第六章 一、公爵令嬢の生活(一)
第六章 一、公爵令嬢の生活(一)
「パパ。もう私、社交界に行くの嫌です……」
お義父様のことを、お屋敷内ではパパと呼ぶようになった。
きっかけは、侍女達からのリクエストだったのだから、何がどう変わるのか分からない。
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「あのぅ……エラ様と公爵様に、お願いがございます!」
ある日。
朝食を終えて、溜まった手紙を読むため部屋に戻ろうと立ち上がった時、呼び止められた。
「た、大変ご無礼申し上げるのですが、エラ様に、公爵様を『パパ』とお呼びしてみていただきたいのです」
どうかどうか、と祈るようにされては、困惑顔で無視してしまうわけにもいかない。
「えぇ……っと」
そんな失礼なことが出来ようかと思って、何といえば傷付けないかなと考えていたら、何のことはない。お義父様は乗り気だった。
執務室に向う仕事モードのお顔から、一気にほころんだ。
「良いな。新鮮だ」
そして、少しだけ寂しそうな表情になった。
「そういえば、今までそう呼ばせたことは無かったな」
その「今まで」というのは、声のトーンから、王妃も含めてのことだと分かった。
王家と盤石の関係を築くためだったかは知らないけれど、結果的にそうなることも予見しての教育ともなれば、とても厳しかったのだろう。
「よかろう。屋敷内では、今後はワシをパパと呼べ。よいな? エラ」
「え、ええ~ッ?」
でも私はというと、お義父様を仰ぎ見て、目を見開いて驚いた。
この一連の流れは、全く予期していなかったのだから。
「なんだ、不服か?」
「い、いえいえ。とんでもありません。その……」
私も、実の父親のことをそんな風に呼んだことなどない。
殴る蹴るをする母親と、一緒になって私を蹴り飛ばした父親。
そうでなければ、黙って見ていただけの、憎い父親。
夜に少ししか会わなかったから、すっかり忘れていた。
(やだ。つまんないこと思い出しちゃった。あいつも、いつか……)
――いや。忘れよう。
私はもう、お義父様の娘なのだから。
「……嬉しいです。おとう様のこと、そんな風に呼んでもいいなんて」
「そうか! エラも喜んでくれるとはな! どれ、今呼んでみてくれ」
「えっ」
「やはり、無理に言わせておるのか……」
「ちがっ、ちがいますよ? こまっ……恥ずかしいだけです。いきなりそんな、パパだなんて……」
「うん? もう一度。もう一度言うてみてくれ。なかなかだ。なかなかに良いじゃないか」
混乱していつの間にか、パパと言ってしまったらしい。
「……ッ。パパ!」
勢い余って、ちょっと声が大きかった。
「おお……なんとも、こう……胸に響くな」
何やらお義父様は、わなわなと打ち震えていらっしゃる。
『あぁ……』
と、声を漏らしたのは侍女達だった。
『尊い……』
一体何が、尊いのだろうか。
「あ、あの。もうお部屋に戻っても……?」
おずおずと、お義父様を見上げて言うと、少し寂しそうな顔をされた。
「う~む……。お部屋ではなくて、執務室で読みなさい」
「ふぇっ?」
手紙読みに追われているのは、お義父様も知っているからだけど。まさかそんなことと言うなんて。
「ワシと一緒では、嫌か?」
そんなことを言われて、断れるわけもないし……それに別に、嫌だとかは何もない。
「い、いえ。驚いただけです。おとう様…………パパ」
呼び慣れないのと、改めて期待されると……とっても恥ずかしい。
呼ばれたお義父様は、少しニヤついている。
「ふ。ふふ。よし、それじゃあ行こうか、エラ」
これは、抱っこされる流れだ。
そう思ったのが先か、お義父様が抱き上げたのが先か。
抱えられた瞬間に、私はその厚い胸板に頭を預けた。
お義父様にお姫様抱っこされるのも、慣れたものだ。
『ハァァ……』
という、甘いため息を後ろに聞きながら、執務室に運ばれてゆく。
(お手紙……お部屋なんだけどな)
侍女にお願いをするのもまだ慣れないから、取って来てもらうのも気兼ねしてしまう。
そう思っていたのは、彼女達を侮っていたからだと反省した。
ここには、気の利いた侍女達しか居ないらしい。
すぐにお茶と一緒に運んで来てくれたのは、魔法みたいだと思った。
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