第六章 十七、その正体(一)
第六章 十七、その正体(一)
調査を続行すると決めたものの、どうすればいいかを考えあぐねている。
何をするのも恐ろしく感じるから、とりあえずフィナが腰に着けてくれた巾着を開けた。
(二食分……包み紙が四つだから、二つずつね)
手に取った一つは、丁寧に包んだ白パンの間に、ベリーを煮詰めたジャムが染み込ませてあった。
食べやすいように配慮されているし、朝食ではいつも、フィナが塗ってくれているのを思い出す。
「フィナ……離れてからまだ半時間程度なのに、もう恋しくなっちゃったよ」
とても美味しいけれど、これから恐ろしいことが起きるかもしれないと思うと、やっぱり喉を通らない。
一つだけをなんとか食べ終えると、もうお腹いっぱいになった。
お水も飲もうかと迷ったものの、二日分の水袋を扱うのは、浮いたままでは苦戦しそうなのでやめた。
「さて……。一度、ものすごく上から見てみようかな」
何の影響も受けなさそうな上空から、上陸出来そうなところを探そう。
そう思って真上だろう場所まで来てみたものの……海が広がっているだけ。
やはり、あの透明になる膜に触れるか通過するか、してみないことには始まらないらしい。
(小石でも持ってくれば良かった)
光線が当たった時の衝撃は、命の危険を感じるものだったから。
小石を投げてみて、何もなければそのまま膜の中に入れるかもしれない。
でも、そのお試しの代わりになるものが、手元には何もない。
それから数分は考えただろうか。
アメリアがくれた水を、上から少し零してみようと思った。
そしてそれは、難なく膜を超えた。
なぜ確認出来たかは明確で、何の衝撃も起きなかったから。
見えなくなるまで、零した水は様々な形になりながら落ちて行き、そして膜があっただろう高さでも何事もなくそのまま落下し続けていった。
(水は行ける! でも、生身の体に、何か反応したらどうしよう?)
物ならどうだろうか。
そう思って、勿体ないけれど……フィナの包み紙を一つ、落としてみることにした。
(でも……ほんとに勿体ないわね)
私はおもむろに紙を開けて、中身を確認した。
(これには、煮詰めたリンゴのスライスが挟んである……)
フィナは、私の好きなものばかりを挟んでくれたのだろう。
「勿体なくて落とせないじゃない……!」
でも、私は自分の賢さを褒めたくなった。
なぜなら、さっきの紙を丸めて落とせばいいと気が付いたから。
「天才だわ」
海にゴミを捨てる感覚に、一瞬躊躇したものの、それをぽいっと膜の上に落下させた。
そしてそれも、何事もなくずっと落下して行き、見えなくなった。
「膜を抜けた辺りから、見えなくなってるっぽい……」
水も、紙も、するっと落ちていった。
これなら、私自身もすんなり入れるんじゃないだろうか。
そうは思ってみても、あの衝撃を忘れることが出来ない。
もしも、何らかの力に反応するのだとしたら……翼が一番怖い。
抜けたと思った瞬間、背中であの衝撃を喰らえば、さすがに死んでしまうだろう。
「どうしよう」
考えながら、私は羽剣を一枚、目の前に浮かべて、それの意識を抜いて落下させた。
白煌硬金の薄い羽は、スーっと落ちていくと、やはり一定の距離で見えなくなった。
「回収……」
意識を込めて、落下し続けている羽剣の大体の位置をイメージして、戻るように伝えた。
するとしばらくして、それはすんなりと姿を見せては、翼の中に戻った。
「……行けるんだ」
無事に膜を抜けられるのかもしれない。
恐怖感は、半々と言ったところ。
私は意を決して、ゆっくりと降下することにした。
翼は、危険が迫ると自動で回避してくれる。
その機能も信じて、慎重に降りて行く。
「はっ……はっ……」
胸がどきどきしているのか、体全体でどきどきしているのか分からない。
全身が微かに震えているし、手ははっきりと震えて止まない。
冷や汗が額から流れて、私より先に落下してく。
そして、あと数十メートル下に、膜があるだろう高さまで来た。
「さっき食べたパン。こみ上げてきちゃうわね……」
喉の奥には、胃酸の嫌な感触がすでに上がって来ていた。
『解析完了』
「ひゃああああ!」
突如うしろから聞こえた翼の声に、私はパニックになりかけた。
「ああああなたねぇ!」
言ってもしょうがないと分かっていても、怒らずにいられなかった。
『反エネルギーバリアが展開されています。中和システムを装備していないため、通過不能』
「え? どういうこと?」
『全機能停止による疑似無機質化で通過可能。尚、再起動まで自由落下するため、五秒間防衛出来ません。中立勢力との戦闘突入確立九十パーセント。現在の死亡確率は八十パーセント』
「えっ? 落ちて入るの? 中立なのに戦うの? とにかく、死ぬなら逃げなさいよ!」
膜の中に、敵が居るということ?
