第六章 六、冬の記憶
第六章 六、冬の記憶
四ヶ月ある冬の、三ヶ月目。
その一カ月間は最も冷え込む。
比較的安定した気候の王国でも、雪の日が多くなる。
過去の酷い時は、一メートル近く積もったこともあったらしい。
なので、冬がシーズンとはいえ、社交界もほぼお休み期間となる。
その間、海の先生に住み込みで来てもらえたので、授業を受けることになった。
ひと月の予定だけど、陸で教えられることは限られるので、割とペースはゆっくりだ。
曇り空や雪では、星を見ることさえ出来ない。方角を知る方法は、とにかく視野に左右されるので厄介だ。今はもっぱら、先生の記した星の位置をイメージで覚えるだけ。
あとは最後の手段として、自分自身の感覚で北を覚える訓練。
案外、理屈を聞くと出来なくはない。けれど、常に正確かと言うとそうでもない。
教わった方法が全て使えず万策尽きた時に、この感覚を信じるのだ。
感覚と言えば、カミサマと入れ替わってから悩まされていることがある。
この最も寒い日々が、あの頃の記憶を呼び覚ましてしまうことに。
カミサマもそういえば、季節関係なくだけど、近しい人に本当に辛く当たられるという悪夢にうなされていた。どちらも、厄介なこと極まりない。
ほんの数年前……私は硬く凍り付くような床で、ボロボロの毛布一枚を体に巻き付けてじっと寒さに耐えていた。
普通なら凍死していただろうなと、今になって思う。
(どうして生きていられたのか、今、エイシアを見て分かったわ)
私は無意識に、人魔としての力の片鱗を使っていたのだ。
――ボロ毛布だけが体を温めてくれる。
そう思い込むことで、微かにだけど寒さの感じ方が鈍くなっていたし、実際それで耐えられた。
人魔の念動は、ちょうどボロ毛布分くらいの空気の層を、暖めていたのだ。
だから、実際に体は温められていた。でなければ本当に死んでいる。
そんなことを思い出すのは、余裕があるからに違いない。
カミサマと入れ替わってすぐは、状況が状況だけに全く落ち着く暇が無かったけれど……今は、私だけの大きな暖炉の炎と、暖かいベッドの中でお昼寝をしているのだから。
人魔の力を無理に引き出さなくても、ぬくぬくとした生活が出来るのが、本当に嬉しい。
……と同時に、昔の記憶がふと出てきてしまい、少し悲しくなる。
(辛い記憶って、気温とか匂いとか。何かの拍子に思い出しちゃうんだ……)
そのせいで、当時の感情まで……一緒に胸の中に広がってしまう。
せっかく、初めてなくらいゆっくりと過ごせているのに。
それもこれも、窓の外を覗いたせいだと思った。
正確には、窓から見えるお庭の真ん中で、積もる雪に丸くうずくまるように、じっと動かないエイシアを見たせいだ。
たまに、一階ロビーで侍女達に撫でられながら、大きなステーキを食べさせてもらっているくせに。
――(もう! あなたがそんな寒空の下で外に居るから、余計に思い出しちゃうじゃない!)
思い出した感傷の痛みを、エイシアにぶつけたくなって念話で叫んだ。
――(うるさいぞ。大声でなくとも聞こえるのは知っているだろうが。貴様と違って我はな、こうして力の繊細なコントロールと、出力の維持を訓練しているのだ)
エイシアは目を開くことさえせず、まるで眠っているかのような姿勢を崩さない。
――(私の部屋の前じゃなくて、窓から見えないところでやってよ。見てるだけで寒いんだから)
――(貴様も感傷に浸っていないで、訓練しておけ。いつか後悔しても知らぬぞ)
そう言われるとドキリとして、少しはしてみようかと思う。
でも、エイシアに言われてするのはどうにも、素直に従いたくないという気持ちが勝ってしまって、ベッドの中に潜りこんでやった。
――(そんな事だから、人魔は滅んだのだろう)
――(やっぱり寒いのは嫌よ。逆に言えば、私は小さい頃からずっとそうしてきたんだから、今はもういいの)
考えてみれば私は、小さい頃から命を削るように訓練をしていたことになる。
――(貴様、減らず口が上手くなったものだな。腑抜けめ)
――(何て言われても絶対やらないから。寒さに耐え続けるなんて、昔の辛い記憶を思い出すから嫌なの!)
社交界に出るようになって、エイシアとはほとんど話さなくなった。侍女達がこぞってお世話をしたがるし、私が何かしてあげる必要が皆無だったから。
要件やいじわるのネタが無ければ、エイシアも特別何か、私に話すこともないのだろう。
お屋敷の敷地内やロビーで、時折見かけるくらいだった。
そう考えると、エイシアから敢えて、話す機会を作ってくれたのかなとも思った。
――(ねぇ。全然話さなくなって、寂しかった?)
