第六章 九、その目に映るもの
第六章 九、その目に映るもの
今は、皆がお屋敷に居る。
それが嬉しくて楽しくて、フィナが起こしに来る前に目が覚めてしまった。
アメリアと二人で起こしに来るのか、それともフィナだけだろうか。
外はまだ、明るんできたくらいで早朝だろう。それなら、答えが分かるのはあと数時間後だ。
(早く、「起きてください」って言われたい……)
そんなことを思って目を閉じていたら、結局また眠ってしまったらしい。
「エラ様、もう朝食の時間ですよ。さすがに起きてください」
半ば呆れたフィナの声に起こされて、理想とは少しだけ違う現実に納得がいかなかった。
でも、二度寝前のお楽しみの答えは、嬉しくも『二人一緒』だった。
「……ほんとはもっと、早くに起きてたのよ?」
最初に起きた時とは違って瞼がまだ重いままに言うと、それは子供じみた言い訳に聞こえたのかもしれない。
「もう。二度寝をしたら同じじゃないですか。アメリア、エラ様が起きるのを手伝って」
「はぁい」
納得はいかなくても、フィナの声が呆れていても、側に居てくれるだけで嬉しい。
「アメリア~。お着替え手伝って」
年下のアメリアにも、めいっぱい甘えてしまおう。ずっと、そうしたかったのだから。
「も~。エラ様がこんなになってしまうなら、あの時について行けばよかったです」
「そんなこと言わないでよぅ」
ネグリジェを脱ぎ捨て、あられもない姿で服を着せてくれるのを待つ。
「あぁっ! 風邪を引いたらどうするんですかぁ、もう! フィナ先輩、服を着せるの手伝ってください~」
暖炉に薪を追加していたフィナは、まさかこんなことになっているとは思わなかったのだろう。振り返った拍子に両手の薪を、ガラガラと床に落としていた。
**
「エラ。昨日はゆっくり休めたかしら?」
食堂に降りると、疲れているはずのリリアナはきっちりと起きて、すでに朝食を食べ始めていた。
私はお義父様にも「おはようございます」と挨拶をして、リリアナの隣に座った。
「リリアナ……それは私のセリフですけど……」
彼女達は通常の倍の日数を掛けて、まだ雪の残る街道を除雪しながら王都に来たらしい。
柔らかい雪で五十センチも無い程度だから、馬にとっては遊び半分に過ぎなかったと言うけれど……。
それでも、先頭を代わるがわる積雪を走り抜け、馬が慣らしたその雪を、やはり人力で脇に寄せつつの行軍だったらしい。馬も皆も、その疲弊はかなりのものだろう。
騎馬だけならば先頭を交代しながら進むだけで済んだところを、除雪しながら来た理由は一つ。
空の荷馬車を引いて来たからだった。
「ファルミノ拡張計画の実行よ。少しずつね」
リリアナは、新しい城壁に使う石材や、職人を連れて帰るための目途を立てたらしい。
どちらにしても、人口自体は少しずつ増えているから、いつかは対策しなければいけないことだったと言う。
「後の細かなことは置いておいて」と、リリアナが切り出したのは王都での『エイシア偶像化計画』だった。
ファルミノで成功した、エイシアに乗って街を練り歩くというものだ。
それを今度は、王都で行う。
ファルミノは前哨戦で、この王都で成功させることが本来の目的だった。それが上手く行けば、リリアナは王位継承に改めて参加するのだという。
そうなれば、今度こそ私は、リリアナを護るための盾となり剣となる――いや、成れなくてはいけない。
そう思った途端に、私は背中にじっとりを汗をかいた。
顔もこわばっているかもしれない。
「何を今から緊張してるのよ。これからが長いんだから、余裕でこなしてくれないと。ね?」
笑顔のリリアナは、私が想像するよりもずっと先のことを考えているのだろう。
以前に拝謁した王妃と同じ碧い瞳は、凛として輝いて見える。
「……よく、似ているんですね」
あの時の、初めて憧れの女性になった王妃を思い出していると、自然と声に漏れてしまった。
「なんの事?」
リリアナなら何か察したのかもしれないけれど、特に話題にする気はなさそうだ。
「いえ、それよりも……いつから始めるんですか?」
冬ごもりは一先ず終わっても、今年はまだまだ雪が降る。
「明日からでも巡っていきましょうか。順路も決めて来ているし、多少の雪ならむしろ、皆の視線を釘付けに出来ると思うから」
抜かりない。だからこそ、積雪の街道を突破してまで来たのだろう。
「それじゃあ、エイシアにも伝えてきますね」
――雪の降る中、巨大な白い美猫は、さぞ映えるだろう。
そう思った。
長毛の、真っ白な耳や尾が風になびき、真っ赤な縦長の瞳孔が前を見据えて歩く。その全身には、うっすらと青白く光る虎柄の模様。
その神獣のような存在に、堂々と跨る古代種の私。
同じ銀髪をなびかせ、神獣よりも紅い瞳で遠くを望む姿。
(想像したら……すごくかっこいいかも……!)
