第五章 十七、貸しの使い方
第五章 十七、貸しの使い方
お義父様に部屋まで運んでもらい、楽な服装に着替え、食堂で一緒に朝食を摂った。
でも本当を言うと、普通に過ごす日常が、まだ少し落ち着かない。
こうしていると、また突然何かが起きてしまうような気がして、食堂の扉が開く音に少し怯えてしまう。
だから、カミサマの剣を手放すことが出来ず、所かまわず持ち歩いている。
とはいえ何事もなく、朝食を終えてお義父様のお部屋に向かった。
大きな背中を見上げながら、お義父様にトコトコと付いて行く様は、侍女達には目の保養になるらしい。
彼女たちは、屋敷の身内だけに許された軽い礼をした後に、じっと私を見つめながらうっとりとして、「お可愛い……」というため息をつく。
「あの、何か……」と声を掛けても、「いえいえ、見惚れていただけですので~」と足早に去るものだから、声は掛けないようにした。
「人気があるのは良いことだ。受け止めてあげなさい」
お義父様は、他人事だと思ってそんなことを言うのだ。
無条件で可愛がられるのは、何だか居心地が悪いものがある。魅了も使わずに、可愛いだけでこれほど受け入れられるものだろうか。
と、終わりのない不安が襲ってきたりもするというのに。
かたや私を殺そうとする人がいて、かたや私を愛してやまない人たちがいる。
落ち着いて考える時間を持つと、この両極の感情をどう受け止めればいいのか、余計に分からなくなる。
そんな事を考えていると、いつの間にかお義父様のお部屋で、私はちょこんとソファに座っていた。侍女がお茶も淹れてくれている。
お義父様は正面のソファにどしっと腰かけると、人払いをしてから、ニッと笑って言った。
「さて。真面目な話は先に終わらせてしまおう。エラとの久しぶりの時間だ。後で甘やかさせてくれよ?」
お義父様のいたずらな笑みは、雰囲気がどこかリリアナに似ている。
私にも、お義父様と似た何かがあればいいのに。
血の繋がりが無い私には、一番羨ましいものだ。
「……なんだ。やはり、話しにくい事か?」
私がつまらないことを気にしている間に、お義父様を困らせてしまった。
「い、いえ。どこから話そうかなって……」
その言葉を皮切りに、私は、カミサマが剣に宿ったことを伝えた。
ガラディオにも匹敵するかもしれない強さを……私の体では成し得なかった動きが、出来るのだと。
「ほう! ガラディオに匹敵するというのは頼もしいな。そうか……剣を与えてあれ程に喜んでいたのも、納得の強さだな。もっと……あやつが喜ぶ事をしてやりたかった」
そう言うお義父様は、涙を浮かべているように見えた。
私は、それに嫉妬しただろうか。
胸がぎゅっと、強く掴まれたように苦しい。
(ううん。違う……カミサマに、もっとお義父様の愛情を受けてほしいんだ)
「おとう様。カミサマの剣……抱きしめてあげてください」
それが、カミサマへの慰めになるのかは分からなかったけれど。
そして剣を手に取り、お義父様に渡そうとした時だった。
カミサマの剣が勝手に鞘から抜けて、一度中空をくるりと一回転して……。
それが剣としての挨拶のつもりなのか、またすぐに鞘へと戻った。
鞘に収まりきる時の、キン、という音が耳に残る。
「カミサマ……」
ぽつりと呟いた私から、お義父様は剣を受け取った。
それを片手で胸に当て、まるで黙とうか敬礼のように、目を閉じて数秒の間、不動の祈りを捧げたようだった。
「ふむ。それでこやつとは、何か話せたりはするのか?」
お義父様は、少し期待しているように見える。
「えっと、それが……言葉での会話はできません。カミサマの動きで、肯定しているのだろうとか、喜んでいるのだろうとか、私が勝手に感じているだけで」
