第六章 二、社交界(二)
第六章 二、社交界(二)
お義父様とのダンス。
そういえば、踊って頂いたことが無かった。
そう思うと、早くダンスの時間にならないかなと、楽しみになってきた。
でも、踊ってくださるだろうか。それとも、それとなく断られてしまうだろうか。
「……男性も、こんな気持ちで誘うのかしら」
「はい?」
うっかり呟いた言葉に、ヘンリーが聞き損じたと思ったのか返事をした。
「ごめんなさい。独り言よ」
「やっぱり、皆に一声掛けてくるわね。このままでは良くないものね」
失敗に終わったとはいえ、皆で助けてくれようとしていたのだ。お礼の一つも言わないままでは礼に欠ける。
ちらりと、あの男がまだ締め出されているままなのを確認して、皆の元へと戻った。
「アドレー嬢。助けになれず申し訳ありませんでした」
輪の中の一人が、先んじて声を掛けて来た。
「いいえ。皆さんが味方してくれたお陰で、心強かったです。感謝致します」
ここでうっかり、「感謝しています」と言うと、気持ちを継続しているように取られかねないので、「致します」と言い切って終わりにしなければならない。
細かな言い方で、揚げ足を取られないように気をつけるのが本当に疲れる。
なぜなら、今は味方に見えるこの皆も、家が貴族派の子も交じっているから。一定の距離を保ち続けることを、常に心掛けなくてはいけない。
とはいえ、そうした気の張り方をしている子は見当たらなかった。まだ、そこまでの教育を受けていないのだろう。
アドレー家が、やはり特別厳しいのだ。
そんなやり取りをしていると、ようやくダンスが始まるらしい。
『さあ皆様! これより楽隊による舞踏曲の演奏を始めます! ぜひとも楽しんでください!』
今日の主催は、音楽に力を入れているらしい。
この会場はダンスホールとしても、コンサートホールにも使えるらしい。確かに音の響き方が他とは違う。豪奢な感じは控えめでも、凛とした気品がホール全体から伝わる。
開催する家によって、食事であったり装いであったりと、力を入れる所が違うのも面白い。
自慢の美術品を、まさしく自慢するだけの主催者もいるというのだから、人や家によって割と自由なのかもしれない。
「アドレー嬢。僕と踊っていただけませんか」
「いや、僕と!」
(うんうん。まずまずの滑り出しね)
どのパーティでも、皆かなり積極的だ。他のご令嬢も、誰彼と声が掛かっている。
「では、早かったあなたから……」
あの気色悪いヒョロ男以外なら、今日は誰でもいい。
とは言っても、名前と顔を覚えるのに必死だ。アレに構う時間があるなら、こうして少しでも時間を作って、とにかく何か特徴と家を繋げて覚えないといけない。
貴族学習で、家の名前と特色は覚えさせられた。けれど、その子供……つまり、同年代までは調べられていなかった。
(だからこれは、私に課せられた大仕事のひとつ)
広く交流を持つこと。
数をこなすこと。
とにかく……広く深く。
数をこなさないと、正確な情報にならない。
ダンス中は、近くで見るその人の顔、ほくろの位置や瞳の色、微笑み方。何でもいいから、しっかりと見る。
ただそれがまた、相手にとっては見つめられているように見えるらしい。
――可憐な私に。
そう。
実は、相手が勝手に好意を持ってくれるのが、楽しくなってきている。
彼らからは、大した情報は出て来ない。けれど、勝手に好きになってくれるのがどうにもゾクゾクと、気分がいいのだと知ってしまった。
だから余計に、微笑んでみたり、フッと目線を外してみたり……また戻して目を見たり。
そんな、おそらくは稚拙なテクニックでさえ、魅惑の仕草だと思ってくれるらしい。
「アドレー嬢。こんど当家に……遊びに来てもらえないだろうか。いや、他意はないんだ。ただ、もう少し仲良くなれたらと」
そんなことを言われると面倒臭いにもかかわらず、つい、視線を外して「困ります……」などと箱入り娘を演じてしまう。
(こんな遊びを覚えてしまったことを、パパに何て言おう……最悪相手の首が、落ちることになりそうなのに)
そして大体、毎回そこまで考えた辺りで曲が終わる。
「また、パーティでお会い出来ると良いですね」
少し冷静な面持ちになって、アドレー家特有の会釈を礼の代わりに、そしてスッと身を引く。
その最後の、少し素っ気ない感じとダンス中の目線とのギャップが、相手を混乱させるらしい。
何か粗相をしたのだろうか。次にはもっと、気に入ってもらえるのだろうか。などと考えさせてしまうという。
これは雑談をしている時に、ウワサ好き令嬢達の話が聞こえてきた内容だけれども。
ともかく私は、これまでパーティの数を重ねる中で、ちょっとずつ悪い子になっていた。
自覚はあるのに、やめられない。
だって、こんなにも私が好かれるなんて、有り得ないことだと思っていたから。
魅了の力を使わなくてもこんな風に好かれるのは、リリアナ達だけだと思っていたから。
それに、同年代の男子は皆、子供に見えるから安心してしまう。男の人特有の、女子供を下に見るような態度が無いから。
子供の間の子供同士だけが、きっと唯一、男も女も平等なのだろう。
中には、バルコニーに締め出したアレのような、品のない者も居るけれど。
今日に限らず毎回、似たようなお誘いばかりでそこは飽きてしまったのだけど、その分ダンスでの体の預け方が上手くなったり、余裕を持って顔の特徴と家を覚えたりと、有意義だった。
――その代わり、体力も集中力も使い切って、そろそろ限界に近い。
そして、そうこうしている間に、いつの間にかバルコニーからアレが中に入って来ていた。
しかも、私に申し込むタイミングを見計らうような素振りもなく、ヒョロヒョロなのにずんずんこちらに近付いて来ている。
(やば……捕まったら今度こそ、刃傷沙汰にしてしまいかねないわ)
ダンスを楽しんでいないで、お義父様の位置を把握しておくんだった。
少し焦りながら見渡すと、大きな体躯のお義父様はすぐに見つかった。
(大きな体で良かった!)
