第五章 四、先見と先読み
第五章 四、先見と先読み
次の日の午後。
お昼過ぎならば、多少は寒さもましだからと、訓練はこの時間に決まった。
「ということで、エラ。エイシアと話せるかしら」
リリアナも私も、自分はほとんど動かないからという理由で、厚手のワンピースドレスのままだった。外には外套を羽織れば、長時間でなければ十分だ。
私は訓練服に着替えるかと聞かれたけれど、ドレスのままでも動けた方がいいという、よく分からない訓練思考から、それを断った。
「エイシア……」
「あら。何か気になるの?」
この間までは、エイシアとも仲良くできるかもしれないと思っていた。けれど……。
私は昨日のことで、エイシアとどのように接したらいいのか、分からなくなっていた。
「あれが裏切ったら……どうします?」
私は常に、いつかあいつが敵対するのではないかと、頭のどこかで考えている。
「もしも敵なら……最初に出会った時に、すでにエラは殺されていたのよ? あの子にその気はないと思う。前にもそう言ったでしょ?」
リリアナの意見は、一貫している。
これが、エイシアの魅了によるものなのか、リリアナ本人の揺るぎない思考なのかが、判別できない。
私が殺されなかったのも事実だけど、全てが何らかの計画のうちなら……と、考えだしたら止まらない。
「エラ。エイシアが気まぐれなのはその通りよ。でも、狡猾な人間の目を、私は知ってる。油断してはいけない人間の目を嫌と言う程見て来た私が、あの子は裏切らない。そう感じるの」
たしかにリリアナは、王宮でその兄弟達と、その家臣達と……想像もつかないような政権争いを繰り広げていただろうから……相手を見抜く力は鋭いのかもしれない。
(……私が、リリアナを護る自信がないから、怖いんだ)
カミサマ頼りだけど、もっと戦えるようになれたら……リリアナのしたいことを純粋に応援できるのかもしれない。
「分かりました。私も……もっと、リリアナを支えられるように頑張ります」
「うん? そんなに大げさに考えないで。十分に支えてくれているわよ」
リリアナの言葉は、いつも優しい。
けど、それに甘えてばかりではなくて、そして、自分を過信しないように――もっと真摯に、力と向き合うんだ。
「――はい。それじゃあ、エイシアを呼んでみますね」
「うんうん。あ、正面のお庭に来てもらって。エラを乗せて歩く練習をしましょう」
私を……。
(やっぱり、また乗せるんだ)
「あ、はい。わかりました」
リリアナの考えは、私には分からない。
鎖でも付けて、それを私が引いた方が……従えてる感が出るかなと思ったけれど。
お庭では、すでに見物の侍女や従者達、ガラディオとシロエも待っていた。
何だかんだでエイシアは、侍女達にはかなりの人気を誇る。
(特に従者や侍女の皆は、仕事を中断してまで見物に来てるんだものね)
エイシアと横並びに歩いていると、侍女達は私とエイシアを交互に見比べている。
私の背の低さとエイシアの大きさは、間近で見るとより一層際立つからだろう。
「エラ! がんばれよ」
「エラ様~! ご無理なさらないでくださいね~」
少し遠巻きから、ガラディオとシロエが応援してくれている。
――(なぜ我が、などとは言うまい)
エイシアに話すと、意外なことに反抗しなかった。
最初はお屋敷の庭を練り歩く。慣れれば、街に出て練り歩く。
そうして人気を集めて、その存在を街に馴染ませる。
エイシアという獣が、ファルミノの街の象徴になるように。
そして、エイシアを乗りこなす私――つまりは古代種――も、セットで街の偶像にするのがリリアナの計画だ。
――(こういうの、嫌いだと思ってたから意外だった。助かるけど)
――(民衆の前で貴様を振り落としてやれば、余興くらいにはなろうか)
――(またそんなことを……私を悩ませて楽しい?)
――(楽しくなければ、やらんだろう)
それ以上何か言っても、頭が痛くなるだけなのでやめた。
エイシアに伏せてもらって、その上によじ登る。
背中に跨ろうと思っていたけれど、厚手の黒いワンピースドレスにフード付きの外套姿では、横向きに座る他ないことが分かった。
鞍も何も無いのでもたもたとしていると、侍女達からの声援が飛んできた。
「エラ様、かわいい~」
この緩慢な動きでさえ、このありさまだ。
(忖度されているのか、本当にかわいいと思ってもらえているのか……)
――(もっと颯爽と飛び乗れんのか? こちらまで無様に見えるだろうが)
――(別に、こうしてかわいいと人気だけど?)
