第六章 十四、春の訪れ
第六章 十四、春の訪れ
雪が終わった。
残雪と雨が土を濡らし、伸びた春草と共に風が優しくなったことを実感する。
王都を巡る仕事も終わった。
疲労は残るけれど、成果は上々。
私もエイシアも、今は王都一の人気者になった。
リリアナも大満足で、次の仕事がやりやすくなったと喜んでいた。
そして彼女は、もうしばらくしたら、またファルミノに戻ると言う。
城壁用の資材と職人達を乗せて帰り、ついに街の拡張工事を開始するのだ。
春を迎えて、私はようやくミリアに会いに行けることになった。
沿岸を護る辺境伯の令嬢で、私の数少ない本当の友達。
昨年から船が沈没して困っていると、噂に聞いて心配していた。
翼を使って海に出るため、方角を知るための技術習得に教師も付けてもらった。
そうした準備を整えて、ついに、お茶会という名目でミリアに会いに行く。
(心配は心配だけど、純粋に、ミリアに会えるのが楽しみ)
私は護衛に六十騎と、お世話係にフィナとアメリア。エイシアのお世話係の侍女も二人連れての、小旅行気分だ。
私専用の、六頭引きの真っ黒な戦馬車にはフィナとアメリアを乗せている。
一緒に乗る予定だったけれど、いつも景色を見忘れてしまうからエイシアに乗ることにした。
ついこの間まで毎日乗っていたものだから、外出すると言ったらエイシアも私を乗せるものだと思い込んでいる。姿を見せるや否や体を低くして、「乗れ」の姿勢を取るのが可愛い。
最近は、はっきりと指示しなくても、まるで自分の体のように動いてくれる。
あえて聞いてはいないけれど、私の考えていることや感じたことを、ほぼそのまま読んでいるのだと思う。
エイシアは敵じゃない。
おとう様のお陰でそう思えるようになってから、特に繋がりが深くなった。
いじわるな言動も減った。というか、無くなった。
もふもふしたいと甘える侍女達と、それに応えるエイシアを見て来たからというのもある。
本当に、こちらの心を反映するかのような態度だ。
ほんの僅かでも敵かもしれないと思えば、敵かもしれない言動を取る。
甘えたいだけで近付けば、母ネコのように包んでくれる。
それはまるで、こちらを試す『心の鏡』だと思った。
自分よりも遥かに強い生物に、微塵も恐れずに居るのはとても難しい。
なぜなら、自分がエサにされるかもしれないという当然の恐怖感だから。
でも考えてみたら、エイシアが私に、もしくは私達の誰かに、攻撃をしたことは一度もなかった。
転がされたりはしたけれど……。
本気なら即死させられているし、冗談でも加減を間違えれば重傷間違いなし。
その加減を的確にこちらに合わせているのだから、少なくとも敵ではないと考えるべきだった。
カミサマが最初にエイシアと出会った時、本能的に感じた恐怖は私のものだったのだろう。
私の体、もしくは私の感じた恐怖に引っ張られてしまったのだ。
そう言い切れるのは、剣になったカミサマが、エイシアに無関心だから。
僅かでも刃を見せたことがない。
エイシアの家で脅かされた時でさえ、カミサマは動く気配がなかった。
私が抜こうとしただけで。
そう。考えてみれば、ガラディオもお義父様も、エイシアに対して寛容だった。
獣と見ればすぐさま応戦する、人外の強さを持つあの二人が。
(私一人で、どうして敵だと思っちゃったんだろう)
全くの無警戒はダメかもしれないけれど、戦うのは剣になったカミサマに全部任せてしまおう。その方が、間違いがない気がするし、私も気が楽だ。
それに、たいして戦えないのに気負っていてもしょうがないのだし。
(……やっと私自身の、在り方が分かって来た気がする)
エイシアと私を人気者にしたのは、リリアナ――。
(――本当に、幾重にも私のためだったんですね)
