第六章 五、子の心
第六章 五、子の心
昼食も済ませた午後。
いつものように侍女達に着せ替えられ、赤色の奇麗なグラデーションが入ったドレスに、真っ赤なルビーをあしらった銀のカチューシャと、大きなルビーのネックレスを着け終えた所だった。
気の済んだ侍女達が退室して、代わりにマリーがお茶を運んで入って来た。
「あ、マリー。聞いてくれる……?」
お茶のセットをテーブルに置きながら、マリーはにこやかに返事をくれた。
「はい。何でしょうエラ様」
「ぜんぜんダメだったの……怒られはしなかったけど、正論でたしなめられて、返す言葉も無かったわ」
「ああ。昨日の……」
「うん。冬の海は荒れやすいのに、飛んでいようが船だろうが、そんな危険な所に行ってくれとミリア嬢が言うはずなかろう? だってさ。でも言われてみれば、逆の立場なら私も絶対に言わないものね……」
そう言うと、マリーは申し訳なさそうな顔をした。
「すみませんエラ様。私が海の事を何も知らないばかりに……冬の海が危険だとかも、知っていれば私もお勧めしたりしませんでした。空を鳥のように舞う、優雅なエラ様しか頭になくて……」
「ああ、マリーまで落ち込まないで。ごめんね。何か他に、良い案が無いか聞きたいと思っただけで。私もおとう様に言われるまで、マリーと同じように簡単に考えていたもの。私が悪いのよ」
もっと私がしっかりしないと、侍女のマリーにまで責任を感じさせてしまう。
周りに恵まれているからといって、浅はかなままではいつか、失敗の尻ぬぐいまでさせることになりかねない……かもしれない。
「今日もこのあと社交界なの。戻ったらまた、愚痴を聞いてくれる?」
これも、あまりにもな事は言えないから、本当にちょっとしたことを聞いてもらう程度に収めておかないと。と思った。
「そのくらいなら……!」
マリーは気が付くし優しいから、少し無理をしていたのかもしれない。
「ほんとはもっと、お役に立ちたいのですけど」
尽くしてくれようとする気持ちが強くて、私はそこに甘え過ぎていたような気がする。
「ううん。十分にしてくれているわ。いつもありがとう」
そう言ってお茶を口にして、少し休むからと下がってもらった。
私の言動には何かしらの意味が付きまとう。
それを意識していなかったわけではないけれど、お屋敷の侍女達に対しては、その認識が甘くなっていたのだ。
身の回りのことをしてもらうのと、何かを相談するのは全く別のことなのに。
(公爵家の娘という立場を、再認識しないといけないわ)
それに、わがままや愚痴を言うだけなのは、私の思う可愛い甘え方ではない。
お義父様に対しても、侍女達に対しても、のしかかるような甘え方をしていては……私の嫌いな人間になってしまう。
「……よし。おとう様に、きちんと話のすり合わせをしてもらおう。ミリアの状況とか、きっとおとう様の方が詳しくご存知でしょうし」
**
「どうした? もうすぐ出発じゃないのか」
お仕事をひと段落されたのか、お義父様は椅子に深くもたれて休憩していた。
久しぶりに晴れた真冬の、夕暮れの薄明かりと城壁から伸びた影が、窓の中に混在している。
暖炉の温もりで曇った窓ガラスは、まるで切り抜かれた夕闇の絵に見えた。
それは私にとって、漫然とした不安を感じさせる。
「えっと……わがままを言いに来たのではなくて……。その、ミリアの様子を伺いに行くのは、いつ頃なら良いと思いますか? 迷惑にならないように、私にも何か手伝えることを探したいのです」
「ほう。それは大人のやり方だな。半日で賢くなったではないか」
反省することが多くて、褒められたと素直に思えない。
「すみません……バカな娘でした」
「そこまで気にせんでよいだろう。可愛いものだ。誰かのためにと思ったら、向こう見ずな所は変わっておらんなと思っただけだ」
その目はどこか、懐かし気に見えた。
「あ…………はい」
