第六章 一、公爵令嬢の生活(三)
第六章 一、公爵令嬢の生活(三)
お義父様との交渉で得た休日。
私は人の輪から抜け出るための視線や足運びの練習、それからダンスのおさらいをしていた。
この、お稽古などをする部屋は、他の部屋二つ分くらいの広さで割とがらんとしている。基本的に歩き方やダンスで使うところだけど、木剣が置いてあるので剣の基礎稽古にも使っていたのだろう。
他には椅子がいくつかと、長椅子が二つ置かれている。小さなテーブルは、休憩用のお水とグラスを置くためのものだ。
目の端にそれが映ったのだろう。そろそろ喉が渇いたなと思った。だからきっと、集中力が切れてきたのだ。
「お相手の足を踏んでしまうことは今のところ無いけど、どうしてあんなに疲れるのかしら」
パーティに同行してくれる騎士、ヘンリーにダンスの相手をしてもらいながら、ふと思ったことを口にした。
「それはお嬢様、お相手のダンスが下手なのでしょう。俺はどうですか? 疲れますか?」
そう言われてみると、ヘンリーと踊っても妙に力んでしまって、正直なところ早く終わりたい気持ちだった。
「うーん……五十点、くらいかしら」
するとヘンリーはぴたりとダンスを止めて、肩をすくめてみせた。
「そりゃあそうです。俺は剣術を仕事にするために騎士になった男です。ダンスは子供の頃に習ったきりですから」
「あら、そうなの? それなら上手い方じゃないかしら。それよりも、お相手が上手でなくても、疲れない方法を知らない?」
自分が上手くなれば、もう少しマシになるだろうかと、ずっと思っていた。
すると、様子を見ていたマリーが助言をくれた。
「エラ様。ご自分の動きを優先するのではなく、相手の動きを受け入れて流れるようになさってください。きっと、もっと力まずに出来るはずです」
「そうなんだ。やってみる……」
言われたことをヘンリーで試すと、確かに動きが軽くなって、少し楽しいと思えた。
カミサマが私の体を使っていた時の、剣術の動きに近いものがある。だから、割とすんなり動けたのかもしれない。
「お見事です! エラ様!」
「ふふ。ありがとうマリー。やっと、先生以外の人とのダンスを楽しいと思えたわ」
そういえばカミサマは、先生としか踊ったことがなかったかもしれない。
だから尚更、体の使い方が下手な私は、他人と動きを合わせることの違和感と難しさで体が強張ったのだ。
それがどうだろう。体を相手に預けるように、そして動きさえも任せるつもりにするだけで、かなり楽になった。
少しでも上達したら途端に楽しくなる私は、現金な性格だろうか。
ただ、やはり合わせるのには集中力がいるし、ヘンリーは身長が高いから、彼が気にしてくれないと歩幅も合わせづらい時がある。
私は少しだけ背が低いし、背の高い人と踊る時は、もう少し工夫が必要そうだ。
**
練習を終え、自室に戻ってマリーにお茶を淹れてもらった。
ソファに背中を預けて、社交界の立ち振る舞いを色々考えていると、ふと気づいてしまった。
私は、これまで何かと戦った話ばかりで、令嬢らしい話も姿も、お義父様に見せたたことが無いなと。
偶然そういう流れだったのもあるし、カミサマが戦える人でなかったら、私はもう、死んでいただろう。けれど、令嬢というよりはどう考えても……働きは令息の方に偏っていた。
だからもし、誰かと楽しげに踊っている姿を見せたら……あるいは、一緒にダンスを踊れたなら、少しは娘らしい親孝行になるだろうか。
アドレー家としての素養だけではなくて、娘としても、何か応えて行きたい。そう思った。
そんなことを考えていると、なんだか胸の奥がキュウと締まるような、むずがゆく疼くような、もどかしい感覚に囚われた。
「娘として……」
ドレスや宝飾で着飾ることも、美しい所作で品格を高めることも、優しい言葉選びも……全てが、お義父様への親孝行になるのでは。
今までは、令嬢としてしなくてはいけないから。だった。
けれど、全て理想通りの娘になれたら、もっと喜んでもらえるのではないだろうか。
「エラ様、どうかされましたか?」
