第六章 十六、沈没の理由
第六章 十六、沈没の理由
ノイシュ伯爵に、偵察の許可を取った翌日。
一度はお試しで、ギリギリ目視可能な沖まで飛んで、すぐに戻ってきた。
皆が見守る中、無事に戻るとミリアが一番にかけきた寄ってきた。
「飛行は確かに、問題ないようですね。その翼……エラ様はもしかすると、天が遣わされたお方なのかもしれませんね」
造形は確かに素晴らしいけれど、そんなに言ってもらうと気恥ずかしい。
「ミリアは大げさね。でも、巡り合わせは本当に、不思議だなって思うけれど」
照れていると、ミリアは次こそ沈没地点に向かうのかと神妙な顔をし出した。
「方向は……本当に大丈夫ですか? もしも、少しでも不安になったらすぐに引き返してください。かなり遠洋になりますから。あんな大海原で一人だなんて……私なら怖くて泣き出してしまうと思います」
「ちょっとミリア、間際になって脅かさないでよ」
さすがに少し、海の不気味なほどの大きさに、恐怖は感じたから余計に怖くなった。
先に一度、飛んでおいて良かったなと思った。
改めて心の準備が出来たから。
「脅かして、やめさせようと思いました」
そう真顔で言われると、整ったはずの心が揺れそうになる。
「もう。ミリアも悪い人ね」
出発に時間を掛けるべきじゃないと、一歩退いた時だった。
「エラ様。どうかご無事で」
フィナが、ズボンのベルトに巾着の紐を結び付けた。
「お腹が減ったら、食べてください。二食分ありますから」
「エラ様っ。こっちはお水です。忘れていたでしょう」
アメリアも、腰から下げられるようにした水袋を掛けてくれた。
少し重い。
「アメリア、どれだけ入れたのよ」
「二日分です」
「ちょっと多すぎない?」
「フィナ先輩とミリア様と、一緒に考えたんです。万が一の時を考えて、水だけでも多く持ってもらいましょうって」
また置いて行かれるのを、口をへの字にして耐えるアメリア。
「ごめん。そうよね。ありがとう」
アメリアの頭を撫でて、私は海に向き直った。
「皆、行ってきますね」
「いってらっしゃいませ」
『ご無事で』
ミリアと、フィナとアメリアが応えてくれた。
太陽に照らされた水面が、波に揺られてキラキラと眩い。
――方角は東南東。
今は磁石が正確だから、これを頼りに飛んで行く。
私は軽く振り返って、手を振った。
そして翼に意識を込めると、それは即座に反応して体の重みが消える。
(相変わらずしくみは分からないけど、こんなに心強いものはないわね)
方角を見誤らないように、もう振り向かない。
一呼吸もしないうちに、横目に見える陸がぐんぐんと小さくなって行く。
目標地点まで、二百キロほど。
人の目線で地上から見える距離は、五キロもないと教わった。
そう思うと、高いものがないとあまり遠くまで見通せないのだなと思った。
今の私は、小高い丘の上くらいの高さを飛んでいるからその十倍ほど先までは見えているはずだけど……。
どこを見ても水平線しか見えないのは、背すじにうすら寒いものを感じさせる。
翼に任せて一直線に飛んでいるはずなのに、それすら疑い出すと本当に恐ろしい世界に変わる。
(……何も考えちゃだめ)
沈没地点まで、翼の全速力で十分くらい。
これは、今まで私が翼で飛んだ時の記憶から、距離や時間で速度を割り出した結果だった。
考えられないくらいの速度らしい。
実際、とても速いということしか私には分からないから、細かなことは専門家にお任せした。
帰りは、方角さえ分かれば良いという、本当なら杜撰過ぎて許可されないような調査だけれど。
翼の機能が高過ぎて、それでも許可せざるを得ないらしい。
改めてこの翼がすごいのだと分かったけれど、一度の調査で沈没の理由が何か分かるとは、誰も思っていない。
何日もかけて行うし、実際には伯爵の調査船団が私の後に続いて出発しているはずだ。
明日には目標地点で、合同で調査することになるらしい。
私がまず行うのは、近くに着いたら浅瀬が無いか、もしくは小さく露出した陸がないか、そうした「地形」の有無を調査する。
**
目標地点には、色々と考えているとすぐに到着した。
とはいえ、ぱっと見渡した限りでは何もない。
高度を落としてもっと水面に近寄らないと、波が眩しいだけだ。
(こんなの……上からじゃ何も分からないんじゃ……)
何とか生きて帰った船員達は皆、何かに激しくぶつかったと証言しているらしい。
つまり、座礁したのは間違いないだろうという結論になっている。
一度だけであれば、巨大魚にぶつかった可能性もあるらしいけれど……二度も同じことが起きれば、浅瀬か陸があるに違いない。
