第五章 十六、安息日(二)
第五章 十六、安息日(二)
昨日は結局、楽しそうな雰囲気を壊したくなくて、お義父様に話しはしなかった。
夜にならいいかなと、少しは思っていたけど……リリアナが酔っぱらってベッドにもぐりこんで来るし、抱き付いて離してくれないから諦めてしまった。
こういうのは、タイミングを逃すと話せなかったりするから、早く言ってしまいたい。
なのに、普段の起きる時間になっても、リリアナは起きる気配がない。
「リリアナ。そろそろ起きてください。私は用事があるんです。リリアナ」
可能なら、侍女が来てしまう前に、朝一番でお義父様の所に行きたい。
侍女に捕まったらお着替えで時間を食うし、そうしたら朝食だし……とにかく急ぎたい。
「リリアナ……せめて、腕を離してください。後でまた戻ってきますから」
それが聞こえたのか、ただの偶然かは分からないけれど、彼女の手が私の腕からほどけた。
急いでベッドから降りて、カミサマの剣を抱える。
侍女がいつ来てもおかしくない。
部屋の近くで見つかったら最後、「そんなはしたない恰好で」と、部屋に戻されてしまう。
寝間着のまま部屋を飛び出して、護衛騎士が「あっ」と声を上げている間に、お義父様の部屋まで走った。
「ハァ……ハァ……」
お屋敷をこんなに全速力で走るなんて。
増やされた警備のせいで、侍女はともかく、護衛騎士達には寝間着姿を披露してしまった。
お義父様の部屋にも、二人立っている。
「え、エラ様。そんな恰好で……これを羽織ってください」
その彼が着けていたマントを、私にかけてくれた。
「ごめんなさい。あなたが寒いでしょう?」
冬の廊下は寒い。なのに、マントを取り上げることになってしまった。
自分のを持って出ればよかったのに、うっかりしていた。
「大丈夫です。それに私は、もうすぐ交代ですから」
そう言って、彼は扉も開けてくれた。ノックはしなくていいのかなと思ったら、扉のすぐ側にお義父様が立っている。
「将軍。エラ様がお出でです」
「ああ。マントをすまんな。すぐに返そう」
そんなやり取りの後、私はお義父様の部屋のソファに座らされて、お義父様の毛布を掛けられて座っていた。
「な~にをそんなに、急いでワシの所に来たのだ? 剣は大事そうに抱えてからに」
今になって、寝間着でうろついたことが恥ずかしくなって、顔が火照って暑い。
大事な話をしに来たのに、頭が真っ白になってしまった。
「ええっと……その。お話が……」
どう切り出せば、受け入れてもらえるだろう。
なぜか受け入れてもらえる前提でいた自分が、本当に馬鹿なのだなと思った。
前の私……カミサマだった時の私だからこそ、大事にしてくれていたのに。
リリアナとシロエが、簡単に受け入れてくれたから?
ガラディオも、なんとなく察していて大丈夫だったから?
でも、お義父様は……どうなのか分からないのに。
昨日まで優しかったけれど、今から正体を明かすことで、変わってしまうかもしれない。
「なんだ。欲しい物でも出来たか? だが、それなら剣を持ってくる必要は無いな。何だ、何でも言ってみるといい」
そう言って、お義父様は向かいのソファに座った。
重そうなテーブルを挟んで、ソファが二つ。体の大きいお義父様が座っても大丈夫な、大きなソファたち。
それが少し、ギ。と軋む。
「……ふむ。そんなに思い詰めるような事なのか? 大丈夫だ。ワシなら大体の事は叶えてやれるだろう」
お義父様は、普段の厳しい顔つきからは想像も出来ないくらいに、優しい微笑みを向けてくれる。
この微笑みが、もう見れなくなったら。
どうしよう。
言うのが怖い。
見た目は変わらないのだから、言わなければ……ずっと分からないかもしれない。
でも、リリアナには言ってしまった。
もしかすると、もう報告しているかもしれない。
だとしたら、隠している意味なんてどこにもない。
……私が正直に言うのを、待っているのかもしれない。
「その……私のことなんです。私…………」
(お義父様の目を見れない)
「まさかエラ! おぬし……本当に、ガラディオを好いておるのか」
(んっ?)
あまりに予想外な言葉に、お義父様の顔をバッと振り仰いでしまった。
その行動が、余計に誤解を生んだらしい。
「その反応……。そうか。まさか……こんなに早く、想い人が出来るなど……。娘というのは、成長が早いのだなぁ。王に嫁いだあやつも、心に決めたのは早かったと聞いておる」
「いいいいいやその! それは違います! おとう様? 違いますっ!」
(昨日リリアナが酔っぱらって変なことを言うから!)