人々の率直な声が、私の自信になった。
お義父様のような武功を成し得なくても、私は私として、この魅力も『ひとつの力』なのだと理解できた。
(足りなければ、魅了の力もあるし……。使わないけど)
そして、武力としてのエイシア。
誰が見ても一目瞭然の、神獣のような存在感。
それに跨り従えていれば、私に武力がなくても同等の力を持っているに等しいのだから。
人々には、結局のところアドレー公爵家の力を見せることが出来た。
『厳冬将軍の娘もまた、人を超えた何かを持っている』
そう思ってもらえたらしい。
その上、可愛いとあれば人気も尋常では無い。
今回の小旅行も、私とエイシアの出発を偶然見た人々から手を振り見送られる……と言えば微笑ましい光景だけれど、ちょっとした集団追っかけ騒動になる程だった。
「城門の外で待ちます」と言い残して、咄嗟にエイシアの脚力でその場から消えなくては、進む事さえ出来なかった。
次からエイシアに乗って出かける時は、ちょっとした外出であっても整備の騎士も配置しなければ身動き出来ないだろう。
(専用馬車も目立つし……当分はどこにも行けないなぁ)
その後の対応も、リリアナに教えてもらえば良かった。
帰る時も、城門から普通に入らない方がいいだろうなと考えながら、そんなことを思った。
**
王都から森林街道までの景色と……それから、振り返って見た王都の壮観を、今度こそ十分に堪能した。
これまで何度か移動した時は、いつも馬車の中だったことと、おしゃべりに夢中になって風景を見られなかったから。
仲の良い女子が二人以上揃うとまた忘れてしまう。
フィナとアメリアが居るからには、きっとまたそうなっただろう。
だから私は、出発時はエイシアに乗って一人で移動すると決めていたのだ。
「どうスか。景色は楽しめましたか? お嬢様」
軽い口調と敬語を織り交ぜるのは、ヘンリーだ。
長身で赤茶の髪色がよく目立つ。今は兜をしているけれど、社交界では見つけやすくて良かった。
護衛隊長は彼で、エイシアに並んで時々話しかけてくる。
エイシアの速度が速すぎる時に、こうしてさり気なく声を掛けてきては、雑談で速度を落とさせてくれていた。
「あ。また速かったわね。ごめんなさい」
「いいんスよ。今回は獣も出ないかもですし、気楽なもんス」
たまに砕けた感じだった彼も、今ではかなりの頻度で軽口をたたく。けれど、それは愛嬌のある程度で腹立たしいと感じたことはない。こういう人が伸びやすいのだろう。
ただ、アドレー家の黒ずくめの鎧姿と、ヘンリーのひょうひょうとした雰囲気が似合わないので、見るとつい笑んでしまう。
「あ、また笑った。ひどいスよ。いい加減慣れてください」
「いいじゃない。ツンケンされるのとどっちがいい?」
「なんでその二択なんスか……俺の事キライなんですか……」
一瞬、(本気で言ってるの?)と顔を見ると、彼なりのキメ顔を作っていた。
少しかっこいい顔をしているのに、冗談ばかりするものだから余計に可笑しい。
「……バカじゃないの」
吹き出しそうになるのを我慢しつつ、戯れにそう言った。
「あ~あ。お嬢様は分かってないスね。こういう男がモテるんスよ?」
「へぇ~?」
半笑いで返事をすると、少しだけ凹んでいる。
こんなやり取りが出来るようになったのも、王都を巡行したからだ。
護衛を毎日数十人連れて歩けば、顔も覚えるし話す機会も少しはある。
その時もヘンリーが隊長だったから、なおさらに。
「そろそろ森林街道ですけど、馬車にお入りになりますか?」
フィナ達と話もしたい。そう言っていたことを、彼は覚えていてくれた。
「うん、そうする。ありがとう」
お読みいただき、有難うございます!