私は走ってしまわないように気を付けながら、お義父様の元へと急いだ。
お義父様を囲うように、大人たちで会話中だったけれど、私の移動を周囲が目で追っていたので彼らも私に気付いたようだった。
さっと囲みが開き、お義父様までの道が通る。
アレから逃げただけだったのが、急にお義父様とのダンスを楽しみにしたのを思い出してしまった。
そのせいで、胸が随分とドキドキしている。
鼓動を抑えるように胸に手を置き……そこで少し、悪いクセが出た。
視線を一度外してから、上目遣いにもう一度合わせて……。
――いけないと思った。
そのせいで変に緊張して、また下を向いてしまった。
「……おとう様。一曲踊ってください」
お義父様にダンスを申し込む姿に、周囲がざわついている。
それはまるで、恥じらう乙女そのものだったらしい。
『なんと……』
「私も娘に言われて見たいものだ」
「アドレー公爵! 一体どのようにお育てになれば、このような天使になるのです!」
「私もお聞きしたい!」
「公爵。娘に嫌われない方法だけでも、教えてはくれないだろうか」
(なにか深刻な人も混じっているみたいだけど、この人達は悪い人じゃなさそうね)
「ふ。皆、後で話そうじゃないか。娘を待たせてはいけないからな」
今日のお義父様は、今まで見たことがないくらい、ものすごく自慢げだ。
私の手を引いて、意気揚々とホールの真ん中に進み……それを待っていたかのように始まる曲。
ダンスを始めるお義父様の微笑み。
その眼差しは、まるで恋人にでも向けるような、熱を持っているように感じた。
(私は娘ですよ。お義父様)
「どうしたエラ。急を要する話でも聞いたか?」
……熱を感じたのは演技で、私の行動をチェックしていたのだろうか。
「いえ……おとう様の方に、逃げてきただけです。今日も私はたくさんお相手をして、もう疲れました」
アレの話は、今はしたくない。聞けばお義父様も、げんなりするだろう。
「なんだ。それならそうと、一言伝えればよかろう。何のために護衛を連れているのだ」
どうやら護衛に伝達を頼めば、自分で動かなくて良かったらしい。今回は、少し事情が違うけれど。
そう窘める声も、その表情も優しい。
「そうだったんですか……作法が沢山あり過ぎて、まだ分からないことばかりです」
そう思うと、もっと誰かを頼る合図があるのかもしれない。
「ワシもその場でないと、思い出さんような細かな事が多いからな。こればかりは慣れるしかない」
覚えるというよりも、機転を利かせるための練習をさせたい。ということなのかもしれない。
私の浅はかな悪い遊びも、まだまだ足りないところも、全部承知の上だったらどうしよう。
「おとう様……不出来な娘で、悲しくなったりしないのですか?」
王族や聡い子らは、きっと言われなくても、小さなミスにも神経を尖らせていることだろう。
遊びなどしている隙もないほどに。
「何を言う。お前はよくやっている。さすがはワシの娘だ」
その言葉を聞いて、じっと目を見つめた。
……そこに、嘘は無いようだった。
でも、私にはその真意が分からなかった。どこを見て、そう言ってくれたのか。
お義父様とここで踊りながら、もう少しお話しをしていたい。
でも、言われたことを色々と不思議に思っているうちに、曲が終わってしまった。
「さて、そろそろ帰るか?」
踊らないなら、この場でぐずぐずしているのは良くない。
かといって、親子でずっと踊るわけにもいかない。たぶん。
「……いえ、お側に居ても良いなら、もう少し居たいです」
ここに居たいのは、お義父様の普段とは違うお顔が見られるからだ。
「そうか。ならばあと少しだけ、場を楽しむとしよう」
そう言うと、お義父様は会場の、少し人の少ない所へと進んだ。
さっきの人達は良いのだろうか。
「そう言えばおとう様。おとう様と踊るのは、全然疲れませんでした。ふわふわっとして、まるで羽が生えたみたいに」
ダンスではなく、話に集中できたのはそのお陰だった。
そして、その夢見心地の体験は、本当に素敵だった。
「そうだろう? ワシはこう見えても、ダンスでもモテたんだ」
はぐらかされたけれど、それはきっと本当なのだろう。
「そのおモテのお義父様は、娘とお話をしていても良かったのですか?」
今度は私が、熱の籠った目で見上げてみせた。
するとお義父様は、微笑んで私の頭を撫でた。セットが乱れないように、本当に優しく。
でも、それは子供にすることで、大人の女性にはしない。
(…………悪い遊びをするのは、まだ早いってことかしら)
「まさか、ずっと見ていらしたのですか?」
「ああ。娘の成長を喜ぶべきか、危ない遊びを窘めるべきか、物凄く悩まされたな」
「……すみません。つい、楽しくなってしまって」
「お前はそんな事をせずとも、人がついて来る。もっと自信を持ちなさい」
――私のパパは、心の底までも……お見通しらしい。
抱きしめて欲しくなって、抱きついても良いかを目線で伝えると、小さく首を振られた。
「そろそろ帰ろうか」
「――はい、おとう様」
お読み頂き、ありがとう御座います!




