第六章 七、社交界の帰り
第六章 七、社交界の帰り
一番寒い一カ月が過ぎると、社交界がまた催されるようになった。
今年は珍しく雪が多かったので、銀世界の王都を馬車の中から見たり、お屋敷の窓から眺めたりするのが楽しかった。
その雪の処理をしている人達と、皆に踏まれてべちゃべちゃになった雪街を歩く人達にとっては、厄介な代物みたいだけれど。
それでも、皆ほぼ一か月間は家の中で引き篭もってひっそりと暮らしていたらしいので、仕事初めの街は生き生きとして見えた。
私も、頻繁に街中を移動していたのが懐かしくなっていたので、楽しい気分がうずうずと溢れている。
顔見知りと友達の間くらいの、会えば少し会話をする同年代達にも、早く会いたいと思うくらいに。
気に入らない人でさえ、少し懐かしくなるのだから……冬籠りというのは、不思議な力を持っているのだなと感じた。
そんな高まる気持ちのままに参加した社交界は、やっぱり随分と楽しかった。
特に何か変わったわけでもない。
普段通りの、お話をしてダンスをして、交流を持つという場だったにも関わらず……何かが違った。
それは皆も同じようで、憎まれ口をたたき合っていた人同士でさえ、どこかそれさえも楽しんでいる――ように見えた。
こんな風に、貴族同士の仲良し会になっているのなら、社交界も良いものだなと思う。
その帰り道。
今夜は馬車の中でぐったりとすることもなくて、早くお義父様に今の気持ちをお話したいとワクワクしている。
貴族の娘として、板についてきたなと褒めてもらえるだろうか。それとも、貴族社会になど早くから染まるものではないと、少し残念がられるだろうか。
どちらにしても、私として少し変わったように感じているのを、お義父様にも感じてもらいたいと思っている。
お義父様が私専用に作った戦馬車に揺られて、その小さな窓から見える街明りさえも、楽しく愛おしいものに映る。
皆まだ起きていて、夕食後の、家族の時間を過ごしているのかもしれない。そうした温もりのある生活を想像して……それは私にも待っているのだと、期待してもいいのだと――そういう現実が、今は私にもあるから愛しく見えるのだろう。
(昔の私みたいな扱いを受ける子供なんて一人も居なくて、皆が幸せならいいのにな)
現実は冷たい部分を持つ。あの冬のように。
でも……少なくとも私にとってはもう過去のもので、今は新しい生活の中にいて、いつでも優しいお義父様と侍女達に甘やかしてもらえる。
それを、社交界の最中でも、終わった帰路でも、ずっと感じていられるのが、本当に幸せでたまらなく嬉しい。
(帰ったらすぐに、パパに抱きつこう。きっと喜んで抱きしめ返してくれて、それからお部屋まで、抱っこで運んでくれるのよ)
そんな楽しい妄想をしていると、あっという間にお屋敷に着いてしまった。
「パパ! ただいま戻りました!」
玄関を開けてもらうと、すでに抱きしめるために両手を開いてくれているお義父様が見えた。
もちろん私は、駆け出して同じように両手を開いた。
「エラ! 今日は楽しそうだな。良いパーティだったのか?」
お義父様は、私をまるで子供のように高くまで掲げると、くるりとお姫様抱っこの体勢に抱え直してくれた。
「いいえ。いつも通りだったんですけど、なぜか楽しかったんです。冬が好きになったからかもしれません」
「ほう。いつもは物憂げな顔をしておるのに、どうやら何か吹っ切れたようだな。さすがワシの娘だ」
破顔して、まるで自分の事のように喜んでくれるお義父様を見ていると、嬉しい気持ちでいっぱいになった。私はあふれる感情のままに、「ありがとうございます」と言って、頬にキスをした。
「おお! 嬉しい事をしてくれる。よし、今度新しいドレスを――」
「――おじい様。そろそろ私の番ではなくて?」
ずっとお義父様しか見えていなかったけれど、その向こう後ろから聞こえた声は……。
「――リリアナ?」
反射的に声に出たのは、リリアナの名前だった。
お義父様と同じくらい大好きな人の声を、忘れるわけがない。
「エラ! 随分と甘えたな令嬢になったのね。でも、なんだかそれが自然な感じがするわね。いいじゃない」
「おかえりなさい! リリアナ!」
「エラ様。わたくし共もおりますよ?」
シロエだ。シロエの嫉妬交じりの声を、久しぶりに聞いた。