「……そうか。まあ、それでも喜ばしい事だ。ワシは娘だけでなく、息子も出来たのだろう? 少し変わった形をしておるが、な」
その笑顔は本当に嬉しそうで、お義父様は満足気に頷いている。
「そう言って頂けたら、嬉しいです。カミサマにも、愛されて欲しいので……」
その後は、何か特別な話をするわけではなく、王都で買い物はどうだとか、私の欲しいものは無いかだとか、そんな内容に終わった。
話の最中、どうにかしてもっと甘えたいと思っていると、お義父様の方からこっちに座るかと聞かれたので、私は飛びつくようにお膝の上に座った。
少し驚かれたのも束の間、お義父様も遠慮なく頭を撫でてくれたりした。
私がその腕を握ると、ぎゅっと抱きしめてくれる。体の向きを変えて抱きしめ返すと、背中を優しく、ぽんぽんとたたいてくれる。
安心して体を預けられるというのは、こんなにも心が満たされるのかと……私は、ずっと胸の中が、温かだった。
**
あんな態度を取ってしまって、良かったのだろうかと夜になって後悔をする。
それでも、幸せな気分で眠りにつき、ふかふかのベッドと羽毛の布団にくるまれていた。
きっと、幸せな夢を見るだろう。
そんな事を思ってしばらく。
瞳を閉じた心地良い暗闇から、明るい世界の中に移った。
――ああ。これは夢だ。
だって、カミサマが目の前に居る。
私の姿をした、私よりも凛々しい人。
(……私は、またカミサマの後ろでいい)
伝えれば、戻ってくれるかもしれない。
「カミサマ――」
「――エラ。……少し、大変そうだったね。でもよく頑張ってるし、我慢強くて素晴らしい子だと思った。尊敬する」
同じ顔のはずなのに、どこかぼやけていて、上手く見えない。
ただ、声のトーンは、微笑んでいるような印象だ。
「カミサマ。私には荷が重いです。上手く戦えないし、ガラディオには怒られるし、このままじゃリリアナ達を護るどころか……巻き込んでしまいそうです」
「いいや。オレじゃ王子にケンカを売ってしまって、大変な事になっていたかもしれない。エラが自分では何も言わず、しかも王子の処刑を止めたんだ。あれはお義父様とエラにとって、かなりの優位を得たと思うよ」
「……そうなんですか? 分かりません」
「そうなんだよ? でなければ、激高したお義父様は間違いなく王子を殺していたし、国王への貸しも全て吹き飛んでいた。それは今後、エラを護るためのカードを全て、使い尽くしてしまう事になっていただろうからね」
「……なら、私はあの時おとう様を止めて、良かったんですよね?」
「ああ。貸しを残しておこうという提案は、素晴らしいものだった。だから、すぐに治めてくれただろう? エラを見直したはずさ」
「そう、なんだ」
私には、複雑なことは分からないけど、王族を殺すなんてとんでもないと思っただけだった。
「きっと後で、アーロ王子だけじゃなく国王にも、貸しだという念押しを手紙か何かで送っているはずさ」
「……ふふ。おとう様っぽい。そうかもしれませんね」
もしも私が、役に立っているのなら……嬉しい。
「だからエラ。あまり、一人で悩んじゃだめだよ」
「そうだった……カミサマ。私には、難しいことばかりです。私は……これからどうしたらいいのか、分かりません。代わってください」
「オレにも分からない事ばかりさ。だから、リリアナやお義父様、ガラディオも、シロエもフィナもアメリアも。皆を頼ればいい」
代わってという言葉は、無視されたのだろうか。
「……頼っても、いいんでしょうか。私は王子に言われた通り、ただの平民です。公爵様や王女様ですよ? シロエやフィナも、きっとどこかの貴族令嬢です。私なんかが、当然のようにお話しても良い方々ではありません」
