第五章 十一、作戦(二)
第五章 十一、作戦(二)
とにかく、魅了は掛かった。
もう、私達を攻撃するなんて出来ないはずだ。
「……確かに、さっきまでの殺気が嘘のように止んだ。上手くいったみたいだな」
彼が言う通り、千騎から浴びる殺気の塊は、二百メートル離れていても喉が締め付けられた。
けれどもう、そんな息苦しさは感じない。
むしろ、全員が味方なのだという、安心感を抱かせてくれる。
ただ一人を除いて。
「王子だけ、効いていない気がします。もっと強く掛けないと。近付きましょう」
「待て待て。アレとは交渉をしに来たんだ。むしろ丁度いいさ」
そう言いながら、彼は少し速度を上げて近づいて行く。
私も、それに続いて付いて進んだ。
――エイシアは、まるで私の心を読んでいるかのように、指示しなくても動いてくれている。
「ね、ねえ。どこまで行くの? いくら何でも、無防備に進み過ぎじゃ……」
「城壁の上もよろしく頼むぞ。忘れているだろう」
言いながら、彼はさらに進む。
私は言われた通りに、城壁からこちらを伺う弓兵も魅了し、彼を追いかけた。
そしてついには、敵の先頭から数十メートルのところまで来てしまった。
私達が無防備に近寄ったのを確認して、王子は守護隊の中から割って前に出てきた。
こちらが部隊を置いて来ていること、攻撃の意志が無いことなども加味して、安全だと踏んだのだろう。
といっても、部隊の中には居る。数十メートル離れているのは、まだ警戒を解いていない証拠だ。
それを見て、ガラディオが声を張って挨拶を始めた。
「アーロ王子、馬上より失礼致します! 元近衛騎士団長ガラディオにございます!」
彼の、畏まった話し方を初めて聞いた。それは新鮮というよりは、やはり部隊に所属する一人なのだと、組織の拘束力が不気味に思えた。
なぜなら、彼が本気で暴れたら、人など太刀打ち出来ないはずなのに……それさえも従えさせるものがあるということが、把握しえないものの大きさが、怖くなったから。
「ガラディオ! 久しく顔を見ないと思ったら、こんな場で再会するとはな! 話など無い! その娘を差し出して、お前らは立ち去れ!」
アーロと呼ばれた王子は、何でも無いことのように、私を差し出せと言った。
(人を、人とも思わないような口ぶりをする人が、この国の王子なの?)
「それは出来かねます! その事について、話し合いに参りました! どうか兵をお下げください!」
ガラディオは堂々と、アーロ王子に食い下がる。
けれど私は、アーロ王子の態度から、交渉の余地はなさそうだと思った。
「ガラディオよ! 今すぐそいつを置いて去れば、貴様やリリアナには、反逆の意図はない事としてやろう! だが逆らえば! この場にいる全員を反逆罪とする!」
やはり、こういう人なのだ。
私が差し出されたら……きっと、何だかんだと理由をつけて、殺されるのだろう。
でなければ、お義父様が慌てて、私を王都から追い出すなんてしない。
「アーロ王子! それでは引き下がれません! なぜこいつを、そうまでして狙うのですか!」
「説明する必要などなかろう! そいつは古代種だ! 災いの元を排除するのは、この国のためよ!」
「こいつは災いの元になど、なりません! お考え直しを! アーロ王子! リリアナ王女とお話ください!」
「たわけが! リリアナがそいつを拾わねば、こんな事にもならぬのだ! ふざけるな!」
話合いなど、するつもりがない。
側で聞いていれば、それはありありと伝わる。
アーロ王子は、私を殺したくてたまらないのだ。
「ガラディオ。もういい……私は……ここに居てはいけないと、分かりましたから」
国王様は、優しく迎えてくれたけど……こうして、王子が国王様の言う事を聞かずに、殺しに来れてしまうのだから。
それはつまり、暗殺も減らないし、私のせいで常に、王子から護るための対処を、し続けなければならないのだ。
「何を言う。エラ、お前は俺達の仲間だ。どんな相手からだろうと、俺はお前を護る」
「か、そ、そんなこと、突然言われても……」
そんなふうに、思ってくれてるなんて。「どんな相手からも」なんて、思ってもみなかった。
「何をごちゃごちゃとしている! 早く差し出せ! 出さぬなら……」
「アーロ王子! それは出来ません! 話し合いが出来ぬという事であれば……一旦引かせて頂く!」
そう言うや否や、ガラディオは私に「退くぞ!」と声を掛けた。
私よりも早く、エイシアがそれに反応して、瞬く間に後ろへと翻る。
「話にならんな! 貴様らいい度胸だ! 弓隊、撃て! あいつらは反逆罪だ!」
アーロ王子が弓隊に指示を出す。その頃には、ガラディオも一瞬で馬を操り、すでに私と並んで逃げ始めていた。
数十メートルまで近づいてから逃げるなんて、とても間に合う気がしない。
でも、敵兵達には魅了が掛かっている。
振り返って見ると、アーロ王子の兵達は、戸惑いながら動こうとはしない。
「良かった! 魅了で兵達は動かずに居てくれてる!」
私は緊張のあまり声が上ずって、そして、叫ぶようにガラディオに伝えた。
「ああ! 助かっている! 普通なら出来ない事だらけだ!」
彼は少し楽しそうだ。まさかここまで敵陣に踏み込んで、無傷で帰れるなどありえないからだろう。
「何をしている! 行けと言っているのだ! ええぃ! 命令が聞けんやつは皆殺しだ! 貴様らの家族諸共、一人残らず処刑してやるからな!」
『う……うぁぁ! うああああ!』
ひと時の逡巡の後、千の兵達が、一斉にこちらに馬を走らせた。
「う、うそ! 動いた! あの王子の脅しが私の魅了を上回ったのかも!」
「くそっ、こんな落とし穴があるとはな!」
ほんの少し前までは、少年のような無邪気な顔そしていたガラディオも、今は焦りが見える。
(リリアナにも、伝えないと!)