お義父様は、今の言葉を照れ隠しとでも受け取ったのか、余計にがっくりと肩を落としている。
「もうっ! そうじゃないんです! 私がお話したかったのは、私はもう、カミサマじゃなくて、元々の私になってしまったということなんです。カミサマと入れ替わってしまったことを、お伝えに……きたんです……」
私はなぜか、勢いで立ち上がってしまっていた。
大切な剣さえ、ドシ。とソファに離し置いて。
背の高い大きなお義父様が、ソファに座っても見上げる形だったからかもしれない。
誤解でがっくりとして俯いてしまったお義父様に、強く言いたくなったからかもしれない。
「なん……だと?」
でも、こんな勢い任せに言う内容ではなかったし、これでは……嫌われても仕方がない。
お義父様はゆっくりと顔を上げて、私をまじまじと見た。
「強く言ってしまって……申し訳ございません」
いつの間にか、私は肩で息をしていた。
ハァハァと、呼吸が荒くなっている。
緊張など、とっくの昔にピークを越えていたから。
「カミサマというのは……別の星から来たお前のことか? エラ。お前は誰という事になる」
そういえば、カミサマという呼び方は、私が勝手にそう呼んでいただけだ。
「はい。その……彼は、ユヅキと名乗ってくれましたが、私が勝手に、夢の中で助けて頂いたので、それで……勝手に、カミサマと。その彼が、丁度私の髪が光ってしまったあの夜、もう私と入れ替わる頃合いだと言って……」
「ふむ」
「私は……もともとの、私です。平民で、親には酷い扱いを受けて、街道に捨てられ死ぬ寸前だった、ただの普通の小娘です」
この自己紹介は、二度目とはいえ、とても惨めな気持ちになる。
それが本当の私で、こんなに煌びやかな生活とは、無縁の。
「やはりか! どうりで……甘え方が、やけに堂に入っていると思っておったのだ」
(んんっ?)
思っていた反応の、どれとも違う。
もっと、深刻な感じになると思っていたのに。
「エラよ。お前の今言った時よりもひと月ほど前から、お前だったのではないか?」
じろりと見るお義父様の目は、鋭いのだけど、責めているのではないのは分かった。
まるで、答え合わせをしたがっているような、無邪気なものに近いような。
「そ、そうだと聞いています。カミサマと、入り混じっていたような状態だと……思い――」
「そうかそうか! やはり、ワシの目はなかなかのものだな。ハッハッハ! そうか。どうりでなぁ……」
「――お義父様……?」
「それで。おぬしは今、苦しくはないか。相当な無理をしておろう。いや、すでにリリアナとシロエには言ったのかな? どうだ?」
……私は、その正確に言い当てる様に、びっくりして言葉を失っていた。
でも、回答を待つお義父様の眼差しに負けて、なんとか声を出した。
「……おっしゃる、通りです」
「そうか……まあ、おぬしが苦労している事に変わりはないな。よく、頑張っておる」
そう言われて、少しだけほっとした。
けれど、私はやっぱり、公爵家に相応しくないのではと、その不安まで消えたわけではない。
「おっと、早く伝えてやらねばならんな。エラよ――」
その先を聞くのが、とても恐ろしい。
「――何も気にするな。詳しくは聞かせてもらうがな。お前はワシの子で、今までと変わらん。ずっとここに居なさい。もちろん、リリアナに付いて行っても構わん。全て今まで通りだ」
……その言葉が、どれだけ重いものかは、分かっているつもりだ。
得体の知れない、こんな平民の小娘を。
カミサマと同じように、受け入れてくれるなんて。
「おとう様と、お呼びしても……許してもらえますか」
我慢出来ずに、私は泣いてしまった。
「もちろんだ。当然だろう? エラよ。お前はワシの娘なのだから」
この人は……一体、どれだけ懐が深いのだろう。
私なんて、ただの……本当にただの小娘だというのに。
でももう、本当に、何も言葉にならない。
この気持ちは、きっと誰にも分からないだろう。
捨てられて死ぬしかなかった私が、こんなにも……受け入れてもらえるなんて。
「おとう様! 大好きです! おとうさま――」
咄嗟に抱き付こうとして、重いテーブルにつまずいてしまった。
「――あっ」
そんな突飛な行動にも、お義父様はいち早く反応して、つんのめって倒れる寸前の私を抱き上げてしまった。
「馬鹿者。お前は少し、抜けておるようだな」
お義父様はそう言って、片方の頬を上げてニッっと笑った。
「おとう様……」
抱き上げられたままに、私はその逞しい首に腕をまわした。
めいっぱいに引っ付かないと、その大きな体に腕が阻まれてしまう。
ぎゅっと力を込めていると、ひっつき易いように、お義父様はもう少し抱え上げてくれた。
「……おとう様」
こんなに安心して呼べるなんて、思わなかった。
厳しい人だから……気持ちが離れてしまわれるのではと……。
でもそれは、この人を侮っていたのかもしれない。
「よしよし。いい子だ。辛かっただろう」
本当に……どうしてこの人は、こんなにも人の気持ちを汲んでくれるのだろう。
この人がお義父様でなければ、この人と結婚したい。
たくさん尽くしたい。
……きっと、おモテになるだろうに。
そんなことを思っていると、ふと急に、寝間着で来たことが恥ずかしくなってしまった。
毛布を掛けてもらったけれど、なんてはしたない……。
「どれ、そろそろ朝食に行こうか。ワシは腹が減ってしまった」
「ふっ。ふふふふ。すみません、お食事前に」
きっと、私の気持ちをほぐすために、言ってくれているのだ。
「着替えは、普段のドレスがいいか? それとも、楽な方がいいのかな?」
昨日のことまで、気にしてくれているらしい。
「おとう様が好きな方にしたいです」
着飾った私が好きなら、ずっと着飾っていたい。
「ふむ。では今日は、楽な服にしてもらいなさい。その剣を持ってきた理由も、後で話してくれるのだろう?」
何でもお見通し……。
「はい。あとでカミサマのことも、お伝えいたします」
「そうか……なら、とりあえず部屋に連れていってやろう。侍女達がもう、そこで待っておるみたいだからな」
お読み頂き、有難うございます!




