第六章 三、ウワサ
第六章 三、ウワサ
帰りの馬車で、今日あったことの対処に、どの程度までしても良いかを聞いた。
「感情的な事で言うなら、その剣で斬りつけても構わないと思っている」
だが。と、お義父様は付け加えた。
「匙加減としては、今日は最も良い対応だった」
そう言って両手を広げて見せるので、私は子猫のようにその膝に乗って、ひしと抱きついた。
セットが崩れても、もう帰るだけだから頭も撫でて欲しい。
なのに、背中をぽんぽんとされただけだった。
「お前はこれから、もっと人気が出るだろう。気を許す人間も増えるだろうが、それでも、剣を持たせている理由を忘れるな。とだけ言っておこう」
それはつまり、帯剣を許されているのとは、別の理由で持たせてもらっていたということだ。
『国の剣であるという象徴』として考えれば、社交界ならば具体的には、国王や善良な人を護るためだ。
それとは別に、お義父様個人の考えとして持たせているという意味は……私の判断で人を斬っても良いということ。でも、私を信用しているからこそだから、身勝手に気に入らない者を斬れということではない。
今日のヒョロ男に対する匙加減は最良だったという評価が、その証拠だ。
「……柄で殴るため?」
「ヘンリーか。あいつに物事を相談するな」
(やっぱり……)
「……あ! 分かりました! 剣の腕を見せて、女だからと言って侮らせないため。ですか?」
「ほう。ほぼ正解だ。恐らくお前は、実際に何かを斬ってみせようと思ったようだが。対人戦闘の時を覚えているか? 向き合った時の気迫のぶつけ合いを。あれを見せてやれという事だ」
……怖かったことしか覚えていない。
「あの、私は恐ろしかったという記憶しかありません」
「なにっ!」
「だって。私はその……ガラディオにも、腰の抜けた踏み込みなんか見たくないと、怒られる始末で……」
「そうか……そうだったな。すまん。エラはもっぱら、荒事には向いておらんのだな。失念しておったわ」
そう言ったお義父様の顔は、少し悲しそうだった。でもそれは一瞬のことで、すぐに何かを閃いたようだった。
「そういえばエラ。もう一人の我が子は、今はお前の中ではなくその剣に居るのだったか」
「あ、はい。寝る時と目覚めた時に、カミサマに呼びかけていますから。ちゃんと返事をくれるんですよ?」
そう言うと、お義父様は嬉しそうに、片方の頬を上げてニッっと笑った。
「エラ。今日のような事があれば、その剣に居るワシの子に頼めば良いのだ。上手く加減してくれるだろう。ベルトを斬ってズボンを降ろしてしまうとかな」
(そうなんだ……)
私は、答えを聞けたことではなく、カミサマのこともちゃんと、『もう一人の我が子』と言ってくれたのが嬉しかった。
私だけじゃなくて、お義父様もカミサマのことを、忘れずに居てくれたから。
「ありがとうございます。パパ」
お義父様の不意打ちに、溢れる涙をこらえることが出来なかった。
「お、おい……なぜ泣く」
「だって。カミサマのことを、我が子と思ったままで居てくださったから……」
「当然の事で泣くやつがあるか。二人とも、ワシの大切な子なのだ。忘れるわけがあるまい」
私は満たされた気持ちで、幸せいっぱいだった。
私だけを大切にしてもらうのではなくて、二人で一緒に愛されたかったのだと、今はっきりと分かった。
「嬉しいのですから、泣かせてください……」
「ふむ……。このままでは、ワシは親バカになってしまいそうだな」
「フフッ」
「なんだ、泣きながら笑いおって」
「だって。パパったら……」
(――もう、十分に親バカではないですか)
「うん? 途中でやめるな。ワシが何だ」
お義父様の胸板に顔を寄せたまま、私は首を振った。
言葉にならない幸せで、胸がいっぱいで声が出ないのだ。
その代わりに、ぎゅっと強く、お義父様を抱きしめた。
「まったく、甘えるのが上手になりおって」
お義父様は私に応えるように、優しく抱きしめ返してくれた。
**
それからも、何度かパーティに参加した時のこと。
ついに、噂話というものを聞いた。
「ノイシュ家の噂、お聞きになりました?」
ノイシュ家とは、王都から東にある沿岸地域を護る辺境伯だ。そこはお茶会友達で、成人の儀も一緒に参加していた、ミリアの家。
「あそこの遠洋に出た大型船が、もう二度も同じ場所で沈んだというのですよ。船員のほとんどは無事に戻ったらしいのですが、積み荷のいくつかは一緒に」
「海であれば、そういう事もあるのではなくて?」
「嵐だったとか」
令嬢達は、思い思いに言葉を口にしている。
私にはまだ、誰かと仲が良いだとかいう話が無いので、ミリアと懇意にしていることは誰にも言っていない。だから、話の輪の中には居ても静観しているように振舞っている。
軽い興味をにおわせつつも、話の行く末を見守るというスタンスだ。
「それが、座礁するような場所じゃないらしいのです。お天気も快晴で。そうではなくて、まるで崖にでも突撃してしまったような衝撃で、船の前がバラバラになってしまったと言うのですよ」
「沿岸を進んでいたのでしょうか」
「いいえ。海の真ん中。ど真ん中だそうですよ。まるで、見えない崖があったみたいだと」
「まぁ! それで、その辺りに調査隊は出したのかしら」
「むやみに危険にはさらせないと、調査さえ迷っているらしいのです」
「そんな事が有り得るのかしら……」
「その話は、誰からお聞きになったのです?」
「それはね。命からがら帰り着いた船員が、怪我で船にも乗れないからって酒場で話していたと」
「いたと?」
「酒場の店主が聞いた話だと聞きました」
「……その辺りはともかくとして、少し本当っぽい話ですね。確かにそういえば、ノイシュ嬢はこの秋からも、王都には来ていらっしゃらないものね」」
「そうよね。ノイシュ嬢は確か、ちょうど成人の儀を済まされたところですのにね」
そうねそうねと、少しはノイシュ家やミリアを案じる言葉が出ていたものの、すぐに他の話に移っていった。
……でもどうやら、信ぴょう性の高そうな話だった。
お義父様は、この沈没の話を知っているだろうか。
本当なら、ミリアのことが気になる。手紙はくれていて、そんな悩みなど一言も書いていなかったのに。
(……あったとしても、まるで救援や援助をお願いするような形になるから、書けないのか)
私も、ミリアと全く会えないなと、ずっと思っていた。
ほとんどのパーティに参加している私が、ミリアと会わないはずがないのに。
もしも事実だとして、貴重な荷を積んでいたのならノイシュ家にとって、大打撃だったのかもしれない。
それも、二度も。
船も荷も、船員も失っているとしたら、それは本当に大変なことだ。
もしかして、ミリアも海に出て調査に同行していたり……するのだろうか。
真冬の海は荒れやすいとミリアに聞いたことがあるから、考えれば考えるほど、心配になってくる。
(帰ったら、お義父様に相談してみよう)
お忙しい中でもお読みいただき、有難うございます!




