第六章 十二、お酒の力(一)
第六章 十二、お酒の力(一)
エイシアは……やっぱりよく分からない。
大きくて得体の知れない強さもあって、恐ろしいことに変わりはない。けれど、その力で無茶苦茶するわけでもなく、人間に怒りや憎悪を持っている様子もない。
私を怖がらせてみたり、逆に助けになることをしてくれたり。
私を試しているだとか、何かに気付かせようとしているだとか……そういう感じがあるといえばあるし、ただの気まぐれだとも思える。
そういう私の悩みを覆す勢いで、侍女達からの人気や信頼感などを得ているあたり、私の考え過ぎのような気もする。
かといって、まる信じするというのは……無責任なようにも思う。
あの子に何の力もなければ、そして性格も良ければ、もっと信じていたかもしれないけれど。
そして、あえて一定の距離を保とうとしていると考えたら、辻褄が合う気もする。
(どういう存在なのかが分かればなぁ)
結局、様子を見る。という結論になる。
知れば知る程、分からなくなるから面倒臭い。
実はただの子どもで、自分を強く見せたりして私を怖がらせて遊んでいるだけなのでは。
そう思ったのは、エイシアの家で、侍女達を怖がらせないようにしている姿を見たから。
毛繕いが面倒なのに、たくさん触らせてあげているのだろう。
ガオ~とでも吠えてみれば、触りになど来なくなるだろうに。
侍女達が家を建ててあげてくださいと、お義父様に嘆願するくらい可愛がられているのは、本当に驚いた。
私にはすごんで見せても、それは私への念話でだけ。
偶像化作戦にも素直に従って、私を乗せて街を練り歩いてくれる。
(……私の考え過ぎで、もっと信じて可愛がってもいいのかな)
それさえも、騙すための布石だったとしたら?
人類の敵に回った時、あの子の力は凶悪過ぎる。
魅了の力だけでも厄介なのに、物理的にも、太い鉄柱をこともなくひと薙ぎで斬り倒す。
「あぁ……強過ぎるっていうのがなければなぁ……」
リリアナは初見から飼いたいと言っていたし、その時から魅了を掛けられた可能性が高い。
逆にガラディオは、第一声が「後始末は俺か?」と、敵になった時のことを想定していた。
(票が割れちゃうから、悩みも深まっちゃう)
王様は手懐けたい派だし……。
(やっぱり、おとう様に相談してみよう)
夜も遅いけれど、迷惑かもしれないけれど、実はかなりストレスなのだと気付いたから……。
なぜ分かったかというと、エイシアにほとんど会わなかった社交界シーズン真っ只中の時は、もっと毎日が楽しかったから。
パーティにも慣れ、知り合いも増え、人の輪の中に居るのも悪くないなと思って、楽しんでいた。色々な諸事情込みの人付き合いという煩わしさを差し引いても、それさえ何か、お義父様のお手伝いになるのではと思うと幸せな気持ちになった。
それが……エイシアと毎日顔を合わせ、憎まれ口や脅し文句を聞かされていると、ものすごく『しんどい』のだ。
ああ、疲れる。
そう思ったのは一回や二回ではない。
(だから……わがままをしてしまうけど……)
ほんの少し躊躇しつつ、お義父様のお部屋に向かった。
廊下の右側にお義父様のお部屋があって、扉の前には、護衛騎士が二人立っている。
まだ少しあるのに、私に気付いた時点で二人ともが敬礼をしてくれた。
私も軽く会釈を返すと、気まずくならないようにだろうか、すぐに前へと向き直った。
夜に枕を持って訪れるなんて、まるで小さなこどもだ。
とたんに恥ずかしくなって、引き返そうかと迷った。
でも、すでに枕も私も見られているのだ。そう思って、諦めて彼らに近付いていく。
「おとう様は、もうお休みでしょうか」
「そうかもしれませんが、きっとお喜びになりますよ?」
彼は、優しい笑顔でそう言って、扉を開けてくれた。そこには蔑みや嘲笑など微塵もなくて、私はほっとした。
「ありがとう。入りますね」
「はい。おやすみなさいませ、エラ様」
そういえば、相談したいだけだったのに、そのままここで眠るつもりになったのは、なぜだろう。
……たぶんだけれど、あの大きな体の側で眠ると、安心出来ると思ったのだ。
入ると、すぐの部屋にお義父様がまだ起きていた。