「おいおい、今さらだよそれは。もう、公爵の娘なんだし。それに、オレの中から見ていたはずだろう? 皆、エラの事を本当に大切にしてくれている。甘えていいんだよ」
カミサマは普通にしていたから、きっと高貴な出自に違いないけど……私は平民の中でも貧しい部類。そんな下賤の身で、最高位の貴族様と……という気持ちは、伝わらないのかもしれない。
「カミサマは、そうしなかったくせに……」
「ハハハ、痛いところを突くなぁ。それでもかなり、甘えるようになっていただろ? 自分をさらけ出すのは、確かに勇気が必要だけど。でも、エラは年齢的にも甘えていい時なんだから、それは強みだよ」
「……私って、いくつなんでしょう。自分でも分からないから、誰かに分かるはずもないでしょうけど……」
子どもだから甘えるのは許される。ということなんだろうけど。
でも、成人の儀を済ませているから、大人でもあるはずなのに。
「さぁ……でも、エラの記憶からすると、皆が思っているよりももう少し、若いかもしれないね」
「じゃあ、成人してないんですか?」
「もしかしたら、ほんとは後、数年先なのかもね。だから、尚更だよエラ。これまで愛情を知らなかった分、もっと甘えてほしいんだ。皆、きっと受け止めてくれるから」
「……でも私、甘えたいかどうかを悩んでたわけじゃ……」
これから先のことを、考える力がないから悩んでいるのに。
「いいや、きっと必要な事だろうと思う。抱えきれないものを背負う時は、誰かに助けを求める時なんだ。オレは、それが出来なかったから。エラには間違えずに、皆を頼ってほしいんだ」
(……なるほど)
「頼っても、いいんでしょうか」
「頼らないとだめだよ。チキュウでのオレみたいに、生き苦しくなってしまう。もっと沢山頼って、甘えて、寂しい想いをしないようにするんだ」
「……カミサマは、ここでもしなかったくせに」
「おいおい、それはもう言わないでくれ。オレにはどうしても、出来ない頑固なところがあったんだ。反省はしてる。けど、その体はエラのものだからね。キミ本人に、一番幸せを感じてほしい」
「それはもう、感じていますよ?」
「……もっとだ。もっと愛されてほしい。これは、オレの願いだ。幸せになるんだ。エラ」
「……ずるいですね。カミサマにも、私は同じことを想っていたのに」
「オレは、誰かを護りたい。その気持ちが強過ぎるんだ。だから、護らせてくれる事がオレの幸せなんだよ」
「なにそれ。カミサマって、変わってる――」
――ああ、だめ。
夢が終わってしまう。
いつの間にか、カミサマの姿が見えないし、さっきとは違う所に居る。
夢の切り替わりは、どうしていつも突然なんだろう。
カミサマと、もっとお話したいのに。
もっと、カミサマが幸せだったのかを聞きたいのに。
**
目覚めたのは、まだ夜中だった。
夢が終わると同時に、起きてしまった。
でも、だからこそ覚えている。
(カミサマ……夢に、出てくれたのかな。それとも、ただの私の願望?)
「……カミサマ。起きてるなら、夢に出てくれたのかを教えて?」
一緒にベッドに入れて、隣に居るカミサマの剣に語りかけた。
「……カミサマってば」
すると少し面倒くさそうに、鞘から少しだけ刃を見せて、そしてすぐにチン、と収まってしまった。
「ふふっ。そうなんだ。そうなんだ?」
やっぱり、消えてしまったわけじゃない。
カミサマは、夢でまた会えるかもしれないし、側に居てくれて……。
一番、遠慮なく頼れる存在だと思う。
(だって、体を貸していたから、『貸し』だものね?)
これは貴族の勉強をしていて、何度も言われてきたことだ。
『貸したものはここぞという時に、きっちり請求しなさい』と。
(私をこれからも支えてくれないと、私のままで居ていいのかなって、泣きわめいてやるんだから)
お読み頂きありがとうございます!