彼女は、事態を飲み込むのが遅れたようで、一応逃げようとしているけれども、まごついている。
「リリアナ~! 逃げてください!」
声は届いているのか分からない距離だけど、そもそも、馬が言う事を聞いてくれない様子に見える。
同じことを危惧していたのか、ガラディオが焦りを隠さずに言った。
「リリアナの馬が怯えてやがる! こんな時に!」
このままで、十秒もすればリリアナは掴まってしまう。
それは、どさくさに紛れて殺されてしまうことを意味する。
でも……エイシアなら、何とか出来るかもしれない。
――(エイシア! リリアナを尻尾で巻き抱えることは出来る?)
私を尾で巻きとって、転がしたことがある。きっと出来るはずだ。
――(尾を巻くと走りにくい。咥えて良いだろう?)
――(怪我をさせないでしょうね!)
険しく連なる山脈のような、あの鋭い臼歯が心配だった。
――(甘噛みくらいで傷を付けるものか。そやつが暴れなければな)
――(分かった! お願い!)
今はとにかく、エイシアに任せる他、何も思いつかない。
「ガラディオ! リリアナは任せてください! エイシアで連れていきます!」
「大丈夫なんだろうな!」
「絶対に!」
私の言葉に、彼は一瞬で、作戦を考え直したようだった。
「よし、任せたぞ! 俺は引き付ける!」
そう言うと彼は、私の後ろに回って殿を受け持った。
その会話が終わる頃には、リリアナに迫っていた。
「リリアナ! 暴れないで体を預けて!」
「えっ? ――きゃああ!」
一瞬で、エイシアは馬上のリリアナをパクリと咥えた。
「う、動かないで、エイシアに任せてください!」
「ひっ! わ、わかったわ!」
エイシアの頭と首にしがみつく私は、一瞬落ちるかと思った。
けれど、それさえも加味して、エイシアは私を落とさないように、器用に動いてくれたらしい。
こちらの態勢は整った。
そう思ってもう一度振り返ると、軽装の弓隊が、いち早く迫っていた。
数騎は私に狙いを定めて、矢を射かけている。
知らない間に、エイシアが上手く躱してくれていたらしかった。
ガラディオは――。
……ああ、あの人はやっぱり、『人』ではないのだ。
片足はあぶみに掛けたままで、もう片足は馬の背に器用に引っ掛け、半身になって後ろを向いている。
槍斧――ハルバードを巧みに操って、馬に当たりそうな矢を弾き落としてる。
それに、自分に当たるものは金属鎧で、最小限の動きでそれも弾いている。
(異常だわ。あんな人、普通にやって倒せる人は居ないでしょうね)
ガラディオを追う弓隊は、私に追いすがる数騎どころではなかった。
何十騎という弓の精鋭部隊から、後ろからも左右からも斉射を食らって、全くの無傷。
しかも、馬も仕事が分かっているようで、手綱で導かれなくても、全力疾走でひた走って逃げている。
人馬一体とは、こういうことを言うんだ……。
ガラディオは馬の脚と知性を信じ、馬はガラディオの武神の如き強さを信じている。
そんな光景だった。
エイシアとも、そんな関係になれるだろうか。
――(ねえ、あの二人は、ほんとうに凄いわね)
――(見惚れてないで、翼で我を護らぬか! うつけが!)
とは言っても、エイシアの速度に追い付ける馬など居ない。
私達はもう、十分に距離をとって逃げることに成功していた。
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