カミサマのことを言ったのだろう。基本的なところは、不思議なほど似ている。性別が違っただけで、私とカミサマの垣根は何も無かった。嫌だと思うところも、何も。
「そうだな。先ずは、季節だ。春になるまで向こうも調査は中断している。だからエラも、春まで我慢するのだな」
「わかりました」
「だが、飛べるからとむやみに行ったとて……エラよ。お前は海で方角を知る術は心得ておるのか?」
ここでお義父様は、私を試す時と同じ目をした。少しいじわるさを含んだ、鋭い目つき。
「えっと……陸や太陽の位置ですか?」
でもすぐさま、お義父様は気難しい教師のような口ぶりで質問を加えた。
「太陽が見えない天気や、夜間はどうする」
「何も見えない時は……困ります」
「そういう知識を得て、訓練する必要がある。教師は手配出来るが、現地で慣れる必要があるぞ」
冷たい口調のようで、言葉には私のためにという温もりが込められているのが分かる。
「それじゃあ……」
「話は通してやるが、相手のある事だ。知られたくない事があれば断られるぞ」
「はい。それは、そうですよね」
そうか、何か秘密事項があれば、断られる可能性も高いのだった。
「後はまあ、陸は見える距離の話らしいが、現場付近まで行くと霧が出やすいらしいからな。そこで迷うと……延々と大海原に向かって、遭難してしまうらしい」
「えっ」
そして、お義父様はいつもより声を低くして、意味深な物言いになった。
「お前の翼で勢いよく飛んでいればなおさら……陸の位置が全く見えず分からず、孤独に海をさまよい続けていつか――餓死する」
ぎろりと私を睨む眼光が、まるでそれを予言したかのような迫力のせいで、『孤独にさまよい、餓死する』のだと刷り込まれたような気持ちになってしまった。
「や……やです。どうしてそんな恐ろしいことを言うんですか」
「ハッハッハ! ワシの心配を無視しようとする娘には、このくらい言ってやらんとまた勝手に飛び立ってしまうだろう? これは親の役目というやつだ」
一気に破顔して声高く笑うお義父様は、本当にいじわるだと思った。
なのに、そのいじわるに対して、なぜか私は愛おしいと感じている。
(……へんなの)
「もう……。海を見たこともないうちから怖くなってしまいました。ちゃんと大丈夫なように、良い先生を付けてくださいね?」
「やっと海の恐ろしさが伝わったか。話を聞かずに飛び出すような娘でなくて良かったな。ハッハッハ」
「もう! おとう様はいじわる過ぎです」
でも、やっぱり少し腹が立ったので、両手でテーブルを打つような仕草をしてみせた。
「ハハハハハ! すまんすまん。お前は反応が良いから、からかいたくなるのだ。可愛い娘だ」
「……むぅ」
可愛いに反応してしまって、怒り切れずに黙ってしまった。
「……パーティに行って参ります!」
「ハッハッハ。気を付けてな」
いつまでも笑うお義父様にまだ少しだけ怒りながらも、その扉が閉まる時にはもう寂しくて、後ろ髪を引かれる思いで物憂げに、横目で一瞬だけお義父様の顔を見た。
「一度一緒に行ったものだから、一人で行くのは寂しいわ」
この小さなひとりごとは、今度直接に言ってやろうと思った。
ここで甘えても良い人は、私にはきっと、お義父様だけなのだ。
自分の立場が、今になってようやく、少しずつ理解出来て来たような気がする。
(一緒にパーティに参加して。なんて、マリーには言わないものね)
そういえば、もう一か月にはなるのに、リリアナはまだ王都に来られないのだろうか。
シロエやフィナ達にも会いたい。
(……私って、こんなに寂しがりだったっけ。カミサマはどう思う?)
玄関扉に歩きながら、腰の剣に問いかけてみた。
でも、カミサマは答えてくれない。言葉が話せないから、仕方がないのは分かっているけれど。
(もっとお話する相手が欲しいなぁ……)
いつもお読み頂き、あありがとうございます!