――(貴様のそういう、小賢しい娘のようになった所は好きではないな)
――(娘ですけど)
――(まるで、本当にただの人間になってしまったかのようだな。以前の必死さはどうした)
――(私を狙ってたアーロ王子が手を引いて、平和になったからかなぁ)
――(面白味の無い奴め……。だが言っておくぞ。貴様を中心に、何かは起きる。そのような呑気な事では――)
――(何よ。肝心なことは教えなかったりするくせに。意味深なことを言って私を揺さぶろうとしても、もう通じないんだから)
やっぱり、エイシアはどうにか私にいじわるをしたいのだろう。
要はきっと、あの子も暇だったに違いない。
――(フン。まあ良いわ。今は貴様よりも、侍女どもの方が興味深い)
そう言って、私の気を引きたいのだろうか。
――(浮気者。あなたは私のペットなんだから、ちゃんと側で私を護りなさいよね)
――(頭でも打ったか? 我をペット呼ばわりなど……)
――(私ね、あなたに言いたいこと沢山あるけど、とにかく魅了で私に負けたんだから、私が上なの。偉そうなのは治らなさそうだからもういいけど、いじわるばっかり言ったら許さないんだから。わかった?)
なんだか無性に、腹が立つ。
――(これは驚いた。畏れを抱いているものとばかり思っておったが……フ。以前よりも、立場の理解が進んだか?)
――(ええ、きっとね。それと、リリアナが戻ったらまた、王都でも同じことをすると思うから。その時もよろしくね)
――(……またあれをやるのか)
そのけだるそうな声が、姿を見ていない念話でも、本当に面倒臭いのだという感情がくみ取れる。
――(そう? 私はけっこう、好きだけどな。エイシアも楽しめばいいのよ。皆が驚いたり、触りたがってくれたり……魅了じゃなくて、人が好意を向けてくれるのは嬉しいわ)
――(煩わしいことが好きなのだな)
……バカね。と、言おうと思った時だった。
エイシアに気を取られていたお陰で、辛い気持ちがどこかに行ってしまったことに、気が付いた。
――(わざと?)
そう念話を飛ばして、ベッドから出て窓に寄った。
さっきまで居た場所に、エイシアが居ない。返事もない。
(……かっこいいじゃん)
私達の味方で居てくれると言ったこと……こんな風に、気を配ってくれるまでとは思っていなかった。
少しは、見習わないとダメかなと感じて、薄着で外に出てみようと思った。
親元に居た頃は、必然で無意識に力を使っていたけど、意識的に使えるだろうか。
寝間着にストールを羽織って、廊下に出る。
そこからは暖められた部屋とは違って、冷気が足元や首すじから体温を奪う。
「ちょっ、エラ様! そんな薄着でどこに行くんですか!」
今日の護衛騎士は、ヘンリーだったらしい。
厚手の騎士服にマント姿で、ずっと部屋の前に居るのも大変そうだ。
実際には、飽きないように割と短時間で、巡回の人とハンドサインでやり取りをしているらしいけれど。
「少し散歩に行くだけよ。すぐ戻るから」
ヘンリーの反応を見ると、侍女を呼ばれて厚着させられそうだ。
「いや今日は雪積もってますから。今日はお控えください」
スタスタと階段に向かう私を、後ろから着いて来る。
「いいから気にしないで」
「せめてこれを羽織ってください」
そう聞こえた瞬間には、手早くマントで包まれてしまった。
「それだと意味がないのっ」
説明するには少し面倒で、言葉少なく立ち去りたかったのに。
「だ~めですって。風邪ひいたらどうするんスか」
どうのこうのと言うヘンリーを無視してようやく玄関まで来ると、後ろには侍女も二人付いて来てしまった。
「どうしてついて来るのよ。お庭を少し散歩するだけだってば」
「そんな恰好で外にお出ししたら、俺達が公爵様に怒られるっスから」
後の侍女達も、コクコクと頷いている。
「じゃあ、ほんとにちょっとだけ!」
そう言って、マントをヘンリーに投げて、意地でもと重い扉を開けて飛び出した。
「まったく、なんつー姫君なんスか。ご無礼お許しくださいねっ」
と言うや否や、目隠しのつもりのマントはすぐに払いのけられ、私の体はひょいと抱え上げられてしまった。
「ああっ!」
あっという間に、お姫様だっこにされてお屋敷の中に運ばれる始末。
外気に触れたのは、ほんの一秒ほどだった。
ロビーの中ほどで降ろされると、通せんぼの恰好でヘンリーは言った。
「エラ様。ダメ、です」
短過ぎる冒険だった。いや、一ミリも訓練にならなかった。
あとは侍女に手を引かれ、部屋に戻されると、暖炉前のソファに座らされて、もう一人の侍女が運んだ温かいミルクを渡されてしまった。
「エラ様ってば、時々妙な事をなさるんですから……」
仕事に戻っていく侍女をじっと見送り、小さくため息をつく。
公爵令嬢という立場は、ちょっとした不自由さもあるらしい。
――(クハハハハ! 憐れ。憐れ。いや、随分と好かれているではないか)
どこで見ていたのか、念でどうとでも見ることが出来るのか、エイシアは念話でからかってきた。
――(笑わなくてもいいでしょ。さっきは見直したのに!)
――(はて何の事だ? 貴様の無様な姿を笑うのは、我の娯楽ぞ)
――(やっぱりむかつくぅ!)
――(フハハハハ!)
頭の中に響く様な笑い声を残して、それきりだった。
あとはどれだけ文句を言っても反応はなかったので、私からの念話を遮断しているに違いない。
(少しは見直したのに。もう!)
素直にお礼を言う気にさせないのが、また悔しい。
でもそれ以降、冷たい空気に震えても、心が辛くなることはなくなった。
寒いと思ったら、先ずエイシアのあざ笑う顔が思い浮かんで……。
そしてそんな顔でも、胸の中が温かくなった。
お忙しい中、お読み頂きありがとう御座います!