――(憐れまれている。の間違いだろう?)
――(うるさい。ほら、座れたからゆっくり歩いて)
――(チッ。これを街でもするというのだろう? どうかしておるぞ、あの娘)
――(リリアナのすることには意味があるのよ。文句言わずに手伝いなさい)
エイシアは、恨めし気に背中の私を一瞥すると、私を揺らさないようにスッと立ち上がった。
(文句は言っても、気遣いはしてくれる……。やっぱり、リリアナの言う通りなのかな……)
納得は、すぐには出来ない。こいつの恐ろしさを知っているからこそ、疑ってしまう。
――(どこまで歩くのだ)
――(皆から見える所を、大きくぐるっと)
そういえば、馬に乗るよりも高いのに、怖くないのはなぜなんだろう。
街に入る時にも乗ったけれど、何も気にならなかった。
(……ふわふわの毛皮が、掴みやすいからかな)
それだけではなくて、思えば全く揺れていないことに気が付いた。
スーッと滑るように、振動さえ微塵も感じない。
それは、エイシアの足運びや体遣いが、すさまじく優れているということだ。
(やっぱり、身体能力ひとつとっても、尋常じゃないものを持ってる)
――(そういえば、馬のように色んな走り方があるの?)
以前、お庭に迷い込んだネコがダッシュしたり、トコトコトコ……と、可愛く小走りしていたのを思い出した。エイシアも、いろんな走り方をするに違いない。
――(馬ごときと比較する気か? いいだろう。しっかり掴まっておれよ)
思い出したのはネコだったけれど、そう言うと怒るだろうから馬に例えたのに意味は無かった。
エイシアは最初、トコトコと小走りをした。
それでも振動は僅かで、速度が上がったという合図みたいな感覚だった。
――(貴様、そこだと落ちるぞ。もっと頭に近い場所まで来い)
――(動く前に言ってよ)
――(走らせたのは貴様だろう)
それもそうかと思い、素直に従った。
揺れがほとんどないので、ふわふわの毛を掴みながら移動する分には、何の恐怖感もなかった。
――(良いな? 行くぞ)
言うや否や、エイシアはさらに早く、けれど小走りに駆けた。
振動の感じから、トコトコ走りは変わっていないけれど、速度と振動が増している。
「は、速いのね。十分速い。……少し怖いわ」
集中の必要な念話よりも咄嗟に、声が出た。
――(落ちるなよ?)
「えっ?」
びゅ。という風切りの音が聞こえたかと思うと、景色が目まぐるしく流れていく。
それでも、エイシアの頭はほとんど揺れていない。首に掴まっているお陰か、私もほとんど揺れずに済んでいる。
けれど、エイシアの体は激しく波打つような動きで、後ろ足が地を蹴り体が伸びると、前足は着地と同時に体を丸めて後ろ足を迎えつつ、さらに体を前へと送る。
その激しい背中のうねりは、先程の場所に居たままなら、私を弾き飛ばしていただろう。
それにしても、これだけ激しい走り方なのに、馬のような地を蹴る音が出ない。無音ではないけれど、かなり静かだ。
それより何よりも、速過ぎて怖い。
「も、もういい。速いのは分かったわ!」
――(速いのは当然だ。そうではなく、走法の数を比べるのではなかったのか)
「こんなの、落ちたら怪我じゃ済まないじゃない! もういいってば!」
――(まだあるのだぞ)
「いい! 凄いのも分かったから! もう止まって!」
――(……よかろう。無理に引っ張られては、自慢の毛が毟られてしまうからな)
ふわりと、一瞬浮いたような感覚のあと、エイシアは止まってくれた。
「こ、怖がらせるためにしたんじゃないでしょうね」
――(腰抜けがどう感じるかなど、知ったことか)
「もう~!」
腹立たしい。
けれど、一応は落ちないように気遣ってくれたし、止まってと言えば止まってくれた。
「まぁ、その。見物の人達は喜んでるみたいだから。良かったと思うわ。ありがとう、エイシア」
皆の居る場所からは離れているけれど、侍女達やリリアナは、楽しそうに手を振ってくれている。
「ほら、なかなか反応よさそう。街でも上手くやってよ?」
そう言うとエイシアは、次に何と言われるかを察したように、無言で皆のところへと歩き始めた。
「あと……賢いからって会話を省略しないの。わかった?」
――(ふん)
「ふん。で伝わる相手でよかったわね」
……気位の高い子。
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