私は、皆に愛してもらっているお陰で、自分の容姿が大好きになっていた。
昔はただ、虐げられる理由でしかなかったから、とても嫌だったけれど。
お屋敷の皆は本心から、私を一人の人間として愛してくれている。
外の人達も、アドレー家の娘だからという理由が大きいだろうけれど、受け入れてくれている。
その容姿を理由に殺そうとしていたアーロ王子も、今は引いてくれた。
――そんな自分を、鏡を見る分には……個人的には、だけれど……。
色白でとても可愛くて、顔も小さくて可憐で、それから……胸の大きい、理想的な女の子だと思う。
魅了の力が無くても、皆から好きになってもらえそうな。
少なくとも、私はそんな私のことを……愛していると思う。
なぜなら、鏡を見る回数が増えたし、時間も長くなったから。
細い首も、引き締まったウエストも、すらりと長い手足も。全てが理想的に思える。
唯一、まだ望むものがあるとしたら、それは身長だ。
背だけが、あまり伸びてくれない。
この二カ月でアメリアに並ばれてしまったから……近いうちに追い抜かれてしまうだろう。
あと、もう十センチ……どうしても無理なら、五センチだけでも。
そう思い続けて、二年以上経っても変わらない。
(あんまり、贅沢言っちゃダメかぁ)
そんなことを上機嫌で考えながら、お屋敷の周りやお庭をぐるっと一周。エイシアを念話で呼びながら探して、しばらく経った時だった。
――(愚かな顔を、さらに愚かしくしてよくもまぁ平気なものだ)
「あっ」
エイシアだ。姿は見えないけれど、どこか近くには居る。
本当に、憎まれ口だけは、この子は誰にも負けないだろう。
――(呼んだらすぐに出て来なさいよね。どうせまた、私からの念話を遮断してたんでしょう。もしくはわざと無視してたか)
――(愚かな貴様と一緒にするな。我は忙しいのだからな)
侍女達に見つかっては、ステーキを貰える代わりにモフモフされているくせに。
――(何か失礼な事を考えただろう)
――(別に? 考えてみたら、私は人魔であなたは虎魔で、同じ魔の者同士なのに偉そうだな~って)
――(ふ。記憶の網を持たぬくせに、我と対等だなどと思わぬ事だな)
エイシアの言う記憶の網というのはきっと、新旧含めて仲間たちの記憶を覗けるのか引き継いでいるのか、そういう便利な代物だと思う。
――(そんなものなくても、魅了の力は私の方が強いし)
――(減らず口を利くようになったものだ)
いつまでも、言い負けているわけにはいかない。
それに、力比べをしたら私が勝つのだと思ったら、何を言われても平気になってきたのだった。
言わせておけばいい。と、本心から思えるようになった。
言われて腹が立つのだけは、変わらないけれど。
――(それで? 何が忙しいのよ。明日からほんとに忙しくなるのに)
いつも見えるところに居ない辺り、何をしでかしているのかが不安ではあるけど。
――(……またアレをやるのか。いい加減にうんざりだな)
全部言わなくても、念話で通じているせいか伝わっているらしい。
――(今度は、もっと広いんだからね。頑張って歩いてよ?)
――(それは構わんが……人間どもに触らせるのを止めさせろ。鬱陶しい上に、踏みつけそうで敵わぬ)
――(……やっぱり、そういうの気にしてくれてたんだ)
人間を下に見ているくせに、怪我をしないように絶妙の加減をしてくれている。
それは、誰が見ても分かるものだから。
――(はぁ……。貴様らの茶番に付き合ってやっているのだ。当然だろうが)
憎まれ口とは裏腹に、優しいなと思う。少なくとも、そういう一面は持っている。
――(フフッ、ありがとう……。あなたが襲いかかったりしないと分かってからは、私は結構、あなたが好きよ、エイシア)
――(なんだと?)
――(あなたの綺麗な顔も、ツヤツヤで長い毛並みも、もふもふなところも)
――(全て容姿ではないか)
――(容姿も大切でしょう? 生き様は顔つきに出るものだし、溢れる気力は姿に表れる。それって、人格や努力が見えてるってことだもの)
――(……考えるようになったな。ただのうつけではなない、のかもしれんな)
――(またそうやって、いじわるしようとする。そんな顔になっちゃうわよ?)
――(……ふん。心しておこう)
――(あら。……うん、お互いに。ね)
その念話を最後に、エイシアはどこかに行ったのか、話しかけても返事はなかった。
(珍しく、折れたまま引き下がったわね)
それは、エイシアが変わってくれたのか、それとも本来、そういう性格なのか……。
つかみどころがないし、『理に従う』という言葉が気になる。だから、あの子の全てを信用してしまうことは出来ないけれど。
でも、私が怖がらなくなってから、当たりが柔らかいような気がする。
一番不思議だったのが、「エイシアちゃん」と親し気に接する侍女達には、最初から優しかったこと。
以前の私……その時の私にはきつかったのに。
それは単なる当てつけなのかと思っていたけど、もしかすると――相手の心を映すような接し方をしてしまう子なのかもしれない。
わざとそうするのか、そうしてしまう生き物なのか。
試そうにも、私はもう恐れなくなっている。演技で強がっても同じだったから、心の底を見られているに違いない。となると、怖がったフリでは相手にしてもらえないということだ。
敵意には敵意で。
恐れには恐怖を。
親しみには、優しさを?
それがあの子の、『理のひとつ』だとしたら……。
ずっと――エイシアと戦わずに済む未来が、あるのかもしれない。
お読み頂き、ありがとうございます!




