第六章 一、公爵令嬢の生活(二)
第六章 一、公爵令嬢の生活(二)
――社交界シーズンなど、誰が作ったのだろう。
大人しく冬ごもりをして、静かに暮らせばいいのに。
でも、農作も狩猟も探鉱も、雪の多い真冬には出来ない。
だから、情報交換はこの期間にしよう。ということなのだと、私は勝手に思っている。
ただ、どうしても疲れてしまって、私はもう行きたくなくなったのだ。
それをお義父様に、素直に伝えた……もとい、言い放った。
とにかく、パーティは大変だから。
私はパーティに行くと、人に囲まれて身動き取れないか、踊らされ続けるか。
この二択しかない。
それは、あまり悪意を感じないものばかりだから、喜ばしいことなのだけど。
慣れないせいか、神経をすり減らして、体力もごりごりと削られる……。
「とっても疲れるんです。パパは見てないから、知らないでしょうけど。大変なんですから」
今日もずっとダンス。ひと息つけると思ったら、ご令嬢達がまた取り囲んで、とりとめのないお話。
お腹が減って何か口にしようにも、見られているせいで、欲しいだけ食べるわけにもいかない。一口だけ食べては、飲み物を給仕してもらって、少し飲んではそれもすぐに返す。
品格というのは、立ったまま食べ物を手にすると台無しになるのだ。
ダンスの時間が終われば、テーブルで落ち着いて食事を頂戴することも出来るけれど……私はその頃には帰る。座ったら寝てしまいそうなほど、疲れてしまっているから。
こんなことを皆まで言うつもりは無くても、「行くのが嫌になった」などと大それたことを、私は言い放ったのだ。
本当なら、逆らうなんてしないし、どんなことでもやらなければと、そう思っていた。
今でもその気持ちは変わらないけれど……なんとなく、パパと呼ぶようになってからは自分が本当に大変だと感じたら、甘えてもいいのかなと思って。
「話は聞いているが……そんなにか」
そう言って困った顔をしたお義父様に、いつも私と同行している騎士が耳打ちをした。
「ふむ……そうか。エラはとても真面目だというのを失念していたな」
会話の流れが読めなくて、私は少し拗ねた表情のままで、首を傾げてみせた。
「ハッハッハ。エラ、あの場では、人気者が全てなのだ。お前が人の輪から出たければ、一人バルコニーに出ても良いし、踊り疲れたら断っても良いのだ」
そう言われて、代わるがわる目まぐるしく、誰かの相手をしていた疲れがさらに重くなった。
「そんなの……もっと早く教えてください……。あなたもよ!」
お義父様には強く言えないので、いつも同行していた騎士に八つ当たりをした。
いや、八つ当たりではなくて正当な行いのかもしれない。
名前は確か、ヘンリーと言っていた。
「えっ、す、すみませんお嬢様」
まだ若く見えるけれど、腕は立つらしい。
長身だし、割とかっこいいし、赤茶の髪が目立つから遠くからでも分かり易い。
でも、カミサマの剣があるから、私は剣の腕よりも、社交界でのコツを教えてくれる人が良かった。
「ハッハッハ。そう怒ってやるな。ワシも悪かった。すまん」
お義父様が軽く「すまん」と言っている時は、そこまですまないと思っていない。
「もう……。明日と明後日は、行かないですから」
これは交渉だ。
社交界シーズン中、王都に居るなら顔を出すべきなのを、この件で「数回休ませて」というお義父様との交渉戦だ。
「ふむ……伯爵と子爵のパーティか。まあ、良いだろう」
(やった!)