普段のパリっとしたシャツ姿ではなく、ゆったりした長袖を着ているのが新鮮だ。
大きなソファでゆったりと座って、手にはグラスを持っている。テーブルには、度数も質も高そうなお酒のボトルが置いてあった。
「おや、エラじゃないか。あやつめ、またノックを忘れおってと思ったが……どうやら今回は気を遣ったらしいな」
「フフ。騎士は剣術だけじゃなくて、作法も身に付けて大変ですね」
「それよりどうした。眠れんのか?」
「えっと、ご相談したいことがありまして……」
「そうか、ならそこに……」
そう言いながら、向かいのソファをアゴで差しかけて……やめたようだった。
「隣に座るか?」
「はいっ」
言い直してくれて、良かった。
ここしばらくは、毎日朝から日が暮れるまで街を練り歩いて、お義父様に会えるのは夕食の時くらいだったから。
お義父様成分が足りない。そう思っていた。
「眠れないほどに悩むとは、ただ事ではないな」
冗談めかして言うお顔は、ただそれだけで安心してしまえた。
そう思って少しの間じっと見つめていると、相談しにくいことだと思われたのかもしれない。
「お前も少し飲んでみるか? どれ、水で薄めてやろう」
お義父様の巨体ならばソファも軋みそうなものなのに、まるで重さがないかのように静かに立ち上がった。厚手の絨毯が敷いてあるので、床も足音をさせない。
棚から戻ったお義父様は、綺麗な切り込みの入ったグラスにお酒を少しだけ垂らすと、水を注いでくれた。そして、ガラスの細い棒でそれを数回混ぜると、スッと私の前にグラスを滑らせた。
「水を多めに入れたから、エラでも飲めるだろう」
「ありがとうございます。お酒をご一緒出来るなんて……大人になった気分です」
グラスの半分くらいまで満たされた、淡く金色に輝く水。
口に近付けると、ほんのりと甘いような、フルーツのような香りがした。
「……おいしい」
液体は喉の奥までスルリと抜けて、飲み込んでから芳醇な香りの欠片が、ほのかに鼻孔をくすぐった。
遅れて少しだけ、喉に熱を感じる。
「ほう。なかなかイケる口かもしれんな。もう飲み干しておるわ」
「あっ、ほんとだ……」
ひと口だけと思ったのに、甘い香りをもっと欲しいと思って、いつの間にか全部飲んでしまった。
「もう少し酒を増やしてみるか?」
コクコクと頷くと、お義父様は満足そうに笑んでお酒を注いでくれた。さっきよりも、グラスの底に溜まる程度に。そしてお水をまた、半分くらいまで。
「これは一気に飲むなよ? お前が酔い潰れたら、またシロエに怒られるからな」
あれは敵わん。と、お義父様は片方の頬でニッと笑った。
「シロエって、怒るんですか?」
いつも私に、べたべたと甘やかしてくれる姿しか思いつかない。
「ああいうのはな、怒ると怖いのだ。特に、エラに何かあったとなれば悪魔でも怯むほどにな」
それはそれで、お義父様は楽しんでいそうだなと思ったけれど、私は怒られたくないなと思った。
思いながら、私の手は勝手に、グラスを口に運んでいた。
「……これは……!」
ひと口飲むと、さっきよりも強い香りが鼻を抜けて、それだけでなくて、息を吐く度に口の中にもはっきりと芳醇なそれが広がる。その代わり、喉に籠る熱は、しっかりと強いものになった。
その何とも言えない甘い香りは、脳にも届いて痺れさせる。
「美味しい……」
「ほうほう。エラも飲めそうだな。だが、ストレートは飲むなよ? ワシが入れた程度に薄めて飲むんだ」
「ん~……。あとで、少しだけ舐めさせてください。こんなに美味しいなら、ちょっとくらい試してみたいです」
「おいおい、お前を呑んだくれにしたとあっては、全員に怒られそうだからやめてくれ。ストレートはだめだ」
「むぅ……」
絶対に飲ませまいと、ボトルをお義父様の向こうに置き直されてしまった。
でも、その手にはグラスが握られている。隙をつけば、少し味をみるくらい出来るかもしれない。
「それで、相談があったのではなかったか?」
狙っているのがバレてしまったのだろう。
お酒から注意を逸らそうとしたのか、忘れていた本題を思い出させてくれた。
お読み頂きありがとうございます。