「シロエ。会いたかった。元気だった?」
わたくし共と言ったのを思い出して、お義父様の肩から乗り出すように、その後ろを見た。
「フィナとアメリアも! よく来てくれたわ。嬉しい……」
大好きな人に全員、こうしてまた会えるなんて。
――二カ月は経った。
最後に顔を見てから、もうそんなに時間が過ぎている。
感情が追い付かなくなって、私はまた、泣いてしまった。
嬉しくても、涙はあふれて止まらないのだと初めて知った。
お義父様の肩越しに、あまりに一生懸命皆を見ようとしているので、お義父様が観念したように後ろに向き直った。そして私を、皆の元へとそっと降ろしてくれた。
「パパ……ありがとうございます」
嬉し泣きでも、声は泣き声になるらしい。
誰にどうしていいのか分からなくなって、なにやら足もおぼつかない。
皆の方によろよろと進むと、たまりかねてフィナとアメリアが抱き止めてくれた。
「二人とも……長く側に居なくてごめんなさい。また、私のお世話をしてくれますか?」
してくれない訳がない。
そう思っていても、返事を聞くまでは不安もほんの少しだけある。
はやく答えて欲しい。そう思っていると、二人は同時に「そのために来たのですよ」と、言ってくれた。
「よかった……」
不安は小さかったとはいえ、安堵感はとても大きい。
私はもう、大好きな人達皆に甘えたくてたまらない、小さな子供になってしまったのだ。
「ご令嬢としての雰囲気が出たのに、とても甘えたさんになられたのですね」
フィナが窘めてくれたけれど、それを止めるつもりはしばらくない。
「うん。たくさん甘えちゃうから」
そう言って、抱きしめている二人の身長を思い出して……ふと気になってアメリアを見た。
「背が伸びた? アメリア。私よりも低かったのに……」
小さな金髪のつむじを、いつでも見下ろしていたはずなのに。
「そうですよ。エラ様に早く、見てもらいたかったんですから」
横に並ぶ顔を見て、顔つきまでも大人っぽくなったなと思った。
以前にあげたネコのヘアピンが、少しだけ子供っぽく感じるくらいに。
「エラ~? あなた、おじい様の事をパパって呼んでるんだ?」
いたずらな笑みを浮かべて、悪い目をしているリリアナが横から覗き込んできた。
「えっ。えっと……はい。その……親子、なので」
リリアナに指摘されるのが、一番恥ずかしくて照れ臭い。
それを理解した上で、フィナとアメリアが言わないでくれたことを言うのだから、ちょっといじわるをするつもりに違いない。
「フフッ。それ、私のパパに対抗させられてるのよ、きっと。私もお父様に『パパと呼びなさい』とか言われたもの。おじい様を問い詰めるといいわ」
ちらりと、リリアナはお義父様を見やった。
「おい。滅多な事を言うもんじゃない。誰が国王と張り合ったりするものか」
「そうかしら。ママは絶対に呼んでくれなかったものね。エラに期待したんじゃないのかしら」
「リリー。そんな事を言って、エラがパパと言わなくなったらどうするんだ」
お義父様とリリアナの攻防は、言うまでもなく一方的なものだった。
「そ、そんなことで言い合わないでください。パパも……心配しなくても、その……パパと呼びますから」
リリアナの前だと特に、まだまだ気恥ずかしい部分はあるけれど、ここで言い切っておかなくては本当に呼べなくなってしまう。
「へぇ~。エラってば、本当に貴族っぽくなったわね。随分見違えちゃった」
一瞬、なぜ褒められたのか分からなかった。
けれど、この流れはお義父様をからかいつつも、私が意見をしっかり言えるかどうかを試していたのだ。そんなこと、ふと思いつけるものなのだろうか。
そこに気付くと、褒められた嬉しさよりも、何枚も上手なリリアナが、ただ恐ろしく感じた。
もちろんそれは、尊敬の念という部分がほとんどだけど、心理戦でこの人を敵に回してはいけないと心に刻んだ瞬間だった。
「お嬢様。また悪いクセが出てますよ?」
シロエは、そのリリアナに突っ込みを入れたり悪態をついたりするのだから……もしかすると、さらに恐ろしい存在なのかもしれない。
ともあれ、楽しい気持ちで冬の一日を過ごせただけではなく、会いたかった皆に会えたのは、本当に本当に、この上なく幸せだ。
お忙しい中お読みくださり、有難う御座います!




