第六章 十二、お酒の力(二)
第六章 十二、お酒の力(二)
「そういえば」と、私はまだ半分ほど残ったグラスを手に持ったまま、エイシアのことを話し始めた。
お義父様は時折グラスを口に運ぶと、ふ~っと甘い息を吐きながら聞いてくれた。面と向かい過ぎて気負う感じではなく、リラックスして話せるのはお酒のお陰だろう。
でもその度に、私はその残りが気になって、チラチラとそのグラスを見ていた。集中しきれていないかもしれない。
それでも何とか大事な部分を話し終えると、お義父様は「そうだなぁ」と語ってくれた。
「ワシが最初にちゃんと見たのは、庭でお前を抱えるように寝そべる姿だったな。エラは気持ちよさそうに、エイシアの腹に埋まって寝ておったわ」
「は、恥ずかしいです……」
見られた記憶さえないから、外で完全に寝入った姿を見られたのだ。
「その時エイシアは、まるで親猫のようにワシを警戒して見定めておったぞ。少しの間、あの赤い目でじっと見られていたな。だが、その後すぐに興味を無くしたようにそっぽを向いて、そのまま目を閉じて寝おった」
「そんなことが……」
「ああ。それを見てワシは思った。こやつはエラの子守りでもしているつもりなのだろうと」
「えぇ~?」
「はっはっは。そう怪訝な顔をするな。だが、そう考えてみろ。全て辻褄が合いそうではないか? お前を怖がらせるのも、脅かすのも、全て親心だと……思えなくもない。実害は無いのだしな」
「ええええぇ……」
「まぁ、どのみち、だ。アレが本気を出せば、人では敵うまい。ガラディオでもどうだろうな。そもそも、魅了が使えるという時点でどうしようもなさそうではないか。どちらか一つだけならまだしも、強い上に魅了も使う。人が勝つのは、無理筋だろうなぁ」
私も、この体でカミサマが光線を使ってでも倒そうとして、それでも負けたことを思い出した。
それがあったからこそ、エイシアへの対応をどうすればいいのかずっと悩んでいる。
だから、ついにお義父様に相談したのに……勝てないと言われては、ますます悩みが止まらない。
「だから、あまり考え過ぎるな。言っただろう。親猫のようであったと。あれはおそらく、お前を護るために生まれて来たのだろう。あんな獣、今まで見たことも聞いたこともないのだからな。それこそ、どんな文献にも残っておらん。これでも調査くらいはしておるのだ。それでも何も見つからん。分からん。だが……アレは間違いなく、お前を護っている。そのくらいは見抜けるつもりだ」
そう言われると、その言葉を信じたくなる。
お義父様の目と、その直感は、誰よりも確かなものだから。
「……分かりました。おとう様の言うことなら、信じられます」
「そうか。少しは役に立ったか?」
「はい。とっても」
本当を言うと、疑い出せばきりがない。魅了されたのかもしれないし、そうではないのかもしれない。でも、お義父様が魅了ごときで、私が不利になることをするわけがない。
アーロ王子の兵達が、脅されて私の魅了を破ったように……お義父様なら、大丈夫に違いない。
そこまで考えたら、本当に気が楽になった。
お義父様への忖度でも何でもない。やっぱり、相談して良かったなと心から思えた。
それに……勝機もあるのではないかと、かすかに思った。
魅了は完璧なものではないということ。それを失念していたけれど、対策はひとつ取れるのだから。
それとは別に、エイシアが本当に親猫のつもりでいるのであれば、嬉しいと素直に思える自分が居る。
エイシアが時折見せる無邪気な姿。
私は子どもっぽいと思うところばかりだけど、お義父様は親猫のように見えたと言う。
どちらも、なんだか可愛いと思える。
本当にそんな風に、寄り添ってくれているなら……どんなに理想的だろう。
「……それじゃあ、もう少しだけ、お酒をください」
あとの不安は、お酒の力で吹き飛ばしたいと思った。
それに……。
(とっても、美味しいんだもの)
こんなに美味しくて、体がぽかぽかとして、なんだかいい気分になる飲み物……。
「エラ……最初は良くてもな、後で辛いかもしれんぞ」
お義父様は、私が飲みたいのに否定的のように見える。
「ずるいです。おとう様だけこんなに美味しいものを飲んで。私にも、もう少しください」
「聞いておらんな。これは度が過ぎると、悪酔いもするのだ。初めて飲んだ時は寝込んでおっただろうに」