でも確かに、これは翼と同じような、古代の武器か何かと言われれば、そうかもしれない。
何でもっと早く、そういう考えにならなかったんだろう。
(無理よね……私、この世界にそんなものが、まだ残ってるなんて……)
カミサマの記憶には、あったのかもしれない。
――いや。カミサマの思考の欠片に、そういうのがあったのに……活かせなかった。
(どうしよう。もしも敵なら、私だけじゃなくて後から来る調査団も逃がさないと)
『ミサイル攻撃感知。緊急回避モード』
(あ……)
カミサマが前に、イメージしたやつだ。
それは、爆発を伴う凄まじい殺傷力を持っている。
『最高速回避運動開始。光線迎撃、及び羽剣防御壁展開』
聞き慣れない言葉を理解するよりも早く、何が起きているのかが目の前で繰り広げられた。
先ず私は、とんでもない速さで調査対象の真上に上昇しながら、左右前後に大きく振られている。
全身が揺られそうなはずだけど、特に何も感じないのは翼の持つ保護機能のお陰だ。
そして、何十という光線を翼が放っている。
その一秒から二秒置きに、下の方で赤い火球が花開く。
無音の世界に居るようで、音は聞こえない。
羽剣は何十枚と飛び交っていて、まるで様子を見ているかのようだ。
何十個もの火球が黒煙になってもうもうとしている。
「……止まった?」
そう思ったのは、上昇している感触が無くなったから。
それと同時に、『ドーン! ドドーン!』という爆発音が聞こえてくる。
「……遅れて聞こえるのね」
それにしても、かなりの高さまで上がったのだろう。
『光線連動兵器確認。ロックオン警告』
「……うそでしょう?」
光線……相手も持っているなんて。
自分だけの、特別だと思っていたのに。
『防御成功後に登録者射出。滑空翼にて生存されたし』
なんとなく、分かる。
翼は、私を最後まで生かすつもりで戦っているんだ。
光線で撃たれたら、どうなるかは知っている。
それをなんとか防いで、防ぐことに成功したらということは……そこで死んじゃうかもしれないんだ。
「ありがとう。今まで。……でも、ずっと一緒に、居たかったな」
体は、かなりの速度で螺旋を描きながら急降下しているのが見える。
海が、どんどん近付いてくる。
もう死ぬかもしれない。
そう思って成り行きを見ていると、突然大きな陸が見えた。
膜が消え去ったらしい。
そのあちこちから、光が見えた。
それらは、まるで闇雲に撃っているような、互いに交差するような滅茶苦茶な方向に光を伸ばしていた。
けれど、それがなぜなのか分かった。
それらも、ぐるぐると螺旋を描きながら私に向かって収束していく。
――逃げ場を奪った状態で、必中させるつもりだったのだ。
私の翼は、それが収束しきる前に横に高速移動した。
螺旋に動く光線の、一本にだけ当たった。
じゅうううううう! と、激しく火花を散らしながら羽剣たちが真っ赤に燃やされていく。
「ああっ……」
私の羽たちが、無くなってしまう。
螺旋の収束から脱した翼は、さらに陸に向かって急降下を続けている。
もうすぐ、膜があった高さを下に超える。もうすぐ膜の中で、陸に入りそうだ。
そこに、第二射が放たれた。
また、闇雲に交差させているようで、的確に私を狙って、今度は網のように光線を放っている。
どうせ焼かれるなら、頭からひと息にしてほしい。
苦しむのも、この体が欠損するところを見るのも、耐えられない。
『離脱射線確認。登録者エラ様、ご武運を』
翼が直接、一本の光線の盾になったかと思うと、私はあっという間に空中に投げ出された。
保護機能も何もない。この生身のまま。
陸がみるみるうちに近付いてくる。
どこに激突するのかと覚悟を決めようとしたら、フワっと空気を受けているのが分かった。
(滑空って、こういうことなんだ)
まるで風のように、空気の中を滑って進んでいる。
激突というよりは、上手く操れば擦り傷で済むかもしれない。
そう思える程度には、落下速度は速くはなかった。
(でも、また光線を撃たれたらどうしよう)
翼はもう、背中には居ない。
なるべく痛くなさそうな場所を、自分で探さなくてはいけない。
(どこか、柔らかそうな草の多いところ……)
必死で見渡していると、あちこちに整地された畑らしきものがある。
畑を見たことがなくても、あれだけ整っていればそうだと分かる。
背が高く柔らかそうな畑に体ごと反転させていくと、案外思い通りにそちらに滑っていく。
(酷い怪我をしませんように。体が千切れたりしませんように……!)
祈り切る前に、その畑が眼前に迫る。
咄嗟に私は、羽で受けようと身を翻した。
背中に、全身に、植物の葉がばちばちと当たって柔らかさなど微塵も感じない。
そして、何がどこにどう当たったのか分からないほど、私は植物たちと地面に全身を殴りつけられた。
「あ……ぁ」
声も出ない。
息も出来ない。
全身が砕けたのかもしれない。
手の感覚も、足の感覚も、全てが衝撃と痛みとで、埋め尽くされてしまった。
地面から感じる、液体の感触。
とんでもない出血をしたのかもしれない。
それはもう、生きてはいられないほどの……。
お読み頂き、ありがとう御座います。