ぐっと拳を握りたくなる気持ちを抑えて、私はニコリと微笑んだ。
「ありがとうございます。パパ」
そう言ってすぐに、執務室から出て部屋に戻った。
これで、足の疲れだけでも取れるだろうか。
社交界……同年代でも、年の離れた方でも、仲良くしてくれるのは嬉しい。
けれど……どこか計算高い目をしているように見えて、嫌なのだ。
隙を見せてはいけない。
余計にそう思って、気疲れがすごい。
それに、お義父様が望む様な情報は、まだ入ってこない。
社交界とは情報収集の場であると、貴族教育の時からずっと言われていた。
だから、どこからどんな情報が聞けるのだろうかとドキドキしていたものだけど、期待外れだった。
これなら、侍女達のウワサ話の方がよっぽど有意義だ。
そう思って、溜まった手紙に目を通しながら、お茶を淹れてくれた侍女に社交界の愚痴を聞いてもらった。
「でね、結局は別のパーティのお誘いか、女子ならお茶会。そういう話しか出て来ないのよね」
侍女といっても、元は貴族のご令嬢。
社交界に顔を出したこともあれば、パーティやお茶会も、嗜み方を知っている。
「それはお嬢様。今はまだ、顔を売る時でしょうから。お互いに顔を覚えて、またパーティに参加してを繰り返していくうちに、雑談代わりに話題として上るのです。今は我慢の時ですよ」
「そうなんだ。言われてみれば確かにそうね。いきなり深い話なんて、誰もしないわよね」
貴族教育では、情報収集だという心構えを習っただけで、そこに辿り着くには、また別の苦労が必要だということだったらしい。
「お嬢様は大人気ですから、近付きたいという人が沢山集まることでしょう。敵も味方も、清濁併せ呑むつもりでお話なさると良いですよ。アドレー家は、貴族間で争いをする家門ではなく、国の行く末を見守るという大家ですから」
「……おぉ~」
無意識に拍手をしていた。
「素晴らしい講義ね。もっと教えて欲しい」
そう言うと、途端に彼女は照れて顔を伏せてしまった。両手でも顔を隠して、頭をフルフルと振っている。編み込みをお団子にした明るい茶色の髪が、ほどけてしまわないか心配になるくらいに。
「ひゃ~、すみませんっ。聞きかじったことを、物知り顔で偉そうに語ってしまいましたぁ」
大人びて見えたけど、リリアナよりも年下くらいかもしれない。
さっき語ってくれている時は、茶色の瞳が凛としていて、もっとお姉さんに見えたのに。
「いいじゃない。それでも私の胸に響いたのだから。知りたかったことが聞けて、私はとても嬉しかったわ。また何か聞いたら、気兼ねせずに教えてね?」
ここの侍女達は、きっと私なんかよりもずっと有能に違いない。仕事も早いし、気の付き方が物凄いから。
その先読みの力は、眠かった目がハッと覚める程。以前、ソファで軽く横になろうとした時に、スッとクッションを当ててくれたのに驚いて、ガバっと起きてそのまま目が冴えてしまったことがあった。
その時も、彼女だった。名前はマリー。朗らかでよく笑う、とても気立ての良い人。
「ねぇ、マリー。フィナとアメリアが居ない間、マリーが私のお世話をしてくれない? いつも、とても助かっているから」
するとマリーは、ハッとなってようやく顔を上げてくれた。
「えっ? 私なんかが良いのですか? 控えとはいえ、そのような大役……」
大役と言う程なのだろうか。お義父様を通さずに勝手に使命するのは、よくなかったのかなと思ったけれど、私に気兼ねなく物事を教えてくれる存在は、やはり側に居て欲しい。
「うん。後でパパ……おとう様にも伝えておくわ。リリアナもまだ、王都に来ないしね」
――フィナとアメリアも連れてくる。
そう言ってファルミノに帰ってから、まだ十日ほど。
きっともうしばらくは、マリーのお世話になるだろう。
「ありがとうございます。一生懸命お仕え致しますね」
そう言って彼女は、最も深く頭を下げる礼をしてくれた。
お屋敷の中では、身分がどうあれ軽い礼で良いとしている。これはお義父様の方針で、有能な侍女達の仕事を邪魔しない。という気持ちを表したものだ。
そんなに喜んでもらえるのは嬉しい反面、今まで通りに、肩の力を抜いていてほしいなと思った。
でも、仮に少しぎこちなくなっても、マリーならすぐ大丈夫になるだろう。
ともかく、彼女のお陰で、社交界での立ち振る舞いがよく理解できた。
言われたことを鑑みると、今の私の役割は知り合いをどんどん増やすこと。そして分け隔ての無い、アドレーとしての接し方を覚えていくこと。
体力も集中力も、今まで以上に必要になる。
明日と明後日はお休みをもらったから、休憩の取り方なんかも考えて準備しよう。
自然に、威圧も軟弱さも見せず、流れるように上手に動かなければ。
――そういえば、皆、私の手の動きや視線を追う気がする。
これを上手く誘導に使えれば、輪の中から無理なく抜けたり、ダンスを上手く断れるかもしれない。
「そうそう、お嬢様。何か言葉に詰まるような質問をされた時は、微笑んで上手く沈黙すれば良いと聞きましたよ。なかなかに熟練の力が必要らしいですが」
「それって、どんな風にするのかしら」
「詳しくは知らないのですが……私もそんなに、パーティに出ていたわけではないので。でも、皆に色々と聞いてみますね。何か分かれば、すぐにお伝えします」
「それはありがたいわね。ぜひよろしくね」
マリーのお陰で、社交界が少し楽しみになった。
自分のペースを作っても良いのなら、もう少し楽に、何なら楽しむ余裕も出て来るかもしれない。
最初から上手くは出来ないだろうけど、目指すものがあるとやる気が出るのは、カミサマの影響かもしれない。
(カミサマと一緒なら……怖くはないから。きっと、頑張れる)
お読み頂き、ありがとう御座います!




