第五章 十一、作戦(一)
第五章 十一、作戦(一)
数キロ先の丘から見ていたのとは違って、横に広がる千騎を前にして近付いていくのは、どうにも恐ろしいものがある。
敵は城門を背に、左右に大きく、二手に分かれている。
その真ん中、城門の近くに王子らしき人が見えた。そこの護りだけが厚い。
「あれが……九番目の王子殿下、ですか」
問うつもりだけど、答えてほしいわけでもなく声に出した。
「そうよ。ちょっとひねくれた、一番しつこい兄。もちろん、嫌な意味でね」
リリアナの嫌悪感が、よく分かる紹介だった。
そこにガラディオが、彼女に退却の指示を出した。
「……そろそろ四百だ。リリアナはここで退くんだ」
「ううん。もう少し、一緒に居た方がいいわ」
「……土壇場でワガママを言わないでくれ」
「あの数で、ここまで攻めて来ないなら、近付いて欲しいのよ。もう少しだけ。お兄様の思惑に乗った方がいいわ」
リリアナも、色々と考えていたらしい。
「……チッ。三百までだ。そこで退いてくれよ」
「そこで待機する。絶対に、私もろとも殺したいはずよ。殺気が私にも向いてるのが、ピリピリとして分かるもの」
「確かにそうだな……。エラ。リリアナを集中して護れ。俺は一人の方が動きやすいからな」
「は、はい」
作戦が、勝手に難しくなっていく。
(ガラディオが、勝手に動く私を叱る気持ち、少しだけ分かった……)
そして魅了は、まだ届かない。
相手には何の反応も起こらない。
一体、どこまで近づけば掛かってくれるのだろう。
――(おい。ここで万が一にも死なれては困る)
――(何よエイシア。今は緊張してるから、話しかけないで)
――(今の貴様なら、魅了の効果範囲はおよそ三百だ。人魔のほとんどがそうだった)
――(えっ? 嘘じゃないでしょうね? ていうことは、三百くらいで掛けれる……)
――(馬鹿者。敵の全てに掛けたいなら、隊列後尾までを範囲に入れないとだろう)
――(あ……。そ、そうね。ありがとう……)
どうしてこいつの方が賢いのか、未だに納得がいかない。
そんなことを思っていると、魅了の効果範囲に敵が入ったのが分かった。
まだ掛けていないけれど、感覚的に「いける」と感じる何かがある。
「ガラディオ。今で先頭の辺りは掛かりそうです。敵陣の後ろまでだと、どこまで近づかないといけませんか?」
「今で三百ちょっとだな……あの布陣だと、二百五十まで行けば後ろまで届くだろう。だが――」
「はい?」
「――横に長い。完璧に届かせるなら、二百まで行く必要があるな」
「二百……」
今でもかなりの圧を感じるのに、まだ近づかなくてはいけない。
そんなことを思っていたら、ガラディオがリリアナに指示を告げた。
「リリアナ、今度こそこれ以上は、付いて来るなよ」
そう言えば、三百メートルくらいまでの約束だった。
「……分かったわ。二人も無理をしないでね」
リリアナは馬を止めると、九十度ほど角度を変えた。
いつでも逃げられるように。
相手からすれば、私達がそろそろ引き返すつもりだと分かっただろう。
それでも、これ以上リリアナを危険に晒すわけにはいかない。
そして私とガラディオは、さらに前へと進む。
でも正直、これ以上は怖い。
一斉に追いかけられたら、「どんなに逃げても追い付かれるんじゃないか」と、嫌な妄想が頭の中を巡ってしまう。
すると彼は、私の緊張をほぐすためか、弓兵の可能性について話してきた。
「相手がどの距離から撃って来るか、だな。ちなみに斉射するなら、もう十分に頃合いだろう」
つまり、いつ千本の矢が飛んでくるのか分からない中を、ゆっくり進んでいたのだ。
「先に言ってよ! 弓……単発で狙っても、ギリギリ届きますか?」
「言ったらもっとガチガチになるだろうが。あと、城壁から撃たれる可能性を忘れてないだろうな」
「あ……」
上から射れば、それなりに威力と射程が伸びる。命中力も。
「当然届く。だが、まだ当てられるかは別だ」
「本当? じゃあ、そんなに気にしなくても?」
「ああ。もっと引き込んでからのつもりなんだろう。単発では撃たんさ」
「わかりました」
言われてみれば、私達を逃がさずに殺したいなら、向こうもなるべく近くまで、十分に引き付けたいはず。外せばそこで、逃げられるのは分かっているだろう。
「気にするべきは、軽装の弓騎馬隊だ。二百では追い付かれるかもしれん」
「あ……そっか、撃つのにじっとしている必要ないんだ」
追いかけながら距離を詰めて、そこからの弓なら……かなり危険かもしれない。
そう思って相手の布陣を見ると、正面にも横にも、軽装の弓隊が居る。
数は少ないけれど、その隊だけ早い馬で、弓の精鋭だったら……。
「ああ。ギリギリの距離かもしれんな」
向こうは、ほんとに私達を殺す気なんだ。
でも……翼もあるし、カミサマの剣もある。
(だからきっと、リリアナを護りながらでも……きっと大丈夫)
……もう、随分と近付いたような気がする。
「もうすぐ二百だ。エラ、出来そうか?」
物々しい殺気を受けながらだと、余計に近く感じてしまうのだろう。
よく見れば、まだ逃げられそうな距離感ではある。
「あ……掛かる。ガラディオ、敵の全員、魅了の範囲に入りました」
「できそうか? とにかく、やってみてくれ」
「はい」
――やっぱり、分かる。
こうして意識を集中すれば、この人達全てを、私に跪かせられるのだと。
体の底から湧き上がる、この高揚感と、愉悦の混じった抗い難い感覚。
私は、この数の人間を一瞥で虜に出来るのだ。
――そう思った時には、私の瞳は熱を帯びて、無意識に左から右へと見渡していた。
こんなに簡単なことなら、恐れずに突っ込んでしまえば良かったのだ。
(人間など、何を恐れる必要があろうか)
「エラ。出来たのか? やつらの殺気が消えた。が、確実な事が知りたい」
全身を巡るような愉悦の最中、突然ガラディオに話しかけられて、私は少し苛立った。
「あ……あぁ。はい。出来ました。もう彼らに……私を攻撃することなど、出来るはずが無い」
「おい、髪が……少し光ってる。大丈夫か? 力の使い過ぎで疲れたなら、もう退却の準備をしておけ。様子が少しおかしいぞ」
……疲れてなどいない。
ただ、もっと深く魅了してやれたのに、話しかけられて邪魔をされたのだ。
心地良い波の中に居たというのに。
「聞いているのか! 油断ひとつで死ぬことになるぞ!」
ガラディオの、体の芯に響く様な喝を受けてハッとなった。
「あ、は、はい。すみません。大丈夫です」
私は……一体、何を考えていたのだろう。
恐ろしい誘惑に、自分が飲まれそうだったような気がする。
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