「……マリー。私、もっと可愛くなれるかな」
「ハッ。エラ様まさか……気になる方でも見つかったのですか?」
違う。どうしてそうなるのかしら。
「そうじゃないの。おとう様……パパに、もっと喜んでもらいたいの」
「あぁ……ああ~! なるほど、そうだったのですね。早とちりしてしまいました。でもエラ様は、今でも十分過ぎるくらいお可愛いですよ?」
皆、大体そう言ってくれるけど……いまいち信用できない。
だって、価値観は人それぞれだから。それに……。
「そうは言っても、見る人によって違うものじゃないの?」
「まあ。エラ様? 確かにそのように言う人もいます。けれども、美的感覚はほぼ、ある程度は皆同じ物を持っています。だから、誰かが美しいと感じるものは、大抵の人も美しいと感じるのですよ?」
「そういうものかしら」
「そうです。逆に、エラ様を可愛くないだとか美しくないなどと言う輩は、美的感覚が特殊なのです。そんな意見まで気にしていると、頭がおかしくなってしまいますよ? まさか、誰かに言われたのですか?」
「ううん。あまりに皆が可愛いと言ってくれるから。でもほんとは、持ち上げて言っているだけなのかなって。それに、パパに認めてもらえなければ、あまり意味がないから……」
そう言うと、マリーは両手を自分のほっぺに当てて、ヘナヘナになって大きなため息をついた。さらには体をクネクネとさせて、身悶えている。
「はぁぁ……。尊い……」
最近、尊ばれることが増えた。何かと言うと、侍女達は「尊い」と言ってウットリとする。
「大丈夫? マリーも他の侍女達も、最近変よ。何かの新しい遊びなら構わないけど……」
もしかして、また魅了の力が漏れてしまっているのだろうか。
エイシアも一週間くらい、全然顔を見せないし。と言っても、侍女達から食べ物を貰っている姿とか、ちらほらと見かけることはあるけれど。
何かおかしな点がないか、後でエイシアに聞いてみよう。
あの子の、嫌味のひとつも聞いておかないと、侍女達に褒められてもだんだん不安になってしまう。
「えぇっと、エラ様が可愛すぎて、もはや可愛いという表現では表せないので、そのように言っているだけなので……お気になさらずに……」
このように褒められ過ぎても困ってしまうので、「沈黙」の練習がてら、少しだけ首を傾げて微笑んでみた。
ただ、この後どうなったら成功なのかを知らない。
するとマリーは、ウットリした顔から少し目を見開いて、それからゆっくりと口が半開きになっていった。
「……マリー?」
魅了を無意識に使ってしまっているなら、コントロールをもっと精密に仕上げなくてはいけない。
「……あぁ。いえっ。すみません。エラ様の表情や仕草の全てが、もう、私の理想通りというか、超えてしまっているというか。とにかく見惚れて、呆けてしまったのです。すみませんっ」
マリーは顔を真っ赤にして、俯いてしまった。
やはり、少しおかしい気がする。
カシワデを打って正気に戻るなら、魅了が漏れていたということだ。
――パンッ。
両手を、少しだけ上下にずらして強く打った。
「ひゃっ。な、何ですか? いえ、私が呆けているからお叱りになられたのですよね。申し訳ございません。次からは気をつけますので、何卒、お許しを――」
「ち、違うのよ。怒ったんじゃないの。その、ちょっと気になることがあって、そう! 急に思いついたことがあったから、勢いで手を打ったら意外と音が大きかったっていうか」
「そ、そうなのですか? お怒りなのでは……」
「全然! 全く怒ってないし、怒る理由もないわよ? びっくりさせてごめんなさい」
「よかった……」
まだどちらか分からないけど、またすぐに尊いとか言うのであれば、魅了ではないのだろう。
……これがあるせいで、いまいち自分に魅力があるのかどうか分からない。
自分では……好きな容姿だけど。
(お義父様に、もっと気に入って貰えればいいのにな)
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