第六章 二、社交界(一)
第六章 二、社交界(一)
――なるほど、教育方針の違いだったのだ。
そう閃いたのは、二日休んだ後、さらに何度かのパーティに参加してのことだった。
貴族教育の時は、カミサマが私だったから。
この一言に尽きるのだと思う。
カミサマは呑み込みが早い。きっと、高い教養をすでにお持ちだったから、基本的な事を学べばその先の事まで理解されていたのだ。
でも私は……いじけているわけではなく、平均以下の平民だった。教育など受けさせてもらえなかった。先の事を考えるのは、人の顔色を伺うくらい。
貴族教育の記憶は、もちろん共有出来ているから、そこで困っているわけではないけれど……たぶん、カミサマの習得速度や理解の深度に合わせて、教育が進められた。
その『理解の深度』が、問題だったのだ。
例えば、パーティは情報収集の場であるという教えも、カミサマはその前後まで把握していらしたのだ。先ずは顔馴染みを増やすだとか、自然と生まれる雑談に耳を傾けるだとか、そういう類の。
派生する物事というのは、教えるのも難しい。なぜなら、状況によるところが大きいから。
いちいち全て、あれがこうで……などと教えていては一生終わらないかもしれない。
その辺りカミサマは、全て把握出来ていないとしても、その場で臨機応変に対応する自信があったに違いない。
成人の儀で、絡んで来る輩どもをねじ伏せたように。
(……由々しき事態だわ)
私は、想定しなかった事態……というよりも、酷い状況になっている。想定していて当然の事態に、何の対応策も無しに臨んでいたのだ。
(私の、呑気者……! 馬鹿なのがほんとに悔しい)
「さあエラ様。僕と交際致しましょう。爵位は劣りますが、僕は次男ですから。養子に入れます。ぜひ本当に、お考えください」
さっきから、それとなく断ってもしつこいのだ。この男。
名前など、その顔つきが気持ち悪くて覚えられなかった。
人の話を聞かない強引な性格。それがもう、面構えに出ている。
本人はニコリと笑っているつもりなのだろうが、面長の細い目でニチャリとした、独特の気色悪さがある。
軟弱そうなひょろっとした体に細い腕。なのに、指だけが妙に長い。
そのヒョロヒョロとした動きが、生理的に受け付けないのだ。
「さっきから、アドレー嬢はそれとなくお断りしているのが分かりませんか?」
今助け船を出してくれたのは、今日知り合った王都住まいの、ミルド家のご令嬢だ。
でも、さっきから他の令嬢令息方も、同じことを言ってくれている。
「だから、キミたちには関係ないだろう。僕はエラ様にお話しているんだ。手紙も沢山出したんだぞ」
きっと、あなたの手紙はパパが燃やしている。
……どうしたらいいのだろう。
荒事になっていない以上は、騎士のヘンリーは動けないだろうし。せっかく一緒に来てくれたお義父様は、遠くの方で何やら話し込んでいる。
お義父様が居るから、エレガントな黒のフレアドレスでめかし込んだのに。
仕方がないので、扇ことばを使ってあっちに行けとか、大嫌いだとか、かなりハッキリとした合図も出しているというのに。恐らく無視しているか……扇ことばを知らないのだ。
閉じた扇を右手でわなわなと持ったし、左耳に何度も当てたし、何度も彼の目の前で、手もなぞっていた。
ここまでされて退かないのは、知っていたら出来ないことだ。現に他の皆は、ゴミを見る様な目で彼を見ている。
かと言って、あまり騒ぎにしたくないので、皆で困っているのだ。
ここまでしつこい人がいるのは、想定外だった。
「……私は受ける気がありませんので、もう下がって頂けませんか?」
総合的に考えて、もはやこのくらいは言ってもいいだろう。
もしも私の体に触れようものなら、カミサマの剣を抜いてやるつもりだけど。
「そう仰らずに。今度僕の屋敷にご招待します。ぜひ来てください」
似たようなやり取りが、しばらく続いていて本当にうんざりだ。
そう思って、私は無言でバルコニーへと向かった。他の皆には失礼だけど、このくらいしなければ剥がせない。
「ああ、エラ様どちらに。僕もご一緒します」
これでもダメらしい。
もう、人から少し離れたところで脅すしかない。
「……しつこいわ。これ以上側に来ないで。これは警告よ」
扇を左手に持ち替え、右手は剣の柄に掛けた。
バルコニーまで、もう三歩。幸い扉は開いている。
「エラ様。そのような事を仰らずに」
外まで付いて来たら、適当に腕などに触れさせて斬ってしまおう。いや、皆の前で触らせた方が得策だろうか。
少し迷った末に、私は追突されないように、身を翻して振り返った。
それなりに足早に進んでいたせいか、追いかけてきた彼もそれなりの速度で――私が急に目の前から居なくなったからだろうか――。
彼はつんのめって、ひょろひょろと足をもつれさせてバルコニーに出て行った。
(あ、丁度いいかも)
内開きになっているガラス扉を急いで閉じ、彼を外に締め出してやった。
――どういうわけか、彼は勝手にすっころび、バルコニーの柵に顔か頭をしこたまぶつけていた。
「あら~……」
行く末を見守っていた皆からも、『あ~……』という、ため息とも何とも言えない、残念なものを見た時の声を漏らしていた。
(やった! 何だか知らないけど、上手くいったわね!)