「い~や~で~す~!」
ずるいずるい。
「私も、お酒で美味しくなって、エイシアのことも良い関係を作っていきたいんです」
たまりかねて、お義父様の残りを飲んでやろうと両手を伸ばした。
すとれーとも、飲んでみたい。
きっと、もっと美味しいに違いない。
「こら。やめんか、これは薄めておらんのだ。さすがにお前にはまだやれんぞ。おい! シロエかフィナを呼んで来い! もうワシでは手がつけられん!」
「はっ! すぐに」
お義父様は大きな声を出した。
耳が少し痛いくらいの。
「おとう様。大きな声を出し過ぎです。ばつとして、それを少しだけください」
何としてでも、あの芳醇な香りを飲みたい。滑るように喉に通って、喉の奥から香りで満たしてくれる不思議な飲み物。
「困ったやつだ……。だがな、後で怒られるのはワシなんだぞ。それでも良いのか?」
「むぅ……。どうして怒られるのですか? 私がお願いしたことは、悪いことなんですか?」
「う~ん……。次に飲む時は、ストレートも飲ませてやる。だが今はダメだ。間違いなく二日酔いするだろうからな。次にしなさい」
「次……。次って、いつですか? 明日ですか? 明後日ですか?」
今すぐに、ほんのひと口でいいのに……。
「明日は……だめだ。来週にしよう。それまで残しておくから。な?」
「そんな……! そんなに先まで、おあずけなんですか……」
ショックだった。美味し過ぎるから、ガマンが必要なのだろうか。
でも、こんなに魅力的な飲み物があると知っただけで、満足するべきだろうか……。
「ええい。よじ登ろうとするな。エラ、お前がこんなに酒好きになろうとは……。美味い酒もほどほどにせんといかんな」
お義父様が掲げた腕の先に、絶品のお酒……。
そう思ったら、無意識のうちにソファに膝立ちになり、お義父様の腕に寄りかかっていた。
(お義父様なら、肩に乗ってしまっても大丈夫だろうし……乗ってしまおうかしら)
「ちょっと、肩を失礼しますおとう様」
やわらかい室内靴を脱いで、お義父様の肩に片足を掛けようとした時だった。
「そう言えばエラ。パパと呼ぶのはどうした。忘れておるのではないだろうな」
ああ、そういえば、そんな風に呼べと……。
「でしたら、パパとお呼びする代わりに、そのお酒をください」
「こら! こんな物と呼び方を交渉しようとするな。恐ろしい娘に育ったな」
「どうしますか? 私……もう二度とパパと言わないかもしれません……」
「こ、こいつめ……!」
もうすぐだ。
もうすぐ、パパが折れるに違いない。
「エラ様~! 何てはしたない事を! 公爵様から降りて下さい!」
「あ」
フィナだ。ぜったい怒られる……。
「良い所に来た。こやつを連れて寝かしつけてくれ」
「もう……あとでシロエ様に怒られますよ」
「何! お前だけじゃないのか!」
「ウィンお爺様……。こんな夜更けに、エラ様をお部屋に……あまつさえお酒など……!」
「シロエ! 変な言い方をするな。エラが自分から来たのだ。枕も持っておるだろうが」
「まさか……一緒に寝るおつもりだったので?」
「いやいやいや! 違う! 断じて違うぞ! お前が来ては余計にややこしいではないか。フィナ、二人とも連れてゆけ!」
「……公爵様、シロエ様は無理ですよ。エラ様、ほら参りましょう。今すぐ戻られれば、お説教を少し減らして差し上げますから」
「え、本当に? 減らしてくれる?」
フィナは理論的に怒るから、出来るだけ怒られたくない。
「ええ。本当です。さ、お部屋に戻りましょう」
「うん。戻る。すぐに寝ちゃうから、怒らなくてもいいと思う……」
眠ってしまえば、こちらのものだ。きっと。
「おやすみなさい。パパ。そのお酒、ちゃんと残しておいてくださいね?」
「お、おう。おやすみ。いや、シロエにもついてこいと命じて行け。な?」
「……シロエは、すぐに抱きつくからだめです。おやすみなさい」
シロエもベッドに来たら、私に抱きついて寝るに違いないもの。
「おい……」
「さ。ウィンお爺様。状況をご説明頂きましょうか……」
後ろで閉じられた扉から、「エラ様にお酒を飲ませるなんて!」という声が聞こえた。
その後は、さすがに離れてしまって分からないけれど。
(おとう様……パパにも、苦手な人が居るんだ……)
お読みいただき、有難うございます。




