第六章 十、リリアナの器
第六章 十、リリアナの器
王都は、くまなく巡ろうと思ったらやはり大きい。
昨日はあちら、今日はこっち、明日は向こう。
毎日毎日、民の目に触れ、そしてエイシアに触れてもらい慣れと愛着を持ってもらう。
エイシアはファルミノの時と同じように、大人しく言う事をきいてくれている。その上に座っているだけの私でさえ、疲れてきてしまうのが王都の広さだ。
横をリリアナ。前後を護衛の騎馬隊が挟んで、街を闊歩している。
間違ってはいけないのが、最重要の護衛対象はリリアナということだ。私は、そのリリアナを護る一番のお付きというのが本来の位置関係で、望んでいた役にようやく辿り着いた格好だ。
王都においては、エイシアと私のお披露目とは即ち、リリアナは世にも珍しい獣と最高の武力を持っているという、その証を見せて歩いているということなのだ。
これは、同時に王女復活――王位継承者としてのリリアナ王女が戻ってきたのだという、影の意味を持つ。
誰にも言わなくても、それはうわさになり始めていた。
『白い獣に古代種の公爵令嬢……またとんでもないものが横に立つものだ』
それは、最初は不気味なものとして受け取られていた。
けれど先着していた吟遊詩人の歌が、徐々に効果を良い方に相乗させていく。
古代種との悲恋の歌は、実話である騎士団副団長の悲しい物語と相まって、古代種を受け入れる形で広まりつつあった。
古代種との婚姻を自粛せよという王命は、それだけの悲恋を事実に持つがゆえ。
だからこそ、本来は幸せになってほしかった副団長の話と共に、皆の心に届いていた。
**
「リリアナ。王都中の全部を回るのは、無理があるんじゃ……」
「それはそうよ。大体をざっくりと、たまに細かいところまで行くの。そしたら、うわさの中では隅々まで回っていたってことになるのよ」
「え、ちょっとズルい……」
「あら。エラは隅々まで回って差し上げるのね? 止めないわよ?」
「え……あ! い、いえ……リリアナのお陰で早く終われるんですね」
何もかも計算されているのだと、私はようやく気付いた。
エイシアの、振り向きざまの冷ややかな視線を頬に受けながら、横に居る馬上のリリアナに愛想笑いを送る。リリアナの「フフン」という自慢げな笑みに、他意がないのは救いだった。
「えっと……リリアナの計算は、どこまで綿密にしているんですか? 想像もつかないくらい、良いうわさが広がっていますよね」
「そうでしょ~? ほめてほめて。私だってこんなに上手くいくとは思ってなかったけどね。効果が上がればいいなと思ってしていた事が、全部に当たったのが驚きよ」
「予想以上というだけで、計算としては見込んでいたんでしょう?」
「ええ。でも、一番の予想外はね、あなたよ。エラ」
「私……ですか?」
ここでどうして、私が出てくるんだろう。
「そうよ。だって、あのアーロお兄様を陥落させたんだもの」
記憶違いでなければ、私は最後に「もう襲わないで」とお願いしただけだ。
それも、皆がかなり責め立てた後で。
「私の中では、ずっと椅子に座っていただけだったんですが」
「最後の屈託のない物言いが、一番効いたのよ。あれは本当に、吹き出すのを我慢するので大変だったんだから」
「アハハハハ!」と、リリアナは無邪気に笑っている。その時の分を今笑っているようで、本当に楽しそうに。
ということは、毒の魔女という話が出て何かを誤魔化していたように見えたのは、単純に笑いを堪えていたのだろう。
「……フフ。つられて笑っちゃいました。でもそんなの、言われてもまだ分からないです」
「アハハ。いいのよ、エラにはずっと分からないくらいで。そういう所、普通に人気出てるのよ。わざとエイシアが困るようにする事も、それが可愛らしい事なものだから、余計にね」
バレていた……。
「髭とか肉球とか、ほんとは触られるのイヤがるんですけどね。これまでのお返しっていうか……私じゃなくて他の人たちからなら、ガマンするかな~って思って……エヘヘ」
「フフフ。気付いてないの? その時、エイシアがすんごい形相であなたを見てるのよ? アハハハハハ」
「えぇ~?」
「ふふっ。フフフフフ。今もよ。見てごらんなさいよ」
言われてエイシアの顔を覗こうとしたら、すでに振り向いていた。真っ赤な目と縦長の瞳孔を、これでもかというほど見開いている。
「あは……エイシアごめんね? でもやっぱり、民たちとの触れ合いって大事だから……」
バレているなら、念話で文句を言ってくるだろうと思っていたから、まさか我慢しているだけとは思わなかった。
そして、今こそ文句が飛んでくるかと思って身構えていたのに、エイシアはそのまま前に向き直ってしまった。
――(ええっ、ちょっと。本気で怒ってるの? ごめんてば……)
――(……フン。取り立てる相手を変えたのだ。貴様は少し面倒になったからな)
――(え、それってどういう――)
念話での会話を続けたかったけれど、次の触れ合い予定の場所に到着したようだった。
「さ。またエイシアとエラに、頑張ってもらうわね」
リリアナの声の先には、小さな公園があった。
そこにはすでに、エイシアに触れてみたい子供たちが沢山待っていた。
**
今日の順路を巡り終えて、お屋敷に戻って来た。
すでに日が暮れて、あと数十分で完全な夜になる。
「リリアナ。お疲れさまでした」
気力を振り絞って、護衛としての言葉を掛けた。
「エラこそ。途中からバテてたのに、よく頑張ったわね」
リリアナには隠し事が出来ない。
でも、ただでさえ周囲の雰囲気にまで気を配っているはずなのに、私のことまでちゃんと見てくれているのだから、さすがという他ない。
「エヘヘ……バレてましたか」
「いいのよ。健気に頑張るエラの姿も、ウケがいいのよね」
「そうだといいんですけど……体力のない護衛なんて、役に立たないって怒られそうじゃないですか」
「そっか。それもそうね。エラには体力も付けてもらいましょう。そのうちにね」
余計なことを言ってしまった……。でも、実際にこんなことではいけない。
「はい。訓練の時間を増やします」
「もう。冗談よ。こんなに長時間護衛をしてもらうなんて、滅多にないはずの事だもの。これで半月くらい連続だものね。ほんとならどこかで、交代して休んでもらわないといけないのよ?」
疲れで頭が回らない。
リリアナは冗談を言う余裕があるのに、私は言葉通りにしか受け取れなかった。
「えーっと。でも、大丈夫です。これでも古代種ですから。たぶん人より、底力はあるんだと思います」
自分でも、分かっているのかいないのか、微妙な空元気を見せてしまった。
「……うん。でも無理はしないでね。明日は休みの予定だからゆっくり休むのよ?」
はい。と返事をして、そこで解散になった。
そのはずだったけれど――。
「ちょっと待って。あの塀の近くにある建物……。あんなもの、無かったわよね。どうして気付かなかったのかしら」
きっと残雪なんかで、気付きにくくなっていたのだろう。今は屋根がしっかりと見えていて、疲れきった私でさえ「無かったはずのものがある」とハッキリと分かった。
「私、見てきます」
「いいえ。一緒に行きましょう」
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