反射的に殴ってしまうかもと思ったけれど、聞かないのも気持ちが悪い。
「……わ、私は、自分の妾に欲しいと言いました……その……毎日、妻には出来ないような事を散々に仕込んでやると……」
「揃いも揃って、そういう事しか頭にないのですか? 次!」
「貧民街を……。あのような上玉が落ちているなら、貧民街を探してみるのも良いなと……」
「それで? 実際に行って攫ってきたのですか?」
「め、滅相も無い! そんな重罪が知れたら家が潰れてしまいます!」
「……次」
「私はその……ルネ嬢のような方に踏まれてみた――」
「――つぎ!」
男の欲望や妄想というのは、本当に汚らわしくて気持ちが悪い。
腹が立ってつい、声を荒げてしまった。
「……もう、もうありませんルネ嬢。他は似たり寄ったりです。我々の話など、こうした下世話なものばかりです。貴族と言っても下流中流。妬みなんかを……こうしたつまらぬ話で酒を飲み、日々のウサを晴らすのが関の山です」
「そ、そうなんです! それが、今回は人身売買に通じていたなどと!」
「確かに品のない話で盛り上がりますが、犯罪に手を出すのは違います! そんなリスクを背負っても、我々には何の得にもなりませんから!」
皆が口々に言い始めた。
適当に終わらせなくては収集がつかなくなってしまう。
「欲望に負けた……ということではなくて?」
「いくらなんでも、今の地位を捨ててまで性欲に溺れたりはしません。それなら娼婦を呼べばいいのですから」
「そうです! この地位で犯罪に走るのは、頭がどうかしている! 馬鹿馬鹿しいにも程がある!」
そう言った彼の言葉に賛同したのか、やみくもに声を出すのではなく、他の者達も頷いている。
「……そうですか。まあ、一応はおとう様に伝えて差し上げます。でも期待しないでください。その後どうするかは私ではありませんので」
そう言って顔を背けると、これ以上詰め寄るのは良くないと踏んだのか、「失礼いたしました」と離れていった。
正直に言って、取るに足らないという印象だった。
おとう様なら、この程度の相手なら全て掴んでいるはず……となれば、泳がせているだけということだ。
(……ほらやっぱり)
こちらを見てニヤニヤしているんだもの。
となると、彼らに対しては、私が罰を与えろということよね?
よからぬ……下世話な噂を流した罰……。
(――うん)
結果も経過も聞かせずに、しばらく放置しておくのが良さそうね。
だからこそ、おとう様も泳がせているのだろうし。
追い込まれた時にどう動くか……。
流されて悪事に手を染めるのか。
それとも、耐えてこちらに付く決意を固めるのか。
そんなところかしら。
――エラも……そんな風に言われているのね。
本当なら、光線で胴を真っ二つにしてやりたいところだけど。
……確かに、私がこのくらい怒るのだから、エラが聞いたら間違いなく魅了を使ったと思う。
その上で、お互いに殺し合いをさせたかもしれない。
(凄惨な状況……かといって、私もそれを止めないだろうし)
エラを連れて来ていたら、私も歯止めが効かなかったかもしれないのね。
さすがおとう様――というか、私もこの場に必要だったのかしら。
**
帰りの馬車の中。
隣に座っているおとう様は、素知らぬ顔で「何を言われていたのだ?」と言った。
……把握していたくせに。
でも、その後にニカッっと笑ったのを見て、わざと私を怒らせているのだと分かった。
「もう! パパは全てご存知でしょう?」
「ハッハッハ。いや、たまにはああいう奴らのあしらいを覚えるのも良いだろう?」
一癖も二癖もある教育方針だこと。
「でも、パパの思った通りの結果にしかなりませんよ」
「して、どうする」
それは期待してくれている。
――ということなのだろうけど。
「何も聞かせずにしばらく放置のまま。それで追い詰められた時に、どう動くかを見ます」
「さすがはルネだ。愛しい我が子は、立派に育っておる……」
「大げさです!」
ずっと甘えていたい気持ちと、娘としておとう様の役に立ちたい気持ちの間で、どうしても甘えていたいと拗ねてしまう自分が居る。
「おやおや、今日は少し機嫌が悪いな。プリンで許してはくれんか」
「もう。エラじゃないんですから」
「ダメか?」
――この、娘たらしのおとう様は。
私の気持ちも全て理解したうえで、今日はひとつの試練だったのだろう。
「……許します」
「ハハハハハ! お前は優し過ぎるから少し心配になる」
「じゃあ許しません!」
「頬を膨らましても可愛いのは、どうにかせんといかんな」
「パパ!」
「ハッハッハ! すまん、すまん!」
……私は、ちょろいのだろうか。
悔しいけれど、おとう様の側にぎゅっと身を寄せて、その逞しい腕にもたれかかり――。
プリンだけでは足りない分を、そっと補っておいた。