進路を少し変えても同じ結果になったというからには、割と広い範囲で地形が変わっているだろうと。
見た感じでは、陸はない。
ならば、船底に当たるくらいの浅瀬だ。
そう思って探してはいるものの……。
海の色が濃くて、中まで見るには水面ギリギリまで降りなくてはいけない。
(……こんなに怖いの? もしも海に飲み込まれたら、きっとすぐに死んじゃう)
足の数メートル下には、その深くに吸い込もうとしている深い海が居る。
(無理……これ以上、一メートルでも降りるのは怖くて出来ない)
それでも、水面の少しだけ下が見える高さまで、頑張ったのだ。
(冷や汗で背中が冷たい)
無意識に、剣を落としてしまわないだろうかと手で確認をしていた。
(落としてしまうはずがないのに……触れていないと安心できない)
カミサマは念動で自在に動けるから、そもそも落ちるはずがなかったと気付いたのは、ニ十分も経った後だった。
「……いい加減、慣れなきゃ。ちゃんと探せないわね」
風も弱くて海も穏やかで、翼に護られている以上は怖がる必要はない。
そう言い聞かせて、何度か深呼吸をした。
そしてふと、以前考えていた新しい戦い方を思い出した。
周りに危険過ぎて使えないなと、不採用にした方法。
それは、『剣から光線を出し続けながら薙ぐ』という、大勢を相手にするための戦闘法だ。
アーロ王子の兵達に追われた時に、亡き者にしても良かったならこういう戦い方もあったかなと思い付いた。
けれど、本当に何もないような広過ぎるくらいの場所でないと、余計な巻き添えをしてしまうから咄嗟に使えないのだ。
「今なら、海と空しかないのだから、やってみてもいいわよね」
一度くらいは試しておけば、何かの時に選択肢に入れられる。
剣を抜き、イメージ通りに出来るだろうかと刃を水平に構えた。
後は光線を出し続けながら、横に振るだけ。
「何をされたか分からないくらい、一瞬、でっ!」
掛け声の無様さとは裏腹に、光線を出すタイミングと横薙ぎの動作を同時に、まさしくイメージ通りに光が一閃した――。
と同時に、目の前で稲妻が荒れ狂い、凄まじい轟音で大気を引き裂いた。
――バリバリバリバリ!
「キャアアアアアア!」
咄嗟に目を閉じ耳を塞ぐも、その激しい光と音は自分さえ飲み込んで、体中にありえないほどの振動が襲う。
(体がズタズタになる――!)
……そう錯覚するほどの、激烈な雷轟が数百メートル先で起こった。
その衝撃波が、体を抜けていったのだ。
……その上さらに、ありえない光景に目を奪われる。
「……な……なに……。何なの、これ…………」
水平に放った光の残滓と、それを分かつ巨大な島。
大陸の一部だと言われれば、そうなのかと納得するほどの。
その突如現れた巨大な島をさらに包み込む、薄い膜のような半円のドーム。
ほぼ透明なドームは、また空と海の景色に戻っていきつつも、未だにあちこちでバリバリと光を放っている。
「陸……? が……。とつぜん……それがまた、消えていく……」
目の前の光景が理解出来なくて、それをぼんやりと眺めるしか出来ない。
(海の……何もない海の上に居たはずよね?)
ほどなくして、その巨大なドームが透明になり、景色の中に溶け込んでいくと……また何もない大海原に戻った。
(……これが、座礁の原因なんだ)
あれに船がぶつかったのなら……。
膜に当たったのか、島の崖か何かに直接当たったのか。
とにかく、『あれ』が原因なのは間違いない。
大きさも尋常ではない。
島なのか、陸なのかもはっきりしない。
その膜が、半円だったから島だと思っただけで。
今も目を凝らせば、うっすらとその境界だけが見えるような気がする。
それはまだ、放った光線の影響が残っているだけなのかは、分からないけれど。
「報告に戻ってしまったら、『あれ』の位置が分からなくなっちゃう」
改めてここに戻って来てから、横薙ぎの光線をもう一度放つという手は危険だ。
あの衝撃波を、もしも場所を見誤ってもっと近くで喰らったら?
……今度は、生きていないかもしれない。
(今、私が行くしかない)
もう少しだけでも、『あれ』を出現させるなり目視出来るなりの、何らかの情報を手に入れなければ。
航路に、あんなものが透明な状態で居座っていたら誰だってぶつかってしまう。
多少進路を変更しても、見えない以上は大き過ぎて絶対に避けられないから。
(まさか、こんなことがあるなんて……。誰にも想像できないわよ)
お読み頂きありがとう御座います。