そこに、ようやく護衛のヘンリーが寄ってきた。
「お嬢様、大丈夫でしたか?」
ここでヘンリーに居てもらえば、しばらく人は寄ってこないだろう。
「えぇ……なんとかね。半分偶然だけど」
私は両手を上げて喜びたかったけれど、ここでは品格のために我慢した。
「俺が出るには、大事になるので動けませんでした。すみません」
「ええ。分かっているわ。今はちゃんと側に来てくれたしね。まだ寄ってくるなら、次はヘンリーが動けるんでしょう?」
「はい。将軍がさっきから、いいから動けとばかりにめっちゃ睨んでたんですよ。パーティを滅茶苦茶にしても構わん! みたいに」
言われてお義父様の方を見ると、腕を組んだまま親指を立てていた。
よくやった。と、言ってくれているのだ。
(ああ。駆け出して行って、お側で頭を撫でてもらいたい)
「ふぅ……。おとう様らしいわね。でもほんと、バルコニーに出ても追ってきたら、斬ろうかなって思ってたもの」
「ちょっ! だめですよ。将軍みたいな事言わないでください。下手したらここに居る三分の一くらいと戦争ですよ?」
そんなに影響力のある家門の子だったかしら。と、ヘンリーを見上げた。
「あの一家は、しつこいんです。そのせいで嫌われているのも事実なんですが、商売が上手いのでそれなりに味方も居ます」
そんなことだろうと思った。
「それにしても、一家全員しつこいんだ……」
あまり聞かれては良くないので、扇を開いてこっそりと呟いた。
ようやく気持ちが落ち着いて、辺りを見渡すと皆がこちらを見ている。
まだ、というか、今のことを話したいのだろうと思う。
「お嬢様、皆さんとお話したいでしょうが、今は俺から離れるとまた来ますよ。さっきのが扉に張り付いて見てますから」
「……はあ。めんどくさいわね。どうやって引き剥がせばいいのかしら」
「俺なら、気付かれないように剣の柄を当てますね。悶絶させて動けなくしてやります」
そんなことを言うものだから、呆れた顔でジッと見てやった。
「それ、おとう様や私と何が違うのよ」
「ハハッ。すみません。思いつかないス」
「もう!」
……カミサマなら、どうしていただろう。
そう思った瞬間に、正解らしき答えが思い浮かんだ。
『アドレーに対して、婿入りしてやるなどと上から物を言うとは、無礼な奴。斬られたくなければ私の前から消えろ!』
(って言ってやれば良かったんだ。あぁ~……なんで今頃思い付くんだろう。私のバカ)
少しげんなりとして扇の隙間から前を見ると、未だに心配そうに見ている皆が映った。
後でお話出来たら、きっと仲良くなれる。
そう思って、扇を目線まで下げて微笑んでおいた。
……そろそろダンスの時間になる。
いつもみたいに沢山申し出てくれたら、あいつが来ても他を選ぶのだけど。
でも、肝心な時に限って、あいつしか誘いが無かったら……。
(ううん。もしそうなら私から、お義父様に申し込みに行こう